新聞・テレビが報じない“脱会屋”の犯罪【ルポ統一教会1】|福田ますみ ベストセラー『でっちあげ』で新潮ドキュメント賞を受賞したノンフィクション作家の福田ますみ氏が、「報じられない旧統一教会問題」を徹底取材。第1回目は「“脱会屋”の犯罪」。人為的に“被害者”を作り出し、カネを貪るシステム化された犯罪の構図。彼らの「裏の顔」をテレビは絶対に報じない。

12年5カ月にわたる拉致監禁

「あれはいつごろだったか、どうやってここから脱出できるか、そればかり考えていました。ある日、風呂に入ったら、どこからか微かに子供の声が聞こえる。見上げると、壁の高いところに通風口がある。あっ、ここから叫べば外に聞こえるかもしれない。そう思って、バスタブのへりによじ登って通風口に口を押しつけて、力いっぱい叫んだんです。『誰か聞いてますかあ。ここに監禁されてます! 助けてください、警察を呼んでください!』。
10分ぐらい叫び続けていると、誰かが私の服を乱暴につかんで下に引きずり下ろした。宮村ですよ。おそらく家族が、近所に住んでいる彼に連絡を入れたんだと思います。私は身長が182センチありますが、当時は長期の監禁で体力が落ちていて抵抗できず、それでも、そこらにあった電化製品や家具にしがみついて、それらをなぎ倒しながら、奥の監禁部屋まで引きずられていったんです。宮村はその間、無言でした。悔しかったですよ。全く人間扱いされない。動物以下の仕打ちでした」
後藤徹氏、58歳。旧統一教会、現世界平和統一家庭連合の信者である。

9月上旬、東京近郊のファミリーレストランに現れた後藤氏は、背のひときわ高い偉丈夫である。おもむろに口を開き、淡々と自身の体験を語り始めたが、口調とは裏腹に、その内容は壮絶極まりないものだった。

後藤氏はただその信仰ゆえに、1995年9月から2008年2月まで12年5カ月というもの、最初は新潟市のマンション、次は東京・荻窪のマンションの一室に拉致監禁されていた。いったい、だれがこんなことをやったのかといえば、彼の両親、兄、兄嫁、妹である。

しかし、この拉致監禁を指導、教唆した人物がいる。旧統一教会信者に対する強制改宗を請け負う“脱会屋”宮村峻氏と、旧統一教会を異端と見なして目の敵にし、やはり多くの脱会説得を行ってきた日本同盟基督教団の松永堡智牧師である。

旧統一教会は、1980年代から90年代半ばにかけて、霊感商法やら一度に数千、数万人が参加する合同結婚式などでメディアから散々批判されたが、今年7月8日、安倍晋三元総理が山上徹也によって暗殺されると、二十数年の時を超えて再びその名が人々の脳裏に甦り、すさまじいバッシングの渦中にある。

監禁解放後間もない後藤徹氏(出典:https://ffwpu.jp/news/3936.html)

魔女狩りが横行

「おまえら、ボスを殺されて(旧統一教会に対して)悔しくないのか?」――歌手の泉谷しげるが自民党の政治家に向けて放ったこの一言は、教団が陥った苦境を象徴している。泉谷の言葉自体は、勘違いも甚だしい酷い言い草である。ボス(安倍氏)を殺したのはテロリストであって、教団ではない。

それにもかかわらず、山上の教団への怨念を代弁するかの如く、「犯罪者集団」「反社」「カルト」「邪教」 「反日」などとあらゆる罵詈雑言を投げつけられている。

テレビのワイドショーは、元信者や元二世信者を出演させて、連日どぎつい話をさせては視聴率を爆上げしているが、証言の信憑性に疑問符が付くうえ、20~30年前の古い話ばかりである。

私は、現役の信者や二世信者にも話を聞いているが、彼らは口を揃えてこう言う。 「なぜ、ここまで教団を攻撃できるのか。なぜ、教団を離れていった人たちの話ばかり聞くのか。たしかに以前、問題はあったと思うが、いまは改善されている。献金の強要やノルマもないし、霊感商法をさせられることもない。普通に教会活動をやっている」と。

旧統一教会が、故安倍氏と自民党を叩くための道具として使われていることは明白だが、だからといって、この団体になら何を言ってもいい、何をやっても許されるという空気が蔓延している状況はあまりに異常だ。

若い女性の二世信者は顔を曇らせながら、私にこう漏らした。

「メディアが著作権無視で教団関連の写真をアップしたせいで、そこに顔が写っていた知り合いは、信仰していることが会社に知れてしまい、『お前、信者か』と名指しされて、会社をやめざるを得なくなったんです。私自身も同じような目に遭うんじゃないかと思うと、恐怖を感じます」

魔女狩りが横行している。

武器を持って教会を襲撃、女性信者に手錠をかけ拉致

一方、こうしたバッシングのはるか以前から、信者たちに対する拉致監禁という許しがたい人権侵害が起きていた事実は、あまり知られていない。

1966年から2014年まで、後藤氏をはじめ4300人以上の信者たちが、有形力の行使によってマンションの一室などに閉じ込められ、外部との通信の自由、移動の自由を奪われたなかで棄教を迫られたのだ。基本的人権や信教の自由、内心の自由が憲法で保障されているこの国で、である。

あまり知られていないと書いたが、拉致監禁の実態はカルト宗教に詳しいルポライター、米本和広氏が2008年に著した『我らの不快な隣人』(情報センター出版局)で、初めて明らかになっている。米本氏はそれ以前にも、月刊誌でこの事実を報じている。しかし米本氏は、旧統一教会の霊感商法や正体隠しの伝道については強く批判しており、是々非々のスタンスだ。

最も多い年で375人もの信者が失踪した。1997年には、親族やキリスト教会関係者約20人が白昼、スタンガンや鎖、バールなどの武器を持って教会を襲い、なかにいた信者の女性に手錠をかけて拉致したすさまじい事件も起きている(鳥取教会襲撃事件)。

拉致監禁による被害者の多くは、脱会に応じない限り、何カ月、何年も解放されないため、説得に屈し棄教している。だが、後藤氏は強い信仰心があったため、棄教を拒んだ。それゆえ、彼は12年5カ月という長期の監禁を強いられたのだ。その間の後藤氏の絶望、焦燥、精神的苦痛は察して余りある。

一回目の監禁

後藤氏が旧統一教会に入信したのは、先に入信していた兄の勧めがあったからである。1986年のことだ。ちなみに、妹も同じくこの兄の勧めで入信した。

当時大学生だった後藤氏は、悲惨な事件や戦争が絶えない社会に心を痛め、一方で利己的な自分のことも好きになれず、悩み苦しんでいた。そんな時に出会った統一原理は彼に、一度は見失っていた人生の目的や価値を再認識させ、前向きに生きる指針となった。

ところが翌1987年は、折しも「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(全国弁連)が結成され、「朝日ジャーナル」が霊感商法批判のキャンペーンを大々的に始めた時期である。

後藤氏の両親は子供たちの入信を心配し、当時すでに脱会活動を行っていた宮村氏らに相談、まず兄が父母らにより拉致監禁され、その後、宮村氏らの脱会強要を受けて、数カ月後に兄は脱会した。このことを知らなかった後藤氏は同年10月、父から呼び出されるまま京王プラザホテルの一室に入ったところを監禁されてしまう。一回目の監禁だった――。

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福田ますみ

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