元プロ野球投手 村田兆治さんが死亡 広島・三原市名誉市民 地元ゆかりの人も悼む

現在の広島・三原市出身で、元プロ野球選手の村田兆治さんが、東京の自宅で発生した火事で亡くなりました。

午前3時半ごろ、東京にある村田兆治さんの住宅の2階部分で火事がありました。当時、家に1人でいた村田さんは、病院に運ばれましたが、死亡しました。

三原市 本郷町出身の村田さんは、当時の福山電波工業高校から1967年のドラフト1位で「東京オリオンズ」に入団しました。

「マサカリ投法」と呼ばれた迫力のある フォームで通算215勝を挙げ、野球殿堂入りを果たしました。

現役引退後も全国にある離島を回って野球教室を開くなど、次世代の育成にも積極的に取り組んでいました。

1994年に出身地・本郷町の名誉町民となり、合併後は三原市の名誉市民にもなっています。

三原市民
「野球ですごく活躍されていて、なんかもう三原の代表という方」

井原敏幸さんは、同じ小中学校の先輩で、子どものころはよく遊んでいたそうです。

小中学校の先輩 井原敏幸さん(74)
「すごいなと思っとった。誇りでもあったよね。プロ野球に入って200勝するんじゃけぇ」

村田さんとともに野球で汗を流した後輩も訃報を聞いて驚いたといいます。

本郷中学校野球部で1学年後輩 浜井俊行さん(72)
「えっという声しか最初は出んかったですけどね。嘘じゃろ言うて」

本郷中学校の野球部で1学年後輩だった浜井俊行さんです。当時、村田さんの練習相手でした。

浜井俊行さん
「村田さんは練習するとき、だいたい、『おい浜井、キャッチ』って言うて、ようブルペンで受けよったです。村田さんはほんまにに優しい、後輩思いの人じゃったです」

浜井さんは、村田さんが名誉町民になったとき、旧本郷町の職員として今回、火事があった自宅を訪れたこともありました。その日は会えなかったものの、地元で会うと、気さくに話しかけてくれたそうです。

浜井俊行さん
「会ったときには『お久しぶりですね。元気ですか』と言ったら『おい浜井、元気にやってるか』言うて声かけてくれちゃった。亡くなられてね、ほんま残念ですね、本当に。野球発展のために尽くされた。ほんま、ご苦労様でしたと」

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