「戦没者の生きた証し 遺族の元に」 父も警察官の県警OB、82年前の職員録写しを希望者へ届ける

父の残した戦争の遺品をファイリングし、末代に語り継ぐ川原裕さん=22日午後4時17分、鹿児島市上福元町

 太平洋戦争で死没した鹿児島県警職員の遺族に、82年前の1940(昭和15)年に発行された職員録の写しを送っている人がいる。県警OBの川原裕さん(72)=鹿児島市上福元町。職員録は佐世保海兵団(長崎県)に召集され、敗戦後に再び警察官を務めた父高秋さんの遺品で「父の同僚であり、私の大先輩でもある戦没者の生きた証しを届けたい」と思いを語る。

 職員録は県内警察署に所属する1107人の名前や階級、出身地が記され、署員らに配布された。21年前に高秋さんが死去した後、阿久根市の実家で遺品整理をしていた川原さんが仏壇下の茶箱から見つけた。

 初めて写しを送ったのは鹿屋警察署の署長だった2007年。戦後60年の節目に出版された「語り残す戦争体験」(講談社)で、元警察官で戦死した父への思いをつづった堀之内誠さん(85)=鹿児島市明和5丁目=の寄稿に感銘を受けたのがきっかけ。以来、希望する遺族数人に「形見になれば」と送ってきた。

 直近では南日本新聞の連載「証言 語り継ぐ戦争」に8月20日に掲載された丸野茂子さん(82)=鹿児島市明和2丁目=に郵送。丸野さんは「父の戦死 女手一つ、母に感謝」で、警察官だった父が出征後亡くなり、空襲におびえながら母と姉の家族3人で生き延びたことを証言した。

 連載を読んだ川原さんは、丸野さんの父加治木優さんを職員録で調べ、大島警察署(現奄美警察署)本署に在職していたことが判明。関係箇所のみ印刷して丸野さんに送った。「県警に奉職された証しとして御霊前にお供えくだされば幸いです」と手紙を添えた。

 丸野さんは1940年8月、大和村生まれ。職員録は翌9月30日時点のもので、大島警察署大和村駐在所は欠員になっていた。川原さんは「署のはからいで子育てしやすい本署に異動になったのでは」と推測する。

 4歳で父を亡くし、思い出がほとんどない丸野さんは職員録に「父を近くに感じることができ、本当にうれしかった」と感謝する。

 川原さんが県警に就職したのは69(昭和44)年。出征した先輩警察官が多かった。各地の警察署に赴任する中で「特攻の母」と慕われた鳥浜トメさんらとも交流。戦禍の悲惨さを直接聞いてきたことが戦没者への思いを強めた。

 「先輩方には頭を垂れる気持ちでいっぱい。多くの人の犠牲の上に今の平和があることを忘れてはいけない」と話す。

丸野茂子さんに写しを送った鹿児島県警職員録=鹿児島市上福元町
佐世保海兵団に召集される前、新婚時代の川原さんの父・高秋さん(左)

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