さよなら巨匠のビル 異彩を放って50年、解体直前の内部へ【動画】 【あなた発 とちぎ特命取材班】

 県都の中心部に、異彩を放つ外観のビルがそびえ立つ。地上10階、地下1階。コンクリート打ちっぱなしの外壁や、規則正しく並ぶ大きな窓が印象的なこの建物の名称は「栃木県開発センタービル」(宇都宮市栄町)。県土地開発公社の旧本社ビルで、1972年の完成から築50年が経過する。

 下野新聞は8月、ビル跡地について公社がマンション分譲の穴吹工務店(高松市)と売却契約を結んだと報じた。老朽化した建物の解体と、市街地活性化に資する跡地利用を条件に成立した珍しいケースとなった。

 建物の1階は、壁がなく柱だけで構成された吹き抜けの空間の「ピロティ」となっている。その上の2階部分はまるで宙に浮くようにコンクリートが張り出し、てっぺんにはガラス張りの小さな構造物も見える。

「一度、中を見たかった」

 「かっこいい建物なので解体は残念。一度、中を見たかった」。9月下旬、宇都宮市在住のゆりこさん(投稿ネーム)から、下野新聞「あなた発 とちぎ特命取材班(あなとち)」にこんなメッセージが届いた。建築好きのゆりこさんによると、ビルを設計したのは著名建築家の故大高正人(おおたかまさと)氏(1923~2010年)。経済活動の背後に隠れてしまいがちな時代の記憶を残そうと取材を始めた。

 関係者によると、ビルは当初、旧県開発公社の社屋かつ公的機関のテナントビルとして建設されたとみられる。自治労県本部やサッカーJ2栃木SC、日本下水道事業団の出先機関などが一時事務所を構えたこともあった。しかし、老朽化が進み、耐震性も低いことなどから20年2月、社屋にしていた県土地開発公社が移転。建物は閉鎖された。

 公社によると、ビルに関する記録として「大高建築設計事務所」の平面図が残されていた。大高氏の設計で間違いないことが分かったが、なぜ大高氏が手がけることになったのか、経緯などは分からなかった。

 県文書館にもビルに関する文献はなかった。記者は「専門家と現地を見れば分かることがあるかもしれない」と発想を変え、穴吹工務店をグループ傘下に置くオリックス(東京都港区)に内覧の協力をお願いした。

随所に“大高氏らしさ”

 実現したのは10月7日。同11日から解体工事が始まる予定だったので、「中を見られる最後の日」(穴吹工務店の担当者)。ぎりぎりのタイミングだった。

 参加したのは、きっかけをつくってくれたゆりこさんを含め7人。学識者として宇都宮大地域デザイン科学部建築都市デザイン学科の大嶽陽徳(おおたけあきのり)助教(建築意匠)に同行してもらった。

 大嶽助教はピロティ上部を指さしながら、「空中に(突き出すコンクリートの)大きなボリュームがあり、その下を柱で支えて開放的な空間をつくる。大高氏が好む特徴がこの建物に出ている」と切り出した。構造物の柱を外観に取り込むデザインにも、大高氏らしさが表れているという。

 電気が止まっているため、懐中電灯を手渡され中へ。建物内の中央部は1階から最上階までらせん階段が続く。その階段を挟む形で東西両側に居室がある。

 2階へ行くと、ピロティ上部の突き出た部分にバルコニーがしつらえられていた。宙に浮かんでいるような感覚を覚え、「やりたかったことが見えますね」と大嶽助教は目を細めた。上を見上げたゆりこさんは、幾何学状に並ぶ外壁の非常灯を見て「かっこいい」と歓声を上げた。

 3~6階は各階とも、階段を挟んで東西に、広いオフィスが2室ずつのみだった。オフィスの四隅に柱があり、南側と北側は大きな窓。大嶽助教の目には「南北に広い開口部を取った柱のない明るいワンルーム。柱が影にならないよう、四隅に配置するなど合理的なプランニング」と映った。

 上階へ進むと、8階東側には職員の福利厚生用の和室があった。他の階よりもバルコニーは広めで、庭園だったようだ。大嶽助教は「庭を造るために(部屋を)セットバックしている。遊びがある」と話した。

 てっぺんに突き出た小さなガラス張りの空間は広さが7畳ほどしかなく、図面によると「展望室」だった。内覧を終え、ゆりこさんは「遊び心があり、宇都宮の風景も取り込んでいる。外観も内部もシンメトリー(左右対称)でめちゃくちゃかっこいいビルでした」と満足そう。大嶽教授は「構造と設備が合理的に計画されている」と評価した。

地域発展へのまなざし

 設計者の大高氏は1960年代、故黒川紀章(くろかわきしょう)氏らと前衛的な建築を目指す「メタボリズム・グループ」で活動した。千葉県立中央図書館、群馬県立歴史博物館など、設計した建築物は数多く現存している。

 栃木県とのゆかりも深く、2007年に閉場した県議会議事堂も設計を手がけた。1969年に完成した同議事堂。当時は斬新な造形として注目を集め、造形芸術選奨(美術部門)文部大臣賞も受賞した。大嶽助教によると、合理性や技術を重視する時代、芸術性にも重きを置いた大高氏の作風は特徴的だという。

 同議事堂は、柱や梁などの部材を工場で製作し、現地で組み立てる「プレキャスト」工法を取り入れた。その手法は県開発センタービルにも引き継がれ、同議事堂完成から3年後、今回のビルが完成していた。

 大嶽助教は「議事堂の系譜に位置づけられると思う」と言い、その上で「さらにプレキャストコンクリートを使った高層化ビルというテーマに取り組んだのではないか」と考察する。

 なぜ、大高氏が設計することになったのか。改めて疑問をぶつけると、大嶽助教は「大高氏は幼いころ、洪水などで被災した町が徐々に整備され、近代化する姿を見るのがうれしかったと言われている」と説明。「地方の公共施設を手がけることが多かった大高氏は、地域の発展という視点を大切にしていたのかもしれない」と続けた。その見立てを聞き、急に近代建築の巨匠が身近に感じられた。

 一方、ビルの老朽化は著しかったようだ。最後に利用していた職員は「床の傾きがひどく、机の脚の下に紙を重ねて入れて高さを調整していた」。雨漏りもひどかったという。

 ビルの解体は来年3月末まで進められる。跡地には分譲マンションが建設される予定。オリックスの広報担当者は「利便性も良く、にぎやかな場所。仕様はこれから検討するが、定住人口増加や地域の活性化になる住まいづくりをしていきたい」と話した。

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