医療的ケア児の子育てで母親にのしかかる重い負担、その時父親は…。同僚や妻に負い目、打ち明けられない悩み

 日常的に人工呼吸器やたんの吸引などが必要な医療的ケア児。2021年にケア児や家族を支援する法律ができたことを契機に、子育てする母親の重い負担が知られるようになった。母親と比べてクローズアップされない父親の取材を進めると、同僚や妻に負い目を感じ、悩みを容易に打ち明けられない姿があった。ただ、ケア児と長年過ごしてきた父親は「新たな幸せの形を知った」とも語る。苦労の先で得たものとは。(共同通信=沢田和樹)

全国医療的ケア児者支援協議会で親の部会長を務める小林正幸さん(左)と長男の大地さん=9月25日、横浜市

 ▽口を閉ざす父、離婚に至るケースもある

 医療的ケア児は全国で約2万人が暮らしている。医療の発達により、重い病気や未熟な状態で生まれた子どもの命を救えるようになり、増加傾向だ。その半面、受け入れ体制の整った保育所や学校は少ない。
 「全国医療的ケア児者支援協議会」の調査では、家庭で主にケアを担うのは9割が母親だ。「男は仕事、女は家庭」の意識が社会に根強く、男女の収入格差も相まって、母親が仕事を辞めざるを得ないケースが目立つ。一方、父親の9割は仕事を続け、通院などでかさむ経済的負担を背負う。
 支援団体に相談を寄せるのも母親が多い。「ウイングス医療的ケア児などのがんばる子どもと家族を支える会」の本郷朋博代表(40)は、父親と接する機会が少なく、悩みを把握しにくいと感じていた。本郷さんは「母親からも『夫が何を考えているか分からない』と聞く。意思疎通がなく互いに精神的にまいってしまい、離婚する例は少なくない。そうなると母親の負担はさらに大きくなる」と指摘する。
 厚生労働省が2020年に公表した実態調査には、父親から「仕事が忙しく思うようにケアができない」「父親が介護することに偏見を感じる」「愚痴をはき出せる相手がいない」との声が寄せられた。
 本郷さんは「母親が、仕事を辞めるなど無理をすることが圧倒的に多い。一方、父親もそれを分かっているから悩みを抱え込み、ある日パンクして離婚に至ってしまう」と言う。
 父親の支援は、家族全体の負担軽減につながるのではないか。本郷さんはそう考え、「父親が悩みを分かち合う」ためのオンラインイベントを8月に開いた。入院する子どもに付き添う家族を支援するNPO法人「キープ・ママ・スマイリング」と共催で実現した。
 イベントでは、父親の1人が障害児施設や訪問看護師の助けを借りる日々を「いろんな人に頼っています。完璧じゃないけど何とかなりますよ」と紹介した。参加者からは「仕事とケアを両立する様子を聞けて自分も頑張れそう」「周りのママに相談しづらく、男同士で話せる仲間がほしかった」との声が上がった。
 「父親」と銘打たない普段のイベントでは、父親はいても数人なのに対して、この日は参加者70人のうち、父親が半数を占めた。反響に驚いた本郷さんは早速、父親が意見交換するLINEグループをつくり、2回目のイベント開催も検討している。

医療的ケア児の父親が経験を語るイベントで発言する主催者の本郷朋博さん=8月(ウイングス提供)

