「被爆体験者」初提訴から15年、闘い続く 原告団長の岩永さん「亡き仲間の無念晴らしたい」

原告名簿を指さす岩永さん。手前は被爆地域などを示した地図で、爆心地から同じ半径12キロ以内でも赤い部分にいれば被爆者、黄色い部分にいると被爆体験者と区分された=長崎市内

 国が定める地域の外で長崎原爆に遭った「被爆体験者」が、被爆者認定を求める集団訴訟を起こしてから15日で15年。現在の枠組みでは爆心地からの距離が同じでも、被爆者と認められない現状がある。体験者側は「不合理だ」と是正を訴え続けるが、被爆者と認められないまま亡くなった人は少なくない。「無念を晴らしてあげたい」。最高裁敗訴後に再提訴した原告団の闘いは続いている。

■限られる援護 

 「亡くなったね。この人も亡くなった。この人は早かったね…」。10月下旬。西彼深堀村(当時)で原爆に遭った原告団長の岩永千代子さん(86)=長崎市=は元原告らの名簿を一人ずつ指で追いながら、つぶやいた。
 岩永さんら22人が第1陣として、県と同市に被爆者健康手帳の交付などを求め長崎地裁に初提訴したのが2007年11月。その後、原告団は388人(上告時)に増えたが、把握するだけで既に100人近くが亡くなったという。10年近く前に初代団長が70歳で死去し、岩永さんが後を継いだ。
 国が手帳交付対象に定めるのは、原爆投下時、旧長崎市を主として南北に細長い被爆地域内にいた人。爆心地の南12キロでは被爆者と認められる一方、東西では7キロ程度でも認定されず、体験者はこの点を「不合理」と主張する。体験者支援事業は、医療費支給の対象を被爆体験による精神疾患などに限り、援護内容は被爆者に大きく劣る。

■救済に期待も 

 岩永さんは言う。「差別と分断。こんなこと許されない」。11年6月以降に順次提訴した第2陣原告は161人(同)。だが1、2陣とも放射線の健康影響は認められず、19年までに最高裁で敗訴が確定。一部の原告44人が再提訴した。
 体験者側は当初から、放射能汚染の黒い雨や灰に遭ったことによる「内部被ばく」を主張している。昨年の広島高裁判決は、国の援護区域外で黒い雨に遭った人たちを被爆者と認定。放射性微粒子を空気中や飲食物から体内に取り込み「内部被ばくによる健康被害を受ける可能性がある」と踏み込んだ。長崎でも体験者救済の期待が高まったが、国は被爆者認定を広島の黒い雨被害者に限り、体験者を除外した。

■代弁者として 

 期待した分、落胆は大きい。「空を見上げられないほど降った」と語る原告の松田宗伍さん(89)=同市=。爆心地から9.7キロの北高古賀村(当時)で大量の灰や紙切れを目撃し、今も心臓病やがんの治療を続けるが、救済は長年進まず諦めすら抱き始めた。「事実を認めて」。国に訴えたいのは、それだけだ。
 訴訟では年明け以降、原告や専門家の証人尋問が予定される。原告側は一刻も早い解決を求めるが、判決の時期は見通せない。
 岩永さんは、白血病で病床に伏す原告男性の無念そうなひと言が忘れられない。「頑張ってね」。男性は間もなく死去した。岩永さん自身も「あと何年生きられるか。体力や知力の衰えは自分でも分かる」と語る。それでも「病は原爆のせい」と訴え、亡くなった多くの仲間たちの代弁者として諦めるわけにはいかない。「おかしいことは、おかしい。そう訴え続けるだけです」


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