伊豆諸島や小笠原諸島が東京に編入されたワケ【日本地図の秘密5】

日本地図には県境や地名、地形、歴史などの秘密が隠されています。そんな地図の秘密をひも解くと、これまで知らなかった日本の姿が見えてくるかもしれません。そこで、『知れば知るほど面白い!日本地図150の秘密』(日本地理研究会編/彩図社)から、日本の地理にまつわる豆知識を抜粋して紹介します。

流刑地だった伊豆諸島

東京都の南に連なる伊豆諸島と小笠原諸島。伊豆諸島はその名に「伊豆」とついているうえに、位置としては静岡県のほうに近いです。なぜ東京都に編入されたのでしょうか?

伊豆諸島はその名の通り、江戸時代は東海道の伊豆国の領地で、古くから流罪になった罪人を送る流刑地としての役割を担っていました。流刑地になるぐらいですから交通の便がいいとはいえず、加えて島内だけで十分な食糧を確保できなかったのです。そこで島の特産物であった塩や絹織物を本土へ持っていっては食糧と換えていたのですが、人々は伊豆ではなく、江戸の問屋に持ち込んでいました。ただ、問屋が島民の足元を見て、島民にとって不利な商売をしていたため、それを見かねた幕府が直接島民とやり取りをし、島の特産物を納めさせる代わりに米を支給していたといいます。

伊豆諸島は廃藩置県で静岡県に所属

このように、伊豆諸島の人々にとっては江戸との繋がりの方が強かったのですが、廃藩置県によって、1876年に伊豆諸島は静岡県に所属することになります。伊豆国が静岡県に編入されたのですから、自然な流れではあります。

ところが、伊豆諸島の住民は東京府への編入を強く望んでいました。依然として経済的繋がりは東京との方が強く、静岡県で行政手続きをしなければならないのも、何かと不便が多かったそうです。こうした住民たっての希望で、2年後の1878年、伊豆諸島は東京府へ編入されることが決まったのです。

小笠原諸島は外国の領土に!?

では、小笠原諸島はなぜ東京の管轄になったのでしょうか? 実はこの小笠原諸島、江戸時代にはまったく注意を向けられておらず、幕府は何の対策もしてこなかったのです。そのためにイギリス領になる寸前のところまで話が進んだといいます。イギリスだけでなく、アメリカも目をつけていたそうです。開国後にようやくそれに気づき、政府はあわてて東京の管轄下に置きました。

その後、太平洋に浮かぶ小笠原諸島は、 戦時下において重要な軍事拠点として機能。敗戦後はアメリカの占領下にありましたが、 1968年にようやく日本に返還されました。

【出典】

知れば知るほど面白い!日本地図150の秘密』(日本地理研究会編/彩図社)

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