一青窈のアーティストとしての個性を丁寧に丁寧に育んだデビュー作『月天心』

『月天心』('02)/一青窈

10月30日に東京・中野サンプラザにて『一青窈 20th ANNIVERSARY SPECIAL LIVE ~ アリガ二十』を開催する一青窈。20年前のこの日は、彼女のデビューシングル「もらい泣き」が発売された日であり、まさにジャスト20周年のアニバーサリーである。12月18日には約8年振りのニューアルバム『一青尽図(ひととづくしず)』がスタンバっているが、この日は1stアルバム『月天心』の発売。とても丁寧できれいな作法(?)で20周年を祝う辺り、何とも彼女らしいところだ。今週はその『月天心』を取り上げる。これもまた丁寧に作られたアルバムである。

デビューからロングセールスを記録

だいぶ久しぶりに『月天心』を聴いて、本作は実にデビュー作らしいアルバムであって、重ねて一青窈というアーティストのランディングが実に丁寧に行なわれたものであることを感じた。彼女はとても大事に育てられた…と言い換えてもいいかもしれない。だからと言って、過保護だとか何だとか言うつもりはないので誤解のないようにお願いしたい。むしろ逆。本作発売の少し前の1990年代前半。いわゆるディーヴァと呼ばれる人たちの音源は大型のタイアップに彩られることが多かった。その辺りを鑑みると、デビュー時の一青窈はCMや主題歌などとの連携に長けていたとは言い難い。『月天心』収録曲もまったくタイアップがなかったわけではなく、M1「あこるでぃおん」とM3「sunny side up」はともにテレビ番組のテーマ曲となっていたようである。だが、これらが何のテーマ曲となっていたかを知る者は、彼女のファンにしても少数派だろう。また、その番組の熱心な視聴者でも一青窈楽曲が使われていたことを知る人は少ないと思う。別に当時そのタイアップを取ってきたレーベルの営業スタッフを腐したいわけでも何でもなく(そのご苦労には敬意を表したい)、彼女はデビュー時から過度なタイアップを施されていたわけでなかったと言っているだけである。デビューシングル「もらい泣き」もノンタイアップだった。それにもかかわらず、チャート4位となり、2003年度の年間13位にもなった。2002年発売なのに、2003年度の年間チャートにランクイン。ロングヒットである。これは絶対に見逃せないところだろう。本作『月天心』も週間で4位、2003年度年間17位と、こちらも「もらい泣き」同様、リスナーに長く支持された。ロングヒットは、逆に言えば作品が簡単に消費されなかった証しとも言える。意図的にタイアップを付けなかったとは思えないけれど、結果的にそれが功を奏したとは言えるかもしれない。

比類なき「もらい泣き」のメロディー

これはデビュー時に限った話ではないかもしれないけれど、極端な言い方をすれば、多くの人に聴いてもらうために何をするか…ではなく、いい楽曲を作れば多くの人に聴いてもらえる──そんな確信を、制作スタッフを含めた“一青窈チーム”は強く抱いていたのではなかろうか。個人にはそんな気がする。本作収録曲のメロディー、サウンドはともにとても優秀である。一青窈というシンガーソングライターの素材の良さを最大限に活かそうとした印象が強い。何と言っても、彼女のデビュー曲M2「もらい泣き」。その歌メロの旋律の秀逸さをここで改めて強調したい。日本民謡のようであり、演歌のようでもあり、唱歌や童謡のようでもありながら、大陸的な匂いもしつつ、ちゃんとJ-POPの展開を持っている(ご丁寧に(?)サビ頭である)。2002年というと、先ほども述べたようにいわゆるディーヴァと言われる女性シンガーが人気を博していた時期であって、ジャンル的にはR&B;が隆盛ではあった。「もらい泣き」は明らかにそれらとは一線を画していたと思う。誰にも似てないし、どこにも属さない旋律。また個人的な話をすると、当時、筆者が彼女の存在をまったく知らなかった頃、飲食店かどこかで流れていた有線放送で何度か「もらい泣き」を耳にして、“何これ? 誰?”と珍しく気になったことをよく覚えている。いい意味で当時のあまたの楽曲からは浮いていたと思う。作曲はプロデューサーである武部聡志氏に加えて、マシコタツロウ氏、溝渕大智氏の連名である。まさに“一青窈チーム”で楽曲制作に臨んだことが分かるし、プロが試行錯誤して練りに練ったメロディーであることもうかがえる。

