失われた風景と記憶 VR映画「諸行無常」

ジャカルタの街の変遷を描くVRアニメ映画「諸行無常」(Penggantian/Replacements)が南ジャカルタ・クマンのアートスペース「ディアログエ」で上映中だ。牧歌的だった1980年から、モスクとコンビニが乱立する現在に至るまで。街の変化をVRで実体験しながら、変化の中で失われたものが見る者に突き刺さる。日本の京都を拠点に活動するジョナサン・ハガード監督に、作品に込めた思いを聞いた。
(文と写真・知る花、作品のネタバレがあります)

監督のジョナサン・ハガードさん(2022年10月29日、ディアログエで)

雨が降っている。雨は空から真っ直ぐに落ちて来て、葉の敷き詰められた地面を濡らす。竹林が揺れる。目の前には家がある。見上げると、ペンジョール(ヤシの葉で作った飾り)が高く高く空へと伸びてから、こちら側へと垂れ下がっている。雨が上がり、凧を持った子供が路地を走って来る。子供の後ろで凧がひらめいている。

(胸が締め付けられるような懐かしい風景。前を見たり、後ろを見たり、上を見たり、下を見たり。360°の景色を眺めているうちに、風景がいつの間にか切り替わっていく)

スハルト大統領の横顔の描かれた大きなプロパガンダ看板が消えた、と思ったら、メガワティ氏の闘争民主党の赤い旗が翻る。民主化時代の始まり、1998、99年のころか。

後ろを振り向くと、路地の反対側にあった家がいつの間にか取り壊されていて、瓦礫の積まれた空き地へと変わっている。空を横切るのは、ペンジョールに代わって、電線の分厚い束だ。その電線の向こうに高いビルが建ち始める。遠景にもビル群の姿が目立ってくる。そして増殖するモスク。

瓦礫が積まれていた空き地に、空を圧するばかりの巨大なモスクが建った。ブルカ姿の女性が歩いていたり、鶏粥の屋台が「100%ハラル」のケバブ屋に変わったり、イスラム色が強くなっていることをうかがわせる。そしてついに、ずっと目の前にあった家が取り壊されて、なくなってしまった。またもや激しく雨が降る。路地は洪水だ。たくさんのゴミのほかに、古い家に飾られていたワヤンなども一緒に流されて行く。

ふと気が付くと、コンビニの中にいる。品物が整然と並ぶ、きれいな店内。向かい側の巨大モスクには「広告募集中」の電光掲示板。オンデルオンデル(ブタウィの張りぼての人形)が店内をのぞいて立ち去って行く。

「諸行無常」はジャカルタの街の物語

激しく街並みが変遷する中に身を置いていると、変わってしまった後で、それ以前の風景がどんなだったか思い出せないことがある。知らないうちに、街はどんどん変わっていく。風景が、その風景の中に生きていた記憶が、どんどん失われていく。そうした感覚が、映画の中に、非常にリアルに表現されていた。

制作したのはジョナサン・ハガードさん(36)。父はフランス人、母はジャワ人。フランス生まれで、英国やジャカルタで働いた後、2014年に京都へ拠点を移し、アニメーター、映像作家として、国際的に活躍中だ。

祖母はジャワ人なので、ルーツがとても大事です。未来を知るためにはルーツを知らないといけない、というのは祖母の教え。「昔のルーツの記憶がなくなると、未来がわからなくなる」というのが、この作品の大事なメッセージです。

ジョナサン・ハガードさん

「諸行無常」は2017年に絵コンテに取りかかり、2018年から制作を始めて2020年に完成。インドネシア、日本、ベネチア映画祭など世界各地で上映され、日本初のVRに特化した国際映画祭「Beyond The Frame Festival」でグランプリ、日本の文化庁メディア芸術祭のエンターテインメント部門優秀賞など、数々の賞を受賞した。

観客の反応は様々だ。ジャカルタでの上映では「悲しい」と泣いている人もいたと言う。「私の村は昔、まさにこんな感じだった。それが今では、コンビニに、ゴミ。変わってしまった」。バリでの上映では「昔のジャワは、バリと同じだ。そして将来、バリもこれと同じ風になるかもしれない」と危機感を募らせる人も。

日本の上映では、最初のシーンは懐かしさをもって受け止められるそうだ。「どこの村ですか?」「沖縄の実家みたい」と言った人もいる。そして最後は「やっぱり日本っぽいですね。諸行無常ですね」。一方、トルコでは、「最初のシーンは知らない世界。エキゾチックで、行きたくなる、あこがれの世界。それが、最後のシーンでは、トルコっぽくなってしまった」。

作品の絵コンテ

映画の舞台となっているのは、フィクションの場所だ。ジャカルタの風景の中に、ソロにある祖母の家を移した。昔のジャカルタの様子は、YouTubeなどで動画を見たほか、子供のころからの記憶をたどった。登場人物のモデルは、祖母やおばさんといった自分の家族ら。

最後、古い家がなくなって巨大モスクがそびえ立ち、街は洪水、というシーンは、なかなかに衝撃的だ。その後で、コンビニでのシーンに切り替わる。この最後のシーンを決めるのには時間がかかったと言う。

洪水にモスクだと「世界の終わり」っぽすぎる。平和なシーンを使いたくて、コンビニはちょうどいいかな、と。洪水、テロ、地震、選挙の後とか、いろいろ大変でも、次の日にはみんな、普通に買い物に行ったりする。

ジョナサン・ハガードさん

モスクの「広告募集中」の電光掲示板といい、「最終的には経済活動」というのが皮肉ではあるが、そこにインドネシアらしさもある。「問題が多くても、平和。カオスだけど、怒らない。それがインドネシアっぽい」。

最後のシーンで、オンデルオンデルが出て来るのも重要だそう。「失われたように見えて、まだ昔の文化は路地に残っている。それもまたインドネシアらしい」とジョナサンさん。

日本語でインタビューに応じてくれたジョナサンさん

通常の映画ではなく、VR映画にした理由は、「インドネシアのことを全然知らない人、インドネシアの宗教や政治について知らない人に、インドネシアのストーリーは語りにくい。家族のドキュメンタリーも語りにくい。VRでリアルに体験してもらうのがいいと思った」。

360°の世界なので、前でも後ろでも、あちこちで、いろんなことが起こっている。これは、ジョナサンさんが大好きな浮世絵のイメージでもある。「浮世絵はメインストーリーがなく、いろんなストーリーがある。これも、360°見られる映画みたいにして見てほしい」。

準備中の次作のうちの一本は、バリ島が舞台で、バリで制作中。「バリの文化や自然がなくなったら、人はどうなるか」がテーマだ。

VRゴーグル、ヘッドセットを付けて見る

「諸行無常」(2020年、12分)
2022年11月15日(火)まで
Dialogue(Jl. Kemang Selatan No.99A, Jakarta Selatan)
11:00〜20:00
無料

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参照

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