【いざ、ラリージャパン2022】注目の参戦ドライバー紹介/Vol.7『カッレ・ロバンペラ』

 いよいよ日本に帰ってきた、ラリージャパン。WRC世界ラリー選手権『フォーラムエイト・ラリージャパン2022』が、11月10~13日にシーズン最終戦として愛知県と岐阜県を舞台に開催される。北海道での開催以来、実に12年ぶりのカムバックとなる日本での世界選手権を楽しみ尽くすべく、ここではエントリーリストに名を連ねる有力参戦ドライバーや、今季より導入の最高峰“Rally1(ラリー1)”クラスの最新ハイブリッド車両の成り立ちや個性を紹介する。その最終回は、フライング・フィンの系譜につながる新世代スター候補生として登場し、瞬く間に世界チャンピオンの階段を駆け上がった22歳。天才コリン・マクレーの持っていた史上最年少タイトル獲得記録も更新した【カッレ・ロバンペラ】にスポットを当てる。

 なにはなくとも、当サイトでは2016年初出となった以下の動画と、こちらの記事をまず参照して欲しい。この映像が世界に拡散したことにより、WRCデビュー前夜から「世界的に有名なドリフト少年」となったカッレだが、当時からKP61型トヨタ・スターレットで腕を磨いた8歳の男の子にとって、将来的なトヨタでの成功はこの時点で約束されていたのかもしれない。

 この動画にも登場するドライビング指南役の父こそ、かつてWRCワークスドライバーとして活躍したハリ・ロバンペラであり、プジョーやミツビシで世界選手権を戦い、トップカテゴリーのWRカーで15回の表彰台を獲得。2001年にはプジョー206WRCでスウェディッシュも制するなど通算111戦に出場した経歴を持つ。

 そのハリを見い出し、同郷のトミ・マキネンやユハ・カンクネンも育てた伝説のマネージャー、ティモ・ヨキのコネクションに16歳で加わったカッレだが、その年齢ゆえにドライビングの才能とは異なる壁にぶつかる。運転免許証の取得だ。

 サーキットとは異なり世界各国の公道を使用するラリーでは、競技参加においてもその土地の交通法規に従う必要がある。その例外的な国のひとつであるラトビアに経験の場を求めた14歳は、一般道を行くリエゾン区間では現役時代の父とともに戦ったリスト・ピエティライネンに運転を任せるなどしてステージを戦い、2015年にシトロエンC2R2で2輪駆動部門チャンピオンを獲得する。

 翌2016年には、同様に若年層を惹きつけ活況を呈していたラトビア国内選手権に本格参戦を開始すると、シュコダ・ファビアS2000でシリーズ連覇を成し遂げる。さらに同年にはERCヨーロッパ・ラリー選手権にもエントリーし、毎戦選出される敢闘賞“コリン・マクレー・フラットアウト・トロフィー”を最年少で受賞してみせた。

 また、イタリアで開催のボローニャ・モーターショーにて併催された『ベッテガ・メモリアル・ラリースプリント』では、ピレリの支援を受け自身初のWRカー、フォード・フィエスタRS WRCのステアリングを握ると、スーパーSSを模したヒート戦方式の勝負で、ヒュンダイi20 WRCで参戦のティエリー・ヌービルらを打ち負かす。決勝ではエルフィン・エバンスに敗れはしたものの、2位を獲得するなど現役WRCドライバーらと渡り合い、改めてその非凡な才能を証明してみせた。

 こうした活躍も後押しし、2017年には地元フィンランドのASNとモータースポーツ協会(AKK)が特例の認可を与え、国内選手権への参戦を認める判断を下す。ここからイタリア、そして引き続きのラトビアと数多くの選手権にエントリーした当時16歳のカッレは、フィンランド交通安全局(TRAFI)より特認を与えられ、通常は18歳から交付の運転免許を前倒しで取得することが可能になった。

欧州でラリーストを目指す若年層と同様に、ラトビア国内選手権で腕を磨いたカッレ・ロバンペラは、17歳の誕生日を前に義務付けられた運転技能試験をパスしていた
父ハリ・ロバンペラ(右)は、2001年にプジョー206WRCでスウェディッシュも制するなど、通算111戦に出場した経歴を持つ
大胆なヨーコントロールでスロットルを開けながら姿勢を制御するスタイル。かつてはタイヤの摩耗に苦しんだが、曲がらない現行規定にマッチングを見せた
2021年の第7戦エストニアでは20歳と290日でWRC初優勝を飾り、同じく“ヨキ門下生”でもあるヤリ-マティ・ラトバラ新代表が維持していた22歳313日というWRC史上最年少優勝記録が約13年ぶりに更新された

■2022年は史上最年少チャンピオンに。今後のWRC黄金時代を築く可能性あり

 そして17歳の誕生日を迎えた翌日、10月2日に運転技能試験に合格し晴れて免許を取得。これによりWRC参戦への道が開けると、フォード・フィエスタR5で同年のラリーGBに初出場。続く最終戦オーストラリアではWRC2クラス出場が1台となり、完走=クラス優勝の条件だったなか総合でも10位に喰い込み初ポイントも獲得した。

 2018年からのWRC本格ステップアップに際し、前出の敏腕マネージャーであるヨキはシュコダ・モータースポーツへの加入を選択。クラス最多出走の主力機種でもあるファビアで、競技マイレージを重ねることがトップカテゴリーへの最短距離だとの判断だった。

 この選択が功を奏し、同年のWRC2では2勝を挙げてランキング3位に入ると、続く2019年には新設のWRC2“プロ”でガス・グリーンスミスやマッズ・オストベルグらとの勝負を繰り広げ、シーズン4連勝も含む5勝で早くもタイトルを獲得。ステップアップ・ラダーとはいえ、19歳での世界チャンピオンという史上最年少記録を樹立した。

 すでに2019年開幕前の段階で「カッレはトップカテゴリーにデビューする準備が整ったと感じている」と語っていた敏腕代理人は、このシーズンを通じて同じく“フィンランド・コネクション”のヨキ門下生、マキネンとの話し合いを始めており、早くも2020年にはセバスチャン・オジェ、エルフィン・エバンス、そして勝田貴元の僚友としてTOYOTA GAZOO Racing WRT(ワールドラリーチーム)入りが決定。ここに史上最年少のWRCファクトリー契約ドライバーが誕生した。

 その後の活躍は誰もが知るとおりで、2021年の第7戦エストニアでは20歳と290日でWRC初優勝を飾り、同じく“ヨキ門下生”でもあるヤリ-マティ・ラトバラ新代表が維持していた22歳313日というWRC史上最年少優勝記録が約13年ぶりに更新された。

 そして2022年には、誕生日を迎えた翌日の10月2日にニュージーランド戦を制して、22歳と1日で史上最年少WRCチャンピオンに。故マクレーが27年間保持していた記録も打ち破ってみせた。

 そのカッレだが、タイトル獲得の同年にサンマリノで開催された『ラリー・レジェンド2022』にラトバラ代表とともに出場。チーム代表が所有する秘蔵コレクションの中からST185型セリカGT-FOURを拝借したカッレは、同じくTTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)カラーのST165型をドライブするラトバラがグリップ走行気味にドライブするなか、豪快なフェイントモーションから深いアングルをつけたドリフト走行に移行する妙義を随所で披露し、チャンピオンとしての技量とグループAマシンをあっという間に手懐ける対応幅の広さを見せつけた。

 また、その幼少体験から納得できるとおりドリフトそのものにも興味を示し、年間6戦で争われる2022年DMECドリフト・マスターズ・ヨーロピアン・チャンピオンシップの開幕戦にもゲストとして参戦。元D1グランプリ王者の斎藤太吾が製作したトヨタGRスープラで華麗な追走もこなすなど、年齢相応の“クルマ好き”ぶりも発揮する。

 日本のラリーファンとしても、今後のWRCで黄金時代を築く可能性が高い新世代チャンピオンの走りを、このラリージャパンで目に焼き付けておく必要がありそうだ。

WRC昇格前夜から「プレッシャーは自分自身からのものだけしか感じない。なぜなら常に今よりもっと良くなりたいからね」と語り、精神面の強さも兼ね備えていた
自身22歳の誕生日となった翌日、22歳と1日で史上最年少WRCチャンピオンに。故マクレーが27年間保持していた記録も打ち破ってみせた
元D1グランプリ王者の斎藤太吾が製作したトヨタGRスープラで華麗な追走もこなすなど、年齢相応の“クルマ好き”ぶりも発揮する
これが伝説の始まり。今後のWRCは“セバスチャンズ”に続く、ロバンペラの黄金時代到来を予感させる

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