武部氏作曲のナンバーは本作では他にも、M1「あこるでぃおん」とM6「月天心」がある。オープニングとタイトルチューンというアルバムで重要な楽曲をプロデューサーが自ら手掛けているところに意気込みが感じられる。M1、M6ともに大陸的な大らかさと郷愁感を併せ持ちながら、前者は唱歌、童謡テイストが強く、後者はクラシカルでありつつ若干エスニックな香りがある。本作での一青窈のイメージを大きくぶらさずに、ちゃんと一本筋を通している印象である。プロデューサー・武部氏の的確な仕事であり、面目躍如であると言える。

武部氏作曲以外のナンバーも興味深い。M1、M2、M6のラインを踏襲したと思えるのがM9「アリガ十々」。シンプルな旋律だが、だからこそリフレインが活きているように思う。小田和正や角松敏生らのサポートベーシストを務める山内薫氏の作曲である(もちろん一青窈のバックも務めている)。富田素弘氏が作詞と編曲を手掛けたM3「sunny side up」とM4「イマドコ」は、トラックや一青窈自身の歌唱も相俟って、コンテポラリR&B;のテイストが感じられる。彼女は学生時代、ブラックミュージックに傾倒していたらしく、この辺は彼女の趣味嗜好を反映していると思われる。

森安信夫が手掛けたM5「犬」とM7「ジャングルジム」は、それぞれテンポも全体のテイストも異なるものだが、ともにロック寄りで、ここまで見て来た楽曲とは旋律も異質でもある。もっともこの辺の印象は、メロディーというよりもサウンドによるところが大きいはずで、そこは後述することになろうかと思う。M2の作曲者に連名でクレジットされているマシコタツロウ氏は、もう1曲、M8「心変わり」も手掛けている。これはBメロまでR&B;的だが、サビは和風という、展開と構成がおもしろいナンバーで、この辺からも一本筋が通った本作のテーマ、コンセプトを感じるところではある。

そして、ラストに収められたM10「望春風」は台湾の民謡。彼女のルーツミュージックのひとつでもある。『月天心』はバラエティー豊かな作品ではあるものの、決してバラバラではないことが分かってもらえるのではないかと思う。R&B;、ロックの要素からは、デビューアルバムらしく、その後の方向を狭め過ぎない配慮のようなものと、彼女自身の素のキャラクターを反映したところを感じさせる。だからと言って、決して取っ散らかることなく、きれいにまとめている。プロデューサー・武部氏の手腕が如何なく発揮された結果と見ていいのだろう。

言葉自体が持つ旋律とリズム

『月天心』収録曲のメロディーラインについて、シンガーソングライターの素材の良さを最大限に活かそうとしている印象が強いと書いたが、それは歌唱力の確かさに対することもさることながら、一青窈の作り出す歌詞に寄り添わんとしたためだったとも思う。大学時代、[ゴスペラーズの北山陽一と出合い、自作の詩を見せたところ「お前の詩は面白い。FAXしてくれたらいくらでも曲を付けるから歌え」と提案され、以降自分の詩で歌うこととなった]というエピソードを示すまでもなく、彼女の歌詞は個性的である([]はWikipediaからの引用)。とりわけ特徴的なのは擬音(と思しきものも含む)と、そのリピート、リフレインであろう。

《あこるでぃおん 親指の間を しゅるりしゅるりほどけてくよに/あこるでぃおん あどけない手つき、で 僕の想いほどいて。》《しゅるりるらる ほどいて》(M1「あこるでぃおん」)。

