相方交代15人以上…お笑い芸人から落語家へ転身 福井出身の元クレヨン伊藤克矩さんが「笑福亭笑生」で再出発

「時うどん」を演じる笑福亭笑生さん=福井新聞社の茶室「閑閑亭」

 福井県出身の上方落語家、笑福亭笑生(しょうき)さん(39)=本名伊藤克矩(かつのり)、永平寺町=が11月、3年間の修業期間が明け(年季明け)晴れて独り立ちする。高校卒業後にお笑いの世界に入り、落語家に転身したのは“異例”の37歳だが「不安はない。18歳の時と同じでわくわくしている」と笑生さん。「福井が題材の落語をつくりたいし、福井で落語の楽しさも広めたい」。目の輝きは、お笑いの道を志したあのころのままだ。

 小学3年のとき、授業中に自分の言葉がウケて笑いが起きた。「体中に快楽の電気が走り」(笑生さん)お笑い芸人を目指そうと思ったという。吉本興業の養成所に電話すると「せめて高校を出てからにして」と諭され、卒業後に養成所に入った。

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 15人ほどの相方と組んでは解散を繰り返した後、2009年に山坊主さんとお笑い芸人「クレヨン」を結成。芸人になり10年近くたっていたが「仕事がなく、舞台すら立てず、自分たちが面白いのかも分からなかった」。迷走していた。

 11年、吉本興業の「福井県住みます芸人」となり永平寺町に戻った。短時間に速いテンポで笑いを取る東京や大阪よりも、一定の持ち時間で笑いが取れる福井の方が水が合っていた。イベントやテレビ出演など活動は順調だったが、15年に相方が引退しコンビ解散。ピン芸人「クレヨンいとう」として活動を続けた。

 イベントの司会など仕事はそこそこあったが、肝心の1人しゃべりで笑いが取れない。このままでいいのか悩んだ。一定の持ち時間内で1人でできるものはないか―。落語だった。その時35歳。弟子入り先を探すも、年齢がネックになりなかなか見つからなかった。

 2年が経過し諦めかけた時、人形を使ったパペット落語を得意とする笑福亭鶴笑(かくしょう)さんの芸に衝撃を受けた。弟子入りを直訴すると「うちの子になるか」と認めてもらった。

 永平寺町から鶴笑さんの元へ通って修業し、大阪・梅田の繁華街で路上稽古もした。県立恐竜博物館を舞台に、恐竜博士と助手が登場するパペット落語もつくった。師匠は足も使って人形を操るが「あれは熟練の技。(その域までは)まだまだ」と芸の深さを語る。

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 鶴笑さんは「遅い入門だったので荒修業もあったが3年間よく耐えた。これからも日々芸に精進し、地元福井を盛り上げ、皆さまのお役に立てるよう頑張ってほしい」とエールを送る。笑生さんは「福井の伝承や昔話を題材にした『福井落語』をつくりたい。やりたいことはたくさんある」と抱負を語った。

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