「小倉城がよくなれば」の思いで乗り越えた苦難/小倉城城代・小倉市五郎さん

西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。

長崎の師匠の門をたたく

甲木:おはようございます。西日本新聞社 ナビゲーターの甲木正子です。

井上:同じく、西日本新聞社の井上圭司です。

甲木:今回は、小倉城の城代、小倉市五郎さんこと田代規明さんが人力車を起業してからのお話を伺いたいと思います。市五郎さん、今日もよろしくお願いいたします。

市五郎:よろしくお願いします。

井上:よろしくお願いします。

甲木:福祉施設で入所者向けに「無法松の一生」のお芝居をして、小倉城観光には人力車だと思い起業されたということですが、起業はいつだったのですか?

市五郎:10年前なので2012年ですね。ずっと心の中で、小倉城で誰か人力車をやらないかなと悶々とした気持ちでいて、どうせなら俺がやろう、と思ったんです。

甲木:でもやろうと思っても、人力車学校があるというわけでもないですよね。どうやってやるんですか?

市五郎:まあ、ホームページとかいろいろ見てて、人力車の制作もするという、私の師匠になった人を長崎に訪ね、門を叩いたんです。

甲木:練習とかしたんですか?長崎で。

市五郎:しました。ずっと定期的に、休みの時に長崎に行って、観光は少なかったんですけど、結婚式の演出の手伝いとか、そんなことをやっていました。

甲木:そうなんですね。そこで人力車を引く技術とか、お客さんとの会話とかを学んだって感じですか?

市五郎:まあ、長崎でもそうだし、浅草にも行って「人力車とは何ぞや?」を学び、体験も蓄積させました。

甲木:では、師匠に「車をつくってください。僕やります」と言って小倉で起業したのが2012年。なるほど。ご家族に反対されたりとかなかったですか?

市五郎:それはもう反対はありましたよ。

甲木:でも、ご自身の思い、無法松をこの町でやりたいという意志を貫かれたのですか?

市五郎:妻は「言っても多分聞かない」という諦めの一言に尽きると思います。許したというより、諦めですね。

人力車と大学、二つのスタート

甲木:良かったですね。でもその時は大学生だったとか?

市五郎:そうです。人力車を引くという決心をして、それが決まった時に大学に行こうと思っていたんです。大学に行ったからといって人力車の仕事がうまくいくわけではないですけど。私は大学に行ったことがなかったので、これを機会に学ぶことも大事だなと思って。大変だとは思ったんですが、大学を受験することを選びました。

甲木:すごいですね。無事4年で卒業できたんですか?

市五郎:トータル4年では卒業ができたんですけど、途中でちょっと病気をしてしまいまして、2年間休学しましたので、入学からは6年かかりました。

甲木:それもまた大変ですよね。体力勝負の仕事をしながら、途中で体を壊すなんて…。

市五郎:やはりそれで妻には頭が上がらないですね。「どうにか稼いでどうにかする」って言ったのに「言わんこっちゃない」ということになって。でも病気だから妻も責められないし、こっちも開き直るわけには当然いかない。申し訳ないという気持ちばかりで、やはりあの頃は辛かったですね。

甲木:だって、お子さんもいらっしゃる中で、お父さんも倒れちゃったらね…。それでも病気が完治して、また大学に戻り、お仕事もちゃんと続けられたという感じなんですかね?

市五郎:そうですね。

甲木:ただ、そんなに辛い目に遭いながら、大学もやめず、仕事も続けられて。その原動力って何なのでしょう?

市五郎:美しい言い方というか、一般的な言い方をすると、やはり家族の支えだったと思います。いくらバカな父親だということであっても、やはり優しく支えてくれて。あとは曲がりなりにも、人力車をやることはちょっと派手なことだったので、「何をやっているんだ?」と見られていて、私が一日休むと「昨日いなかったね」と言われるんです。私は「目に見えないタイムカード」と言っていましたが。誰かが出勤を管理しているようで。だから地域の目とか世間の目というのも、いい意味では原動力になったとも言えると思います。

甲木:チェックしている人がいるというくらい、人力車が定着していたということですね。今後市五郎さんがチャレンジしてみたいと思っていることはありますが?

市五郎:それは山ほどあるんですけど、やはり観光地として、城のまわりを人で盛り上げていきたいと思っています。衣装をその時代にあったもにして演出していくこともその一つなんですけど、その表現をもっと深めていきたいなと思います。武将隊も計画に上がっていますが、町人とか、棒手振りとか、人でその時代の雰囲気を作り出すことを、もっと今後は進めていきたいなと思っています。

甲木:じゃあ、そこに行くと本当に江戸時代の町を歩いているような気分になるとか…。

市五郎:そういうことです。

甲木:それは楽しそうですね。

市五郎:結局、小倉城や小倉城庭園という資源はなかなか雰囲気や形を変えられないので、人という部分でうまくマッチさせていきたいと思います。

甲木:ますます楽しみですね。井上さん、いかがでした?

井上:小倉城が地域を象徴し、その小倉城を象徴するような人として市五郎さんがいる、という感じですね。

甲木:前回、今回と2回にわたり、小倉城の城代、そして無法松人力車の車夫、小倉市五郎さんこと田代規明さんにお話しを伺いました。市五郎さん、ありがとうございました。

市五郎:ありがとうございました。

井上:ありがとうございました。

〇ゲスト:小倉市五郎さん(小倉城城代)

〇出演:甲木正子(西日本新聞社北九州本社)、井上圭司(同)

(西日本新聞北九州本社)

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