越境系ギタリスト、ビル・フリーゼルのノンサッチ時代を代表する傑作『ナッシュビル』

『Nashville』(’97)/ Bill Frisell

勝手に“越境系”なんて付けてみたけれど、そうしたのはフリーゼルがジャズからカントリー、フリーミュージック、映画音楽…とジャンルをまたがる活動をするギタリストであり、また多作家の彼はいくつものレーベルを転々としながら、そこ此処でエポック的なアルバムを発表してきたからだ。まぁ、深い意味があるようなないような、越境系としたのはそんな理由だ。今回ご紹介する『ナッシュヴィル(原題:Nashville)』(’97)は現在までに彼が一番長く所属していたノンサッチ(Nonesuch Records)時代に残した傑作の一枚である。

ノンサッチレコードはエレクトラレコードの創設者でもあるジャック・ホルツマンが1964年に設立したインディーズレーベルだったが、元はクラシックやワールドミュージックを扱うものだったのでポピュラー音楽のリスナーには縁遠いものだった。風向きが変わってきたのは親レーベルのエレクトラと共にワーナーに買収されてからだ。画期的なことに同グループの一部門として、エレクトラ所属のアーティストごと再契約というスタイルでレーベルは吸収され、その中から個性的なアーティストの重要作品をしっかりとした企画のもとリリースし始めた90年代以降、このレーベルはジャズのみならず、耳ざといロック、フォークのリスナーからも注目されるものになった。

ライ・クーダーの諸作、また彼が大きく関わりグラミー賞、アカデミー賞を獲得するなど世界的なヒットを記録したブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ、ランディ・ニューマンやジョニ・ミッチェル、近年、映画『アメリカン・ユートピア』でも話題になった元トーキンズ・ヘッズのデヴィッド・バーン、ブライアン・ウィルソン、ウィルコ…等々。フリーゼルと同じく、ジャズだとパット・メセニー、ブラッド・メルドーも所属している。

フリーゼルが描く 幻想のナッシュヴィル(カントリー)像

フリーゼルは1989年発表の『ビフォア・ウィ・ワー・ボーン(原題:Before We Were Born)』から2009年の『ディスファーマー(原題:Disfarmer)』まで約20年間ここをベースに、彼の名前を世界的なものにする意欲作を次々と発表した。そのうちの1枚が『ナッシュヴィル』だった。そのタイトル通り、このアルバムはフリーゼルがカントリー・ミュージックの総本山とも言うべきテネシー州ナッシュヴィルにおもむき、カントリー・テイストの楽曲に挑んだ作品だった。テイスト〜としたのは楽曲のほとんどはフリーゼルのオリジナルで、他にはニール・ヤングの「ワン・オブ・ディーズ・デイズ(原題:One Of These Days)」、オールドタイム、ブルーグラスのヘイゼル・ディケンズの「ウィル・ジーザス・ウォッシュ・ザ・ブラッドステインズ・フロム・ユア・ハンズ(原題:Will Jesus Wash The Bloodstains From Your Hands)」、スキータ・デイヴィスによる大ヒットで知られるカントリー・ポップ「この世の果てまで(原題:The End Of The World)」(作:Arthur Kent, Sylvia Dee)が取り上げられているのだが、よくあるカントリー・クラシックやそれこそハンク・ウィリアムスの曲をカバーしたり、という類いとは趣きを異にしている。

演奏陣は極めて興味深い。アリソン・クラウスのユニオン・ステーションという名を出さずとも単独でも名前を轟かす当代随一のドブロ奏者で、現代ブルーグラス界の最重要人物の一人であるジェリー・ダグラスをはじめ、ベースのヴィクター・クラウス、ユニオン・ステーションのバンジョー奏者ロン・ブロックと、実力派ブルーグラス・プレイヤーが参加し、極上の演奏を披露している。先のニール・ヤングの「ワン・オブ・ディーズ・デイズ」、「この世の果てまで」で可憐なヴォーカルを聴かせてくれるロビン・ホルコム(女性)さえ、実はひと筋縄ではいかない傑物で、フリーゼルと過去に共演歴があってレコーディングに招かれ、参加したようだが、ソロ作がいくつかあり、シンガー然としたアルバムがあるかと思えば、超絶ピアノを聴かせるアバンギャルドなアルバムを出してもいる。

というわけで、アルバムは旧来のカントリー、ブルーグラスとは異なり、90年代以降に急速に盛り上がってきたオルタナティブ・カントリー、アメリカーナの趣がある。それはいかなるものかと問われても具体的に説明がつかないのがオルタナティブらしいところで、本作にからめて言えば、全員が一斉に音を出すと言うよりは、個々の楽器のサウンドの間にただよう空間、残響さえも音像化するというか。ゆったりとしたメロディーの中にあってさえ、エッジの効いた楽器の響きが熱を帯びる。その合間を縫うように、フリーゼルが室温を2、3度下げてしまうような、冷感たっぷりのギターを響かせる。その浮遊感溢れるギターサウンド、トーンは一聴して彼だと分かる特徴的なものだ。