《ええいああ 君から「もらい泣き」/ほろり・ほろり ふたりぼっち/ええいああ 僕にも「もらい泣き」/やさしい・の・は 誰です》(M2「もらい泣き」)。

《もともと素直にだせない/あたしをみるみるうちに変えたの/まだ寝てていいよ sunny side up×2/起こしてあげる/寝てていいよ おやすみ》《つやつやすべる背中、を そっと/すやすや眠る「あなた」/起こさなくちゃ! なの/早起きの我慢もしなくなったわ》(M3「sunny side up」)。

《はらはらして どきどきして/ふらふらして ときどき寝て/ほらほら聞いて またまた言って/くらくらして暮らしてみたい の よ》(M4「イマドコ」)。

擬音ではないが、M7「ジャングルジム」やM9「アリガ十々」にもリフレインはある。全体を通してみると、その言葉自体に特有の抑揚があるものを用いていることが分かる。また、M4では文字数が同じ擬態語を持ってきている。この辺は彼女自身が影響を公言している詩人の谷川俊太郎由来のものであろう。よくよく聴くと、歌メロはこれらの言葉が持っている旋律やリズムを決して損ねていないことも確認できる。言葉本来の姿を歌にしているということができるかもしれない。楽曲制作は歌詞先行ということではなかったようではあるが、武部聡志氏を始めとする作家陣は彼女が紡いだ言葉を尊重し、一方で一青窈は作家陣の創るメロディーを尊重しながら言葉を紡いだのだろう。そう思わせるリリックばかりである。

レイドバックではないサウンド

話は前後するが、最後に『月天心』のアレンジについて述べよう。ここまで本作収録曲を唱歌や童謡、演歌のようでもある…というような形容をしてきた。それを字義通りに捉えるならば、どこか牧歌的というか、素朴というようなイメージとなるかもしれない。ややもすると、いなたいと感じる人がいるかも…というのは少し意地悪な見方だが、あながちないとも言えないようにも思う。だが、しかし…である。M2「もらい泣き」を始め、M1「あこるでぃおん」、M6「月天心」、M9「アリガ十々」などのサウンドには、少なくともレイドバックをまったくと言っていいほど感じないのである。そこも『月天心』収録曲のポイントではないかと思う。

ガムラン風のパーカッション的な音色から始まるM2にしても、その背後にはちょっとポップな電子音を絡ませることでエスニックさに傾斜しないようにしているようだし、そもそもリズムトラックはヒップホップ的と言ってよく、全体には同時代的なシャープがある。スパニッシュなギターも聴こえてくるけれど、Bメロでエフェクトがかかったコーラスを加えることで、無国籍かつ時代を感じない雰囲気に仕上げているのだろう。

M9「アリガ十々」も同様。ピアノの旋律はまさに唱歌を思わせるもので、アナログ盤のノイズのようなエフェクトもかかっているので、そこだけで見たらあえてアナクロを狙っているようだが、終始、楽曲に寄り添っている電子音と打ち込みのリズムが、いい意味で素朴さを打ち消しているように思う。

そうかと思えば、M5「犬」では根岸孝旨氏のアレンジらしいと言うべきか、ゴリゴリのギターリフが引っ張るハードロックを見せていたり、M6「月天心」ではストリングスを前面に出しつつも、基本はバンドサウンドで固めているといった具合に、ロックなアプローチも見せている。M7「ジャングルジム」は若干サイケな匂いをさせつつ、あれはまさに2000年代のロックバンドのテイストだろう。

また、M3「sunny side up」、M4「イマドコ」はR&B;的なトラックメイキングである。大らかさと郷愁感のある歌メロが本作のメインであることは間違いないだろうが、シンプルにそれに呼応しているサウンドはM1「あこるでぃおん」くらいなもので、他は意外と奔放というか、型にハマってないものばかりである。そこも本作の特徴であろうし、それは一青窈という新人シンガーの可能性、汎用性を広く持たせる意味があったのではないかと思う。そこがとてもデビュー作らしく感じる。

TEXT:帆苅智之

アルバム『月天心』

2002年発表作品

<収録曲>
1.あこるでぃおん
2.もらい泣き
3.sunny side up
4.イマドコ
5.犬
6.月天心
7.ジャングルジム
8.心変わり
9.アリガ十々
10.望春風

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