「自分にしか言えないこと」を考え抜くと、言葉は進化する スピーチライター・千葉佳織が野田元首相の安倍元首相追悼演説を「内容構築」と「話し方」から分析

株式会社カエカ代表取締役、スピーチライターの千葉佳織です。今回は、野田佳彦氏の追悼演説について取り上げる。普段私は、伝え方トレーニングサービス「kaeka」を運営しており、話す力を「内容構築」と「話し方」に分けて指導をしている。今回も、この両者の観点から解説をしていく。

安倍氏の人生史から広がりを持つ時系列 丁寧な構成力

全体の構成としては、導入→安倍氏の人生史がはじまる→安倍氏の人生史が野田氏の人生と重なりはじめていく→野田氏からみた安倍氏→今→未来、我々がどうすべきか、という形であり、安倍氏の人生史がはじまってからは一貫して時系列を辿るようにわかりやすい構成がなされている。

安倍氏の国葬儀から少しばかり時間も経っており、また岸田首相、菅前首相が弔辞をしたことからすると、国民にも弔辞の前提がある。その状態で野田氏としては「自分だからこそ語ることができる視点は何か」を考え抜いているはずである。

結果的に、安倍晋三元首相の生涯を生まれた頃から細かく話すことで、場面場面の安倍氏の表情や心持ちなど「人となり」を聴衆が自由に想像できるようにしていた。また、途中、自らの人生と折り重なるエピソードから彼の人生をより客観的に描こうとする描写も大変優れていた。

声の高低を具体的に駆使し、情熱を表す

「抑揚」と一言でいっても、紐解くと声の大小、声のスピード、声の高低、間の確保など、さまざまな要素から成り立っている。この抑揚がついているかどうかで、私たち人間は言葉に思いがこもっているのかを判断しにいっている。政治家の方の演説を聞いていると、この音声の使い方についてもっと学ぶべきだと感じることも多い。実際に政治家のお客様の中にも、この抑揚の使い方については誰からも習ったことがないと悩まれる方も多い。

野田氏の演説の息遣い、とくに声の高低の使い方が素晴らしいと感じる。「歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。”そうであったとしても”…」この「そうであったとしても」を間がなく、声高く強く切り替えて切り込んで話しているところが大変印象的だった。このような話し方をしているため、私たちは熱意と諦めない信念をダイレクトに感じることができるのだ。

あとは声質。低く響く芯のある声が特徴的であり、随所に表現工夫が垣間見える。例えば**「あなたが放った強烈な光も(

)、その先に伸びた影も(

)…」**並列表現での抑揚高低の上昇具合が気持ちの高ぶりを適切に表現しており、音声として伝わりやすい。声の高低が彼の気持ちを秀逸に表している。

言葉へのこだわり抜き

追悼演説の中で、私は言葉へのこだわり抜きを感じた。そのこだわり抜きに関しては主に2つの種類の言葉を感じ取った「1.メディアに取り上げられやすい言葉の生成」「2.細部へのこだわり」である。

1.メディアに取り上げられやすい言葉の生成

「政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません」「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん」といったキャッチーな言葉があった。結果、この言葉たちは多くのネットニュースのタイトルを独占したり、ツイッターなどで引用されることが多かった。これからの演説はその場にいる人への共有だけでなく、どこが切り取られ記事として拡散されるのか、ここまで考えていく必要があるはずだ。

2.細部へのこだわり

「その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした」という攻めた表現や「果てなき決断」「真剣な熱を帯びる」など決して多くは耳にしない表現からも、野田氏のフィロソフィーが伺える。細部へのこだわりは演説全体の空気感や思想をつくるため、非常に細かいが全体には大きな影響をもたらしている。言葉へこだわりを持つことを大切にしてほしい。

人生歴史を語るような内容とそこから人生が混ざり合う描写

スタンフォード大学の論文によると、事実の羅列をするよりもストーリーを含めて伝えれば22倍記憶に残りやすいとも言われる。それくらいストーリーとともに何かを伝えることは重要なのだ。そのストーリーを生成するのに欠かせないのが情景と感情の描写力である。とくにそれが顕著に現れたのは、自民党に政権が戻る出来事だ。

「同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者のふたりだけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんのほうでした。あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、『お疲れさまでした』と明るい声で話しかけてこられたのです」

聴覚情報「シーンと静まりかえって、気まずい沈黙」「明るい声で話しかけて」視覚情報「あなたは私のすぐ隣に歩み寄り」などが細かく描写されているため、具体的にどんな動きだったのか想像することができ、これが安倍さんの優しさを感じ取ることにつながっている。

これがもし、「控室という同じ空間にいて沈黙があったが、安倍さんに話しかけられた」と語っていれば、わたしたちは鮮明に様子を浮かべることはできなかった。

全体への訴えかけの割合比

クライマックスに割かれる全体の割合が大きかったのも特徴的だった。

ここでは主に、安倍氏の死から何を覚悟し、未来に向けて何をすべきかが話されていた。また、時折拍手が起こっていたのも記憶に残る。話全体の(段落ごとの)言葉の割合比はその人の熱量比であったりもする。ここに時間を費やしながら話すという決断からも、この追悼演説は安倍氏に向けた大切な思いであると同時に、政治家に向けて語りかけるものだ、と位置付けていることがわかる。野田氏は未来に向けて今一度、考え抜き問いを持ち続け行動せよ、と強く訴えかけたかったのではないか。

自分の演説の立ち位置は何か

今このタイミングで、野田氏が言うべきことはなんなのか、ここをしっかりと考え抜き、話されている追悼演説であると感じた。

演説をする側は人生で一回きりの一大事だが、天国にいるであろう安倍氏はさまざまな人々の言葉を聞いている。そして、有権者も議員も大量の演説を聞いている。その中で、「自分にしか言えないことはなんなのか」を考え抜くことができれば、言葉はおのずと伝わるものへと進化していく。今回、安倍氏に向けて追悼演説を行った政治家の言葉から、私たちは自らの言葉のあり方も考えていきたい。

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