国道2号でトラックからクレーン部品が転落 直後に届いたメッセージ 被害者は何年たっても忘れない…

先月20日、正午ごろ。

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国道2号で、大型トラックの荷台からクレーンの部品が転落したという情報が入りました。

警察によると、運転していたのは30代の男性、転落したのは長さおよそ10メートルのクレーンの部品。

現場の広島市安芸区の国道2号のあたりは、車やトラックがひっきりなしに通る交通量の多いところで、大変な渋滞になっていることは容易に想像できました。

分かっている範囲の情報を速報ニュースとして出す作業をしたのち、取材のため現場に向かいます…。

しばらくして、道中、SNSで1通のメッセージが届きました。

(届いたメッセージ)
「2号線で落下事故との速報みました。詳しいことが分かったら、可能であれば教えてください」

メッセージの送り主は、松本里奈さんという女性。

私が松本さんと知り合ったのはある取材がきっかけでした。

2012年12月25日、東広島市で走行中のトレーラーから落下した鉄板が、対向車線の乗用車を直撃。乗用車に乗っていた2人が亡くなりました。

当時、事件担当だった私は、この半年後、初めて、自宅でご遺族のカメラ取材をさせてもらうことになりました。

ある日突然、夫・康志さんを亡くしたのが、松本さんでした。

乗用車を直撃したのは1枚800キロの鉄板15枚…。

積み上げられた鉄板は、たった一本のワイヤーロープで括られていました。

会社側に刑事責任を求めることはハードルが高いと言われていましたが、裁判では、積み荷を正しく固定しなかったトレーラーの運転手だけでなく、その指導・監督を怠った運行管理者にも有罪判決が言い渡されました。

運転手が積み荷を固定する当たり前の手間を惜しみさえしなければ…、それを会社が指導・監督していれば…防げた事故…。

松本さんは事故ではない、「事件」だと話します。

松本さんとの付き合いは、それ以来、ずっと続いています。

しばらくして私は、こう、ニュースにしている内容の範囲で返しました。

(返したメッセージ)
「すみません、まだ詳しく入ってないです。けがはなく、規制は解除されたようです。取り急ぎです」

現場に着いた時には、すでに事故の処理は終わっていました。ただ、それとみられる大型トラックが、すぐそばのコンビニの駐車場に…。

荷台には、大きなクレーンの部品が積んでありました。

乗っていた運転手に、「すみません…」と声をかけます。

動揺している様子を隠さないまま取材に答えてくれた運転手によると、クレーンの部品は、道路脇の歩道の方に転落したといいます。

そして、「歩道に人がいなかったのが…幸いでした」と声を絞り出しました。

なぜ、こんなことになったのか…。

運転手は、「道路沿いのコンビニからトラックが出てきて、急ブレーキをかけたら荷が落ちてしまった」といいます。

運転手
「固定はきっちりやってたんですけど、急ブレーキを踏んでしまって…。(固定は)ある程度がっちりはしめたんですけど、あんまりやり過ぎるとこんどは部品の方が変形してしまうんで…。そうですね…急ブレーキかけない方が良かったのかな…という感じではあります…」

取材に対し警察は、「固定などの措置はとっていて転落防止措置義務違反にはあたらず、物損事故として処理する」とこたえました。

私は、トラックがコンビニの駐車場から国道に出やすいよう、後続の車のタイミングをみて待ってもらい、見送りました。

決して事故を起こそうと思っていたわけではなく、混乱もしていたであろう中、取材に答えていただいた姿勢に、敬意を表したい気持ちがあったからです。

しかし、それと同時に、想像もしました…。

転落したクレーンの下敷きになった人がいたら、こんなことでは済まなかっただろう。巻き込まれる人の人生を一瞬で奪い、しっかり答えてくれたあの運転手の人生も、その家族の人生も一変しただろう。事態によっては、テレビニュースやネット記事で毎日報じられることにもなっただろう。今回どころじゃない、一生の後悔をしただろう。

続報をニュースで報じる作業をしたのち、松本さんに連絡します。

記者(メッセージ)
「あわや大変な事故になるところでした。続報をあげたのでお知らせします」

松本さん(メッセージ)
「物損事故で終わって本当に良かったです。安全管理の大切さが良く分かる事故です」

それにしても10年です…。というか、事件や事故で大事な人を失ったり、傷つけられたりした人は、何年たとうが、関係ない…。改めてそう気づかされました。

松本さんは、今でも、似たような事案を聞いたり、場面を見たりすると、フラッシュバックするといいます…。

松本さんは、事故に巻き込まれた遺族の思いを伝える活動を続けています。

運転前の確認や心構えなどで、事故のリスクは十分減らせることを知っているからです。

6日は、広島市内の自動車学校「ロイヤル ドライビングスクール広島」で、教習にあたるスタッフを相手に講演に臨みました。

松本さんは、康志さんをいつも通り見送りそれが最後の生きている姿だったこと…、案内された救急治療室でストレッチャーに寝かされていた心臓破裂の康志さんの顔色は青紫で全身傷だらけガラスまみれだったこと…、冷蔵庫にはクリスマスに食べるはずだったケーキが残っていたこと…を話しました。

「事件」は、松本さんと、当時18歳と17歳だった子どもの普通の日常を奪い去ったのです。

松本里奈さん
「加害者側はやり直すことができる…。でも被害者、特に命を失った被害者はやり直しができません」
「被害者側と違って、加害者になるかならないの選択は、自分自身で行うことができます」

松本さんは、真剣な表情で聞き入る自動車学校にスタッフたちに、ハンドルを握るということがどれだけ責任を伴うことなのかを、これから免許をとる人たちに話していってほしいと伝えました。

来月12月25日…。

「事件」の発生から、10回目のクリスマスがやってきます。

松本里奈さん
「10年がたつ今も、本当に変わりません。むしろ、時間がたつにつれて、現実ではないような思いのほうが強くなっています。事故の直後は、私も死んだ方が楽になると毎日、毎日思っていました。そこから抜けて生きていけているのは、この思いから解放されることは生きている間はないんだなと自分自身で悟った時からです。この苦しみから解放されるのは、私自身が死んだとき…。それまでは、この思いを一生抱えていかなくてはならないんだと分かった時から、前向きに生きていけるようになりました」

誰も加害者にも、被害者にもならないように…。松本さんの思いです。

(RCC報道制作センター 増田み生久)

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