犯人逮捕直前、担当刑事は政権に不当拘束された…中村哲さんを殺害したのは誰なのか 30年交流の記者、3年間の現地取材報告(上)―安井浩美のアフガニスタン便り

 2019年12月4日、アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都ジャララバードで、日本の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(本部・福岡市)の現地代表を務めていた中村哲さんが灌漑事業を行っていた現場に向かう途中、武装した何者かに銃撃され殺害された。アフガニスタン取材を続け、カブールに住んできた私は、30年近くにわたり、中村哲さんや同会と交流があった。事件の取材を続けた結果、当時のガニ政権幹部と捜査担当の刑事の言い分には明確な食い違いがあることが判明。さらに、容疑者を追う刑事が政権側から不当に拘束されたり、脅迫を受けたりしていたこともわかった。日本の全国紙が元政権への取材などを元に主犯格だと報じた通称ハジ・ドバイ容疑者とは別の犯人像も浮かぶ。現地に根ざして尊敬されながら支援活動を続けてきた中村さんは一体誰になぜ殺害されたのか。悲劇から3年。イスラム主義組織タリバンが政権を握った後も含む長期取材の結果を報告する。(共同通信=安井浩美)

ペシャワール会現地代表だった中村哲さん

▽突然の訃報
 あの日、2019年12月4日。私は、韓国の仁川空港にいた。病気の手術と治療のために夏頃から半年近く、日本で過ごした後だった。アフガン人の夫は、手術を受けた10月に日本へ来てくれた。私は術後の経過を見るため残り、夫が先に帰国した。ようやく医者から帰国の許可が出て、予定を1週間前倒しして大喜びで帰国の途に就いたところだった。とんどでもないニュースが飛び込んできたのは、関西空港から仁川経由でトルコのイスタンブールに向かう途中だった。
 イスタンブール行きの乗り継ぎ便に乗るために出発ロビーへ向かった。新型コロナウイルスの流行が韓国にも迫り、空港ではマスクが配られていた。出発ロビーに到着し、ベンチで一休み。空港の無料インターネットに接続したとたんスマホに速報が飛び込んできた。「中村哲氏撃たれる」のような短い速報だったと思う。一瞬、自分の目を疑った。誤報であってほしいと願いながら慌てて同僚のイスラマバード支局長にLINEで尋ねた。中村さんが銃撃されたのは本当だった。容体が知りたくてイライラしながら何度もニュースをチェックした。およそ1時間半の待ち時間はあっという間に過ぎ、イスタンブールへの搭乗が始まった。「どうか無事でありますように」と心の中で唱えながらも最悪の事態は覚悟しておく必要があるなとも思った。イスタンブールに到着してすぐにニュースを確認すると「中村さん死亡」のニュースが飛び込んできた。私の願いは叶わず「どうして?」という問いが頭の中でぐるぐる回っていた。それでも現実をなかなか受け入れられないまま次のカブールへの便を丸1日待つことになった。

▽ご遺体との対面
 2019年12月6日早朝、カブール国際空港に降り立った。およそ半年ぶりのカブール。嬉しいはずだが中村さんを思うと悲しい。自宅に戻り、息つく暇もなく、シャワーを浴びて家を出た。遺体はカブールの司法解剖施設にあるという。急いで向かった。施設の入り口で名前を聞かれ「ムルサル(私のアフガン名)です」というと中に通してもらえた。前もって知人に頼んで保健省の大臣に施設への許可を頼んだのが功を奏した。施設長の部屋では大きなモニターに解剖室の映像が小さく映し出されていた。遺体から銃弾を取り除く手術中だった。銃