「風来坊になって」歌手生活50周年 あがた森魚、松田聖子もカバーした「歌」の原点、公園で音楽集会も

伝説の音楽レーベル「ベルウッド・レコード」の設立50周年記念コンサートが11月11日に東京・中野サンプラザホールで開催される。1972年に同レーベルの第1弾アーティストとして「赤色エレジー」でデビューした、あがた森魚も出演する。74歳となった今年9月には、これまでリリースしたアルバム57枚、733曲がサブスク解禁。半世紀という節目を受け、現役として今も精力的に活動する音楽界のレジェンドに「歌」という自身の原点について聞いた。

今年発売された61曲入りの4枚組ベストアルバムが「ボブ・ディランと玄米」というタイトルになった通り(※玄米は精白されていない状態)、音楽の原点は函館の高校時代に衝撃を受けたディランの名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」だった。

大学進学で上京後、盟友・鈴木慶一らと組んだ音楽活動からプロデューサー・三浦光紀氏にスカウトされ、同氏が立ち上げた同レーベルの第1弾シングル「赤色エレジー」が60万枚を売り上げる大ヒットに。その後はニューウェーブ(70年代後半-80年代前半、主に英国発で隆盛となった既存のロックを脱構築したジャンル)、アルゼンチンタンゴ、アルジェリアなど世界の民族音楽といった多様な音楽性を取り込んだ作品を量産したが、どんな意匠をこらしても、その背骨には「あがた印」が刻まれていた。

「既存の価値観への問いかけって言うとかっこよすぎるけど、どこかで、音楽を介した理想主義のようなことを実現したいという思いと同時に、ごく普通の庶民と自分の立ち位置との対比をしてみたいという思いは強くあった。それは、今もそうだけど、歌うことしか答はない。なぜ歌っているのかということをリアルに表明しなければ、表現の立ち位置はない」

「歌」にこだわる姿勢は、自作曲だけでなく、カバー曲が多い点にも表れている。例えば、今回のベスト盤に収録された守屋浩の「僕は泣いちっち」、はっぴいえんどの「はいからはくち」、早川義夫の「サルビアの花」、松田聖子の「風立ちぬ」、辛島美登里の「サイレント・イブ」など、オリジナルを大胆なアレンジや歌唱、演奏で換骨奪胎して「あがた色」に染めた曲を「歌い手」に徹して歌う。

「ボブ・ディランを聴いた瞬間から、原稿用紙に文字を書くより、歌うことの方が早いし、インパクトあると思ったんだよね。ディランが登場していなかったら俺は歌っていなかったと思う。シンガー・ソングライターとかミュージシャンといった肩書はあるけれども、自分は歌手なんだと。歌手とは歌うことによって全ての答を出すということを大事にしたい」

コロナ禍以来、「タルホピクニック」と称する音楽集会を主催。敬愛する作家・稲垣足穂の月命日である26日を目安に、東京・北区王子にある飛鳥山公園でプロアマ問わず、数十人の参加者がさまざまな楽器を演奏し、歌い踊りながら練り歩く。9月に東京・渋谷で開催された50周年ライブの最後は、そのメンバーたちがステージを自由に歩くという大団円で幕を閉じた。

「自分の中には『まだ先があるぞ、終わってないぞ、走ってるぞ、旅してるぞ、答は出てないぞ』という意識がある。粛々と『50周年をやりました』では終わらせたくはなかった。完成したら未来はないぞと。遊び心や未完成の部分と共に、50年前の自分を見せたいという気持ち。ゲタを履いて大橋巨泉さんの『11PM』に出た時と一緒で、演出して狙ってるんじゃない、瞬間性みたいなものを今も選んでしまう」

11月のベルウッド50周年コンサートに向けては「よくみんな、ここまで頑張ってやって来たなと。60年代からの音楽活動というものが(日本の音楽シーンに)大きな意味を持ってきたわけで、それを担ってきたのはすごいなと。その人たちの音楽を一堂に聴けるというのはすごいことだと思います」と感慨を込めた。

そして、この半世紀を思う。「僕にとって、どうやって『赤色エレジー』をグリアしようかという50年の歴史でもあった。ニューウェーブ、タンゴ、ワールドミュージックをやってみたりとか、そこには新しいもの、次にやりたいものが本質的にあって、赤色エレジーというフィルターを通して、いつも自分を乗り越えようとしていた」。音楽を志した時、父にかけられた言葉が「人殺しと、人を支配する側の職業にさえ就かなければ、何をやっても自由だ」。その生き方を選んだら、「風来坊になって、やって来られた」と笑う。

「あと5年歌うか、10年歌うか分からないけども、残り(の人生)で『あがた森魚とは何であったのか』を証明したい」。終わりのない旅の途上で前を向いた。

(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)

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