「世界一危険な米軍基地」から爆音が消えたのはなぜか? 沖縄を訪問した天皇陛下が見たのは「非日常」だった

国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭の開会式に出席された天皇、皇后両陛下=2022年10月23日、沖縄県宜野湾市の沖縄コンベンションセンター

 天皇陛下が即位後初めて、皇后さまと共に沖縄を10月22、23日に訪問された。沖縄は太平洋戦争中、日本で唯一の地上戦を経験し、民間人も含めた多くの人々が犠牲になった場所。このため、平成の時代に上皇ご夫妻が培った戦争犠牲者慰霊をどのように〝継承〟するかが注目された。しかも、両陛下の宿泊先ホテルは、「世界一危険な米軍基地」と称される米軍普天間飛行場のすぐ近く。輸送機オスプレイをはじめとする米軍機が常時すさまじい轟音を響かせ、会話も睡眠もままならないところで、両陛下は何を感じるのだろうか。
新型コロナウイルス禍で皇室の地方訪問が制限された後、どのように復活したのかも気になる。現地を回ることで見えてくるものがあるのではないか。そう考えて勝手に「同行」することにした。(共同通信=大木賢一)

普天間飛行場に駐機する米軍輸送機「オスプレイ」=10月23日、沖縄県宜野湾市の嘉数高台公園展望台から

 ▽平和祈念公園訪問は「恒例行事」
 10月22日午後1時前、両陛下を乗せた特別機が那覇空港の滑走路に降り立った。私は1時間以上前に着いていた。到着を迎える人々の様子も見たかったが、鉄道のない沖縄では、移動する「足」が制限され、訪問先に間に合わなくなる。やむを得ず先回りした。
 最初の訪問先は、沖縄本島の南端・糸満市摩文仁にある平和祈念公園。両陛下が真っ先にこの地に向かったことを重要視し「上皇さまを継承する姿勢を鮮明にした」などとする報道もあったが、それはうがちすぎだと思う。というのも15年前に秋篠宮さまの沖縄訪問に同行した際も、まず摩文仁に向かい、国立沖縄戦没者墓苑で花をささげていた。秋篠宮さまの当時の主目的は「アジア学術会議」の出席だった。皇室の方が沖縄入りする際、最初にこの地を訪れることは、すでに確立した慣例になっていると言った方がいい。
 摩文仁への道すがら、私は沖縄戦で学徒動員された犠牲者の慰霊碑「ひめゆりの塔」の前を通過した。皇室を語るとき、この場所は避けて通れない。1975年、皇太子だった上皇さまが美智子さまと共に訪問した際、火炎瓶を投げつけられる事件があった場所だ。この日は修学旅行生とみられる一団など、多くの人が見学しているようだ。すぐ前にある食堂は地元客や観光客で賑わっていた。今回、両陛下はここを訪問しない。

国民文化祭への天皇、皇后両陛下の出席に反対するデモ隊=22日午後、沖縄県浦添市

 ▽一般人は公園自体に入れず
 平和祈念公園に到着し、中に入ろうとしたが警察官に止められた。この日は公園全体を休園扱いにしているため、一般人の立ち入りはできないという。仕方なく公園の入り口辺りに設置された「奉迎場所」で両陛下の到着を待った。待機できるスペースは、ある程度の広さがあるが、私のほかには4人しかいない。
 「奉迎者がこんなに少ないのか」と驚いた。これには一応、原因がある。行幸啓の行程は、地元住民らに事前に知らされることが多いが、今回はコロナ対策で密集を避けるため、行動の詳細が伏せられている。よほどアンテナを張っていないと、どこで待てばいいのか分からない。ただ、この点を差し引いても少ないと感じた。これまで天皇や皇后の地方訪問を数知れず見て回ったが、沖縄には何か他の県とは違うものがあるように感じた。
 ここへ来る途中も警官ばかり目立ち、一般人は見当たらなかった。空港での到着の様子を見た別の記者に尋ねると、出迎えた人は100人足らずだったという。「天皇皇后そろい踏み」を待つ人出としては、少ない。
 隣にいた50代の女性に話しかけてみると、「たまたま来たら天皇陛下が来るというので、せっかくだから見ようと思って」。皇室には特に興味もないという。
「人が少ないですね」と水を向けると「やっぱり沖縄は地上戦の歴史があるから、ほかの県と違うのは当然じゃないですか」と話してくれた。
 天気予報では雨だったが、実際はよく晴れて最高気温も30度近く。汗を拭きながら待っていると、白バイに先導された「御料車」が現れ、窓から両陛下がにこやかに手を振って公園の中へと入っていった。集まった人は最終的に50人ほどだっただろうか。