あらゆるジャンルを咀嚼した 全方位型のギタリスト

調べてはみたのだが、彼が具体的にどのようなギタリストに影響を受けてきたのかは分からなかった。どこかで発言しているのかもしれないが、見つけることができなかったのだ。想像するに、きっとロックからジャズ、クラシック、ブルース、ソウル、フリー・ミュージック…ありとあらゆる音楽の、ギタリストに影響を受けたのであろう。元はフルートを学んでいた、という発言をどこかで読んだような記憶がある。父親が音楽家(ベーシスト)で、半ば強制的にフルートを習わされていたのに対し、フリーゼル本人はギタリストを目指す。「お前にはギターは無理だ」と決めつける父親に抗うように余計にギターにのめり込んでいった、という話だ。伝聞ではいけないと思い、話の出どころを必死で探したのだが、その情報も見つけることができなかった。なので、このあたりは読み飛ばしていただいて構わない。父親がベーシストというのは事実である。

ボルチモアで生まれ、デンバーで育ち、ベルギー、ボストン、ニューヨークと住む拠点もいろいろ変えているが、音楽はティーンエイジャーの頃にポップスに親しんで以降、ほんとうに貪欲に、ありとあらゆる音楽に浸っている。そんな多様性が彼の音楽を作っているように思えてならない。極めて映像的、音像的というか、彼の音楽は風景を描き出す。アメリカン・ルーツ的な音楽に向き合った作品からは、こちらの想像力を刺激し、1930年代の大恐慌や砂塵の舞うオクラホマの風景が脳裏をよぎったりする。そんな音を紡ぐギタリストは彼ぐらいだろう。

話を『ナッシュビル』に戻すと、カントリー? ブルーグラスだって? とこの種の音楽が苦手だという方も、本作を聴くと先入観を覆させられるだろう。ぜひ聴いてみてほしい。
本作以降、ジャズに軸足を置いてきたフリーゼルが、そこからも抜け出し、いよいよ奔放なまでに自己の音楽領域を拡大する、いわば過渡期にリリースされたアルバムであるとも言えるかもしれない。その領域はアメリカーナ(Americana)と呼ぶにふさわしい。ただし、このアルバムが出た頃にはまだアメリカーナという呼称は一般的なものではない。単語自体は1800年代からあるのだが、いわゆるフォーク、カントリー、ブルース、リズム・アンド・ブルース、ロックンロール、ゴスペル、ジャズまで、米国において統合、融合された今日で言うところのルーツ・ミュージックを、現代の音楽として定義づけたものを、アメリカーナと言うようになったのだが、2010年にグラミー賞の一部門として、Best Americana Album Of The Year(年間最優秀アメリカーナ・アルバム賞)が設けられるようになり、一般的に通用するものになりつつある。
※ちなみに初年度の受賞はリヴォン・ヘルム(Levon Helm)の『エレクトリック・ダート(原題:Electric Dirt)』で、以降、ボニー・レイットやメイヴィス・ステイプルズ、エミルー・ハリス、ロザンヌ・キャッシュ、ジェイソン・イズベル、ブランディ・カーライル、ケブ・モらのアルバムが受賞している。いずれも、いつかここで紹介したいアーティストと作品ばかりである。

であるから、フリーゼル自身にアルバム制作当時にアメリカーナ、という意識のもとにレコーディングに挑んだわけでないのだろうが、コンセプトは極めてアメリカーナ的であり、極めて先見性に満ちたものであったことが今になってわかる。それにしても、フリーゼルほど、ソロ作はもちろん、コラボ作、ゲスト参加作において、あらゆるジャンルを“越境”しながら膨大なレコーディングをこなしている人を他に知らない。

私自身では把握しきれていないので、一体、どのくらいアルバムが世に出ているのだろうかと、Wkipedia等で調べてみたのだが、私の最近のイチオシのフリーゼルのコラボ作は記載されていなかったので、Wikiならずとも彼の仕事の全貌は正確には掴めてないらしい。そのイチオシ作は今年の3月に亡くなったトランペット、コルネット奏者、作曲家のRon Miles(ロン・マイルス)をリーダーとするバンドで、ジャズのみならずボブ・ディラン、ノラ・ジョーンズとも仕事をし、多方面から引く手あまたのセッションドラマー、ブライアン・ブレイドにフリーゼルを加えたジャズトリオのものである。3作ほどがエンヤレコードからリリースされているが、中でも『クイヴァー:三人主義(原題:Quiver)』(2012年) は超名盤だと、この機会におすすめしておく。

TEXT:片山 明

アルバム『Nashville』

1997年発表作品

<収録曲>
1. ギミー・ア・ホラー/Gimme A Holler
2. ゴー・ジェイク/Go Jake
3. ワン・オブ・ディーズ・デイズ/One Of These Days
4. ミスター・メモリー/Mr. Memory
5. ブラザー/Brother
6. ウィル・ジーザス・ウォッシュ・ザ・ブラッドステインズ・フロム・ユア・ハンズ/Will Jesus Wash The Bloodstains From Your Hands
7. キープ・ユア・アイズ・オープン/Keep Your Eyes Open
8. パイプ・ダウン/Pipe Down
9. ファミリー/Family
10. ウイアー・ノット・フロム・アラウンド・ヒア/We're Not From Around Here
11. ドッグウッド・エイカーズ/Dogwood Acres
12. シャックス/Shucks
13. ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド/The End Of The World
14. ゴーン/Gone

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