ホテル京セラ新館ができて、うちはますます厳しくなります…震えながら稲盛さんに質問した。「その勇気があればきっとうまくいく」。優しく諭してくれたあの言葉で頑張れた

稲盛和夫氏

 京セラやKDDIを創業し、日本航空(JAL)再建に尽力した京セラ名誉会長の稲盛和夫さん=鹿児島市出身=が8月下旬、亡くなった。日本を代表する経済人になってからも鹿児島を愛し、支えた「経営の神様」。薫陶を受けた人々に、心に残る教えや思い出を聞く。

■SWAN社長・諏訪園厚子さん(69)

 43歳の時、建設業をしている夫が鹿児島県霧島市国分にビジネスホテルをつくり、任されることになった。ずっと専業主婦で経営のイロハも分からない。そんな時に盛和塾を紹介され、2001年1月に入塾した。半年後の例会で、稲盛和夫塾長との「経営問答」があり、登壇の機会をもらった。

 ちょうど近くにホテル京セラの新館がオープンしたばかりの時期。「うちのホテルがますます厳しくなる。どうしたらいいんでしょう」と質問した。緊張で足は震えていた。

 塾長は笑いながら「(私にそんな質問をする)あなたの勇気を買うわ。今のまま素直な気持ちで前向きに努力すればきっとうまくいくでしょう」と優しく諭してくださった。この言葉があったから頑張ってこれた。ホテル京セラの方々とおつきあいが始まり、いろいろ教えていただいた。

 その後も全国各地の例会に足を運んだ。懇親会ではカラオケに興じたり海水浴に出かけたり。水泳は得意だったらしく、沖までぐんぐん泳ぐ姿を覚えている。

 ざっくばらんな場面でよく言っておられた言葉が「ほれさせんかよ!」。社員にほれさせる経営者になってこそ、社員は一生懸命働いてくれる。この社長のためになら自分も頑張らなくちゃ、ついていきたい、と思わせなさい、と。

 誰にも負けない努力で仕事をし、一生懸命、人の面倒をみる。一緒にお酒を飲んだり海辺でスイカ割りをしたり、楽しい思い出もたくさん。行動を伴わないと人の心は捉えられない、という京セラフィロソフィの一つ「率先垂範」の教えが刻まれた。

 今は霧島市のほか鹿児島市天文館でもホテルを経営している。新型コロナ下だが社員も頑張ってくれて売り上げは伸びている。塾長への感謝の気持ちはずっと忘れない。

(連載「故郷への置き土産 私の稲盛和夫伝」より)

盛和塾の「経営問答」に立った時の諏訪園厚子さんと稲盛和夫塾長(右)

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