次の誰かのためにと綴っています
「がんと働く」私自身も体感していますが、そんなにラクなことではありません。経済条件的なものが整わないとがん治療はできないからです。さらに社会とつながっていないとどんどん自己肯定感も下がり・・・早く戻りたい、これは私の気持ち。焦りもあったと思います。一か月で戻りました。
私の場合は職場で宣言して翌日入院したわけですが、その様子を見ていたものの、ドキュメンタリーなどはなかなか見る勇気がなかった、という後輩の声を聴きました。
やはり、まだ触れづらい、という空気がある。さらにメディアの押し付けともいえる、元気な患者さんの話じゃなくて、亡くなる患者さんの話や放送が多いという現実がその空気を作ってしまっていることは否めません。(だから微力ながら日々発信しているのです・・・)
元に戻った気分で働くと次の朝がやってくる、それでここまで歩いてきました。でも自分自身は自覚していなくても、パフォーマンスが思ったよりも上がらず、入院した年の評価は正直上がりませんでした。聞いたときはへこみました。
評価って本当に難しいと思う。それでも次があるじゃん、と励ましてくれた人たちに感謝をしています。
やはりがんを隠したい、知られたくない、というのは自然な感情。さらに体調不良や、周りからの重圧や申し訳なさで(思いこんでいる場合もあるとは思いますが)自ら休職・退職をした方ももちろんいらっしゃいます。しかし、問題なのは続けたいのに続けられない方がいること。
SODANEのフォームにはこんな声が寄せられています。
『がんにり患した、といったらいつ退職するのか聞かれた』
『がんが治るまで仕事を辞めた方がいいのではと言われた』
『ギリギリの人数で仕事をこなしているので後ろめたい。会社はよくてもクライアントの理解は得られない』
『過度の心配で仕事の量が激減』
『休職と同時に降格し、戻れない』
『休職については配慮してもらったが、治療後の昇進はなくなった。配慮していると伝えられたがそれは差別だ』
『求職活動をする中でがんサバイバーと伝えたら、「健康な人の応募があるかもしれないので返事は待ってほしい」』
『フリーランスだが、新規の仕事が激減した』
『非正規雇用の職員は過去にそのような事例がなく、労働環境の交渉に乗れなかった』
『上司に説明、許可を得て職場にもメールしたら、病気の話が聞きたくない、とか嫌な気分になるとクレームが殺到』
最終的にはがんに対する思い込みといいますが、知識のなさからくる無理解の山です。
この意識をどう変えたらいいのか、サバイバーのみなさんがどれだけ日々苦労されているのかをおもんぱかります。
と・・・ここまで書いてみなさんにどうせみんなそうなんでしょ、と思い込みを増やしてしまっているのではと心配しています。
『上司に理解があり、復職後も半日を有休にしながら働けた』
『上司の方々からの理解と支援があり、復職。実は周りは病名も知らないけれど、配慮してくれていることを感じる』
『自分が病気になったら助けてね、と言われて、助けてもらっている』
という声もあるのでこうした企業が大きくても小さくても増えてくることを願ってやみません。
ご自身が会社に残ることで組織の意識を変えようと頑張ってくださっている方もいる。存在を示すことでその一歩が次の人の一歩になるのです。
そして、隠すことのデメリット、公表するメリットが注目されるようになっては来ていると思います。
しかし、少し進んだ会社であっても『どこまで公表するか悩んだ』、『周りの気遣いほどに自分が仕事で返せなかった、ミスで足を引っ張ることがあり、つらかった』という副作用などが理由のご自身は頑張ってはいるけれども術前のパフォーマンスを発揮する難しさも隣りあわせではあります。
でもこれも解消できる可能性がある。こうした声を適切な支援につながるように考えていかなくてはいけません。
まずは、「がんを学び、がんに対する思い込み」変えてみませんか?
阿久津友紀(乳がん患者)
10月30日(日)午後2時 屋上 『ピンクリボントーク』【丸広百貨店 川越店(埼玉)】
『おっぱい2つとってみた がんと働く、生きる、伝える』(発売中)