 ▽知りたかったのは、つらい思いの妻をフォローする方法

 会社員の森田晃将さん(37)は、イベントで経験を語ったうちの1人だ。妻と長男、長女と4人で川崎市に暮らす。長女の成南ちゃん(2)は生まれつき呼吸の力が弱く、口から食事ができない。鼻から通したチューブで栄養を入れ、寝るときは酸素を送る機械を付ける。風邪をひくといつも以上に呼吸が難しくなり、足首に付けたパルスオキシメーターが鳴り続ける。深夜に病院に行くことも珍しくない。
 森田さんと妻は共働き。森田さんは会社の人事部門で勤務し、女性が働きやすい世の中にする必要があると考えてきた。そのため、妻が成南ちゃんを出産後も仕事を続けたいと望んだときは歓迎した。「仕事を失うつらさまで味わわせたくない」との思いもあった。
 日中の成南ちゃんの世話は障害児施設と病院、訪問看護師のサービスを活用している。サービスの利用を調整する「医療的ケア児等コーディネーター」の助けを借り、預け先を確保できた。
 夫婦それぞれが週に2~3回在宅勤務し、施設から送迎車で帰る成南ちゃんを夕方に迎える。必要なケアと家事を書き出し、夫婦で均等に分担している。森田さんは成南ちゃんを「とても大事な存在」と話し、日々のケアに必死で取り組む。
 森田さんは成南ちゃんが生まれた直後、誰にも悩みを相談できず苦しんだ。妻にどう声をかければいいか、どう育てていけばいいか。医師や看護師には相談しづらく、そういう場もなかった。妻と意見が合わず、けんかになることも多かった。
 産後の入院中などに看護師らと話す機会がある母親と違い、父親は相談の場を持ちにくい。森田さんは「知りたかったのは、つらい思いをしている妻をフォローする方法だった」と振り返る。

森田晃将さん(左)と長女の成南ちゃん=9月6日、川崎市(森田さん提供)

 職場では家族のことを理解してもらっている。ただ、同僚より早く退社することが多く「このままで将来希望する仕事ができるのか」といった悩みは消えない。
 森田さんは「自分は褒められたものじゃない」と笑いつつ「参考になれば」との思いからイベントで自身の経験を語った。「今の私なら、2年前の自分に話せることがある。正解は分からないけれど、苦しいときに他の父親の話を聞ければ助けになるのではないか」と考え、今後もイベントに携わるつもりだ。

 ▽いろんなことを諦めた20年「でも、幸せ」

 「医療的ケア児者支援協議会」で親の部会長を務める小林正幸さん(49)は、ケアが必要な長男の大地さん(20)と過ごしてきた。取材すると、育児と仕事の両立で苦闘する中、当初は想像していなかった幸せの形を見つけたと教えてくれた。
 大地さんは生まれつき耳が聞こえず、複数の臓器に異常がある「多発奇形」。腹部の穴から胃に栄養を送る「胃ろう」のほか、腸がほぼ動かないため、便を出すかん腸や腹部のマッサージは欠かせない。
 大地さんは夜に1~2時間ごとに目覚め、家族を起こす。小林さんは「聴力がないので時間の概念を教えられなかった。腹時計に頼るしかなく、おなかいっぱいでないと寝てくれない」と言う。ぐっすり朝まで寝られたことはほとんどない。
 日中のケアや訪問看護師らとのやりとりは妻に任せ、自身は仕事と夜間のケアを担う。小林さんは「先が見えない中、ケアで縛られる生活が20年続いてきた。正直きつかった」と打ち明ける。仕事は2度転職した。前職では上司から「仕事か家庭か選べ」「転勤させれば目が覚めるか」と言われ、限界だと悟った。転職した今も、実績を出す必要を感じている。大地さんの通院などで休む際、負い目を持たないためだ。
 この20年を振り返れば、いろんなことを諦めてきた。緊急時の運転やケアに備え、酒に酔うことはできなかった。何も気にせず妻と外出したい、友人と酒を飲みたい。時間があれば、海外で勉強もできただろうか。小林さんは「なりたかった自分」を思い浮かべつつ「諦めてきたのは妻も同じだから」とつぶやいた。
 一方で、小林さんは強調する。「大地がいたおかげで、幸せな家庭を築けた」。大地さんのケアを巡っては、夫婦で話し合わないと解決できないことばかり。互いを信頼し、感謝しながらここまで来た。小林さんは「家族の在り方を見つめ、互いを尊重する大切さが分かるようになった」と語る。
 大地さんは言葉を話せない。代わりに喜怒哀楽がはっきりし、うそがない。小林さんが大地さんの体をトントンとたたいてリズムを取ると、大地さんは屈託なく笑う。口から少しだけ水を飲めるようになったり、自分でトイレに座れるようになったり。小林さんは、大地さんの笑顔と一つ一つの成長が心からうれしい。
 小林さんは、医療的ケア児を育てる父親にこう伝えている。「今は苦労しても、後で得たものがあると気付くよ」。父親たちが苦労の中でも前を向き、障害の有無に関係なく共生できる「インクルーシブ社会」を前進させることを願っている。

© 一般社団法人共同通信社