沖縄戦犠牲者の名前が刻まれた「平和の礎」を訪問された天皇、皇后両陛下=22日午後、沖縄県糸満市の平和祈念公園(代表撮影)

 公園で両陛下はまず「沖縄平和祈念堂」を訪れ、次に戦没者墓苑で白いユリを供花したという。実際に見ることができなかったので、翌日の新聞で読んだ話だ。両陛下は供花の後、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなった全ての人々の氏名を刻んだ記念碑「平和の礎」と「沖縄県平和祈念資料館」を視察して公園を後にした。両陛下と対面した遺族らは報道陣に「上皇ご夫妻のお心を引き継いでいらっしゃると思いました。遺族としてありがたいと思っています」などと語ったという。

国立沖縄戦没者墓苑を訪れ、遺族に声をかけられる天皇、皇后両陛下=22日午後、沖縄県糸満市の平和祈念公園

 ▽「すぐそこにある基地」
 翌日は日曜日。沖縄訪問の主目的である「国民文化祭」の式典は、両陛下が泊まった「ラグナガーデンホテル」と同じ敷地内にある宜野湾市の「コンベンションセンター」で行われた。
 

天皇、皇后両陛下が宿泊し、昼食を取ったラグナガーデンホテルと、警備する警察官=10月23日、沖縄県宜野湾市

 午後1時前、開会式を終えた両陛下が出てくるところをみようと、センターに向かって歩いたが、300㍍以上も手前で制止された。式典関係者以外はこれ以上先には入れないという。仕方なくホテルの方向へ行くと、敷地の内側を走る両陛下の車列が見えた。
 式典の後、両陛下は昼食のためホテルに戻ったが、一般道は走行せず、前日と同様、ホテル玄関周辺への一般人の立ち入りも禁止。通常の地方訪問でコロナ前はよく見られていた「奉迎者へのお声掛け」がないどころか、人が集まることさえできない。「国民との交流」の完全復活には、まだまだ壁があると思わざるを得なかった。
 空いた時間を使って、宜野湾でぜひ行ってみたいところがあった。市内全域を見渡せる「嘉数高台公園展望台」だ。登ってみると、眼下に密集する市街地が広がっており、その奥に普天間飛行場の滑走路が一望できた。駐機場にオスプレイが整然と並んでいる。そのまま目を左に移すと、海辺に白い建物が立っているのが見えた。

展望台から望む普天間飛行場。右端にオスプレイの駐機場、左端にラグナガーデンホテルが見える=10月23日、沖縄県宜野湾市

 両陛下が今まさに昼食を取っているだろう「ラグナガーデンホテル」である。「近い…」と思わず声を漏らした。
 展望台で、双眼鏡を手にしてパソコンを操作している男性に出会った。望遠レンズを付けたカメラと無線機を使ってオスプレイなどの動きを監視しているのだという。話しかけると、驚くべきことを教えてくれた。
 「朝から見ているが、今日はオスプレイが一機も飛んでいない。日曜で訓練が少ないせいもあるが、少なくとも天皇があそこにいる限り、米軍がオスプレイを飛ばすことは絶対にないだろう」
  この男性の見立てが正しいのかどうかは分からない。だが、両陛下が宜野湾に滞在していたこの2日間、私も軍用機の爆音を耳にすることは一度もなかった。

 もう一度眼下に目をやると、やはり滑走路とホテルは近い。米軍機が一機でも飛べば、騒音が聞こえないはずがない。これだけ近くまで来ておきながら、実は天皇は沖縄の「本当の日常」にはちっとも近づいていないのではないか。そんな思いが消せなくなった。空を覆っていたのは、軍用機の爆音ではなく、両陛下を警備する沖縄県警ヘリのホバリング音だけ。「弱い者に寄り添う皇室」「国民と共に歩む」―。上皇夫妻の時代から標榜されてきたそんな言葉が、実は虚しいもののように思えた。

嘉数高台公園展望台にあった案内板。左端の丸で囲まれたところが沖縄コンベンションセンター=10月23日、沖縄県宜野湾市

 ▽近づけぬ基地問題
 天皇陛下が宜野湾市を訪れたのは、今回が初めてではない。皇太子時代の2005年、同じコンベンションセンターで開かれた「米州開発銀行総会開会式」に参列している。この日もやはり日曜日だった。一方、2010年7月に全国高校総体のため宜野湾市に宿泊したのは水曜日だったようだが、基地の騒音を体感したのかどうかは、当時の記事からはうかがい知れない。
 

嘉数高台公園展望台の下に立つ石碑=10月23日、沖縄県宜野湾市

 一方で、どちらにせよ、天皇に基地問題への関与を求めるのは、当然ながら憲法上問題がある。「天皇は政治的権能を有しない」と憲法が明記しているからだ。近くに来たからと言って、老人福祉施設などと同じように、基地やその展望台を見学することなどできようもない。「天皇が基地の騒音を体験した」となれば、そのこと自体が米軍基地の問題に政治的影響を与えかねない。
 展望台から降りたところに、「京都部隊激戦死守の地」と刻まれた石碑が立っていた。調べてみると、嘉数は1945年4月、沖縄でも最大級の戦闘があった地だという。沖縄の戦争遺跡はこんなところにもあるのだ。

 ▽火炎瓶投げたのは友人
 タクシーで次の訪問地に向かった。時間があったので、米軍嘉手納基地の広大な敷地も見学した。72歳だという運転手さんと世間話をしていると、皇太子時代の上皇夫妻に火炎瓶を投げたのは「友人だ」と聞かされて驚いた。
「今はどうしているのか全然知らんけど、私も52年前のコザ暴動では石を投げましたよ」と笑う。コザ暴動とは、米軍施政下の沖縄市で人々の不満が爆発し、米軍車両などが焼き討ちされた事件だ。
 米軍基地問題という「日常」が、こんなにも近くにある。基地について尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。
 「反対、反対言ってもどうにもならん。びくともならん。普天間は、平日は朝7時前から軍用機が飛んでいるよ。ラグナガーデンからでも騒音はばんばん聞こえる。天皇?何とも思わんよ。上皇が沖縄に心寄せたと言っても、何とも思わん」
 新聞報道によると、今回の両陛下沖縄訪問を歓迎し、那覇市の繁華街「国際通り」では700人が奉迎パレードをし、「ご来県ありがとうございます」との横断幕を掲げたという。日曜午後に訪問した「おきなわ工芸の杜」では300人ほどの群衆が両陛下に手を振った。歓迎する人も確かにいる。だが、「上皇夫妻が何度も足を運び、県民の心を溶かした。現在の天皇もそれを引き継いでくれてよかった」という通り一遍の見方では尽くせない思いが、沖縄にはあるのだと思う。

コンベンションセンター(左奥)の周辺を交通規制する警察官=10月23日、沖縄県宜野湾市

 今年5月に行われた「沖縄復帰50周年記念式典」で、天皇陛下は沖縄の発展と県民生活の向上を喜びつつ、「一方で、沖縄には、今なおさまざまな課題が残されています」と「おことば」を述べた。その念頭には当然、基地問題もあったことだろう。本当は陛下も普天間の実態を目にしてみたかったのかもしれない。だが、それができないことに、象徴天皇制の限界のようなものを感じずにはいられなかった。「今なお残る課題」。その沖縄の日常と現実にこそ心を寄せる天皇であってほしい。そう思いながら沖縄出張を終えた。

© 一般社団法人共同通信社