造山古墳 石室の一部か、板石出土 後円部墳頂、岡山市教委が初発掘

埋葬施設が現存する可能性が高まった造山古墳

 全国第4位の規模を誇る巨大前方後円墳・造山古墳(岡山市北区新庄下、国史跡)で12日までに、埋葬施設に伴うとみられる複数の板状の石が見つかった。岡山市教委が初めて後円部墳頂で行っている発掘調査で、中央部の土中から5個が並ぶように出土。石室の一部である可能性もあるという。未確認だった埋葬施設が現存し、古代吉備の王が今も眠っている期待が高まった。

 板石は後円部の中心点近く、現在の地表から深さ約80センチの場所で現れた。一辺40センチ前後の扁平(へんぺい)形で、中心線に沿うように南北方向に並んでいる。

 石材は、葺石(ふきいし)に使われる在地の花こう岩と異なり、古代吉備の大型古墳の石室に多く用いられた香川県産の古銅輝石安山岩とみられる。

 築造当時の墳丘表面ではなく、内部に埋まっている。市教委文化財課は「石室自体や、その上に設けられた葬送儀式の遺構などと推測されるが、見える石の数が少なく断定できない」とする。

 古墳研究が専門の澤田秀実くらしき作陽大教授は「石室の天井や壁として積み上げられた石とも十分考えられる。埋葬施設がどのように広がっているかはまだ判断できないが、現存している可能性を示唆する重要な出土物」と指摘する。

 石室発見の期待が高まるが、10月中旬に始まった今回の発掘は、墳頂に築かれた戦国時代の城跡の調査が目的。古墳本来の遺構は現状保存が原則で、これ以上掘り下げられない。市教委は板石の正体について、専門家の意見を聞いて検討していくという。

 造山古墳の埋葬施設については竪穴式石室があると推測されてきたが、澤田教授は「石室の存在が確定すれば、畿内の大王墓と比べて遜色ない“格”だと裏付けられる。構造からも吉備の王の人物像に迫れるだろう」とする。

 同課は「板石は埋葬施設の構造を知る上で貴重なデータになる。戦国期の改変状況も少しずつ把握できており、慎重に調査を進めたい」とする。発掘は12月中旬までで、現地説明会を今後開く予定。

大きな力あった証拠に

 白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長の話 出土位置や板状の石の形からすると、やはり石室の壁などが想像される。造山古墳が竪穴式石室を持ち、その中に石棺があったとすれば、畿内にあるヤマト政権の大王墓と同じ構造だ。全国4位の約350メートルという墳丘規模を踏まえても、吉備の首長が大きな力を持っていた証拠になるだろう。

 造山古墳 5世紀前半の築造。墳長約350メートルで、大山古墳(伝仁徳天皇陵)などが陵墓に指定されているため、墳丘に立ち入れる最大の古墳となる。榊山古墳、千足古墳など6基の陪塚(ばいちょう)を持つ。1582年の備中高松城水攻めの際に毛利勢がとりでを築いたと伝わり、後円部上に土塁や曲輪(くるわ)跡が残る。千足古墳の石室に刻まれた古代文様・直弧文の劣化損傷が契機となり、岡山市教委が保存整備事業を進めている。

造山古墳の後円部墳頂から出土した板状の石。盛り土内で連なるように並ぶ

© 株式会社山陽新聞社