レベッカ解散から3年!海外進出後の NOKKO が筒美京平に託した真の名曲「人魚」  11月4日はNOKKOの誕生日

レベッカ解散後、世界を目指したNOKKO

「え、NOKKOに京平さんが書いたの?」

1994年3月にリリースされたNOKKOのソロ代表曲でもある「人魚」。当時、初めて聴いたときの率直な感想だ。

NOKKOはレベッカ解散後、1992年から本格的にソロ活動を始めたばかりで、当時30歳。筒美京平は53歳だった。聞けば、NOKKOが筒美に直々に依頼したという。異色のタッグが実現したのは、筒美がかつて郷ひろみに書いた一連のヒット曲をNOKKOが大好きだったからだ。…… なんか、わかる気がする。

ここで、レベッカ解散から「人魚」リリースまでの間、ソロになったNOKKOがどんな活動をしていたのか簡単に触れておこう。

この時期、NOKKOが目指したのは「世界」だった。ニューヨークへと渡ったNOKKOは、1992年3月、屋敷郷太のプロデュースで、最先端のクラブミュージックを採り入れたファーストソロアルバム『Hallelujah』(ハレルヤ)をリリース。国内で50万枚を超すヒットとなった。

翌1993年4月、第2弾アルバム『I WILL CATCH U.』を発売。こちらはDeee-Lite(ディー・ライト)のテイ・トウワがプロデュース。『Hallelujah』よりもさらに無人の荒野に分け入った感じで「攻めてるなぁ」と思ったが、正直なことを言うと「でも、向こうでどれだけ受け入れられるのかな?」とも。

さらに翌5月、間髪入れずに海外デビューアルバム『CALL ME NIGHTLIFE』(日本では3枚目)をリリース。こちらは、一部曲の変更はあるが『I WILL CATCH U.』収録曲を英語で歌ったもので、どんどん海外進出を進めていった。

NOKKOは全米ビルボード誌のダンスチャート入りするなど健闘したが、一方、国内でのセールスはだんだん振るわなくなっていった。最先端のクラブミュージックを意識した作品は、当時の日本ではまだ「早すぎた」のである。

筒美京平に直々に依頼したソロナンバー「人魚」

ここで、冒頭の話に戻る。国内ではセールス停滞の状況で迎えた1994年、NOKKOはニューシングルの作曲を筒美に依頼したのである。驚くと同時に、実はちょっと嬉しくなった私がいた。野球で言うと、メジャー帰りの日本人選手に「お帰りなさい」という感覚だろうか。

おそらく、NOKKOは海外に出たことで、自分の依って立つところがどこなのかを、あらためて見つめ直したくなったのではないか。「日本でソロのヒット曲を出したい」という思いも当然あったと思う。それならばヒット職人・筒美京平の出番だ。

2020年10月、筒美の訃報が報じられたとき、NOKKOは自身の公式SNSにこんな追悼メッセージを寄せている――

「つい2日程前に筒美さんの事を思い出していました。『人魚』を作曲していただいた時、ホテルのロビーで打ち合わせした際に『もっとどんどん曲を頼んで欲しい、プレッシャーの中で名曲は生まれるんだ』とおっしゃっていたことです」

筒美京平という人は、様々なシンガーからの依頼を引き受けることで、自分のキャパの限界に挑戦しているところがあった。おそらく、NOKKO自身もそうだったのだろう。「京平さんと組むことで、自分がどれだけやれるのか試してみたい」…… 限界への挑戦は、別に海外に行かなくてもできるのだ。

仕上がった平成のスタンダードナンバー。テイ・トウワと清水信之も参加

筒美はこういうとき、がぜん張り切る。平成の新たなスタンダードナンバーを創ろうと意欲を燃やし、完成した「人魚」は素晴らしい作品になった。NOKKOの詞も秀逸だ。冒頭の「アカシアの雨」は、言うまでもなく西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」へのオマージュであり、歌謡曲好きにとってはこの時点でグッと来る。

そして、「抱いて抱いて抱いて」に象徴される女性の激情を、あの声量とあの声で歌うのだから、これはもう反則だ。「人魚」というタイトルがまた秀逸で、好きになった男性に逢いたいがために声を失い、その思いが伝えられず苦しみ、最後は泡になってしまった『人魚姫』の悲話を嫌でも想起する。だからなおのこと、心の琴線に触れるのだ。

筒美の曲も、そんなNOKKOの激情をうまくなだめ、ときには増幅させる見事な構成で、つくづくよくできた曲だと思う。編曲はテイ・トウワと、オーケストレーションは清水信之が担当。こちらもみずみずしさと神々しさが同居したような最高のアレンジになった。

筒美作品「エビス・ワルツ」も必聴

「人魚」はNOKKOの願いどおり大ヒットとなり、さまざまな歌手にカヴァーされるスタンダードナンバーとなったのはご存じのとおりだ。

またこの年の暮れ、NOKKOは4枚目のアルバム『colored』をリリース。「人魚」と、続くシングル「ライブがはねたら」(作詞・作曲:NOKKO、編曲:佐久間正英)も収録。井上大輔も参加するなど、NOKKOの様々な表情が味わえる名盤だ。筒美ももう1曲「エビス・ワルツ」という曲を書き下ろしているので、未聴の方はぜひ聴いてみてほしい。

2021年4月、東京国際フォーラムで開催された「筒美京平の世界 in コンサート」にNOKKOは出演。私は久々に「人魚」を生で聴いた。たぶん、あの場にいた誰もが釘付けになったと思う。それくらい鬼気迫る絶唱だった。

本当の名曲は長く記憶に残り、決して泡となって消えはしないのだ。

カタリベ: チャッピー加藤

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