取材・撮影・執筆!スポーツ新聞の制作を通してジャーナリズムを体感 江戸川大学のマス・コミュニケーション学科の実践教育

江戸川大学のメディアコミュニケーション学部マス・コミュニケーション学科では、実践を重視した授業を展開している。その取り組みについて、学科長の神田洋教授(ジャーナリズムコース担当)に話を聞いた。

マス・コミュニケーション学科では、神田教授のゼミ生を中心に江戸川大学の強化指定部となっている運動部を取材し、年に一度、その活動について江戸川大学スポーツ新聞『スポエド』で発表する。

「学外の人間に読まれるもの。という前提がとても重要です。学生が書いているスポーツ新聞で、そんなに多くの反応があるわけではないですが、それでも『世に出す怖さ』は、学生もすごく感じているようです。出す前に本当にこれでいいかな、本当にこれでよかったのかな、と自分に問い直すこと。それがとても大事なことだと思います」と、神田教授は話す。

新聞の制作にあたっては、担当する部を決めて、学生それぞれが番記者となりその活動を追いかける。自分が担当する部の紙面を構成から考え、担当記者グループで、取材、写真撮影、記事を執筆、素材をまとめ、紙面に仕上げるという流れだ。

紙面は、スポーツニッポン新聞社の協力を得て、事前に記事やレイアウトを送ってやりとりをしながら、最後は実際に整理部(紙面の編集・デザインなどを担当する部署)の紙面をつくる専用のコンピュータを使わせてもらって仕上げる。スポーツ紙は一般紙と違うダイナミックな独特のレイアウトが魅力だが、それには専用のソフトが欠かせない。

紙面のつくり方については、スポーツニッポン新聞社で江戸川大学を担当するデスクから事前に講義を受ける。そこで見せてもらうのは、実際の新聞サイズの紙に写真を切り貼りして手書きで仕上がりをイメージしてつくったものだ。IT化が進んだ今でも、現場では、実際に手書きのラフを制作しているということも、学生には新鮮で、そのプロセスをプロから直に学べる貴重な機会となっている。

写真、撮影についても、新聞協会賞や写真記者協会賞を受賞しているフォトグラファーの講義を受ける。特にスポーツ写真は、機材はもちろんのこと、競技のルールや流れなども知っていないと撮影できない専門性の高さが求められる仕事だ。

「スポーツ紙は、誰もが気軽に言及できて、エンターテインメントとして楽しんで読んでもらえたらそれでいい。しかし、学生に間違って欲しくないのは、カジュアルなものをカジュアルにつくってはダメだということ。それは伝えています」と神田教授は言う。

例えば、お笑いの台本を書く側の人間がいい加減に書いていたら、絶対に人を笑わすことはできないのと同じで、つくる側がカジュアルに肩の力を抜いてつくったらそれで終わり。政治であれ、経済であれ、スポーツであれ、芸能であれ、真剣に労力を注いで取材してつくらないと、カジュアルに楽しんでもらうことはできない。それはモノづくり全般に共通する事実ではないだろうか。

3,500部ほど印刷される『スポエド』は、高校やオープンキャンパスなどで配布され、あっという間になくなってしまうという。

この他にも、神田ゼミでは、流山ラグビークラブの活動に賛同し、地域貢献活動の一つとして、イベント開催のサポートや公式サイト用の写真撮影、記事執筆など広報的な役割も担っている。

ウェブサイトで流山ラグビークラブに関する記事を出すとき、神田教授は記事をチェックして、その記事の事実関係の間違いを学生にフィードバックする。

「間違いを指摘されるのは、学生にとってものすごいストレスだと思いますが、軌道修正は大事なことです。書けなかった失敗や世の中に出なかった失敗はいい。でも、書いて出てしまった失敗には、絶対に書かれて影響を受けた人がいるわけです。もし、事実と違う記事がそのままウェブサイトに載ってしまったらどうなるのか?独善的にならずにそういう感覚を常に持って取り組んでもらいたいと思っています」

世の中には、伝えていかなければいけないことがある。そのことで、誰かを傷つけるかもしれない。しかし、一方でその言葉によって救われる人がいるのもジャーナリズムの事実。だからこそ、そのプロセスが一番大事なのだ。ジャーナリズムにおける公正とは両方の意見のバランスを取ることではなく、公正な手法でつくられた記事、公正な手法でつくられた映像、つまり公正な取材をしたかどうか、そこに尽きる。そして、それを常に振り返ることが大切だと神田教授は話す。

「手法は振り返ることができるものですから、学生には、常のそのことを意識して実践して欲しいですね。大学として学生を送り出す以上、最低限、現在のメディアの仕組みやその知識の修得に加えて、『直当たり』『言質を取る』など、記事を書くにあたってジャーナリズムの基本となる取材の手法や作法が何であるかは理解している学生を送り出したいと思っています。

新聞社やテレビ局などのマスメディアが『公正』『中立』『正義』といった理念を掲げていますが、理念は、決してジャーナリズムか否かを決める定義にはなり得ません。公正な手法でつくられたものだけがジャーナリズムというだけの話です。学生時代に繰り返し説かれたメディアリテラシーや公正さの話が、学生の心のどこかに残り『ジャーナリズムとは何か』を問い続けられる社会人になって欲しいと思っています」

この夏、神田ゼミの3年生は、8月8日~14日に開催された『高円宮賜杯 全日本学童軟式野球大会 マクドナルド・トーナメント』の全国大会を取材した。記事や撮影写真は情報サイトOVO(オーヴォ)に掲載、Yahoo!ニュースなどをはじめとする多くのネットメディアでも配信された。『スポエド』の取材・制作とは違って、取材から執筆、アウトプットまで常にスピード感が求められる現場での緊張感が、学生をさらに成長させたに違いない。

新聞をつくったり、広報的な役割を担ったり、大会の取材記事をアップしたりと、直に現場に行って経験することが、マス・コミュニケーション学科が掲げる「正確にとらえ、的確に伝える」ことにもつながっていく。特に学生時代に取り組む「モノづくり」は、努力する機会を与えてくれる。見えないゴールに向かって努力を続けることは普通の人にはなかなか難しいものだ。

新聞制作などのような「モノづくり」は、ゴールが見える分、努力がしやすく、学生も多少厳しいこと言われたり、やり直しをさせられたりしても、ゴールに向かっている実感があるから頑張れる。ゴールが見える学習、それが実践教育の魅力の一つでもある。

神田教授は、スポーツを通した教育、そして学生について以下のように話した。

「スポーツは学生にとっては、とっつきやすい対象だと思います。だから、スポーツを通して、楽しいことも厳しいことも勉強して欲しい。スポーツを軸に考えることで、歴史や社会学的なこともわかり、他にも面白いことがすごくたくさんある。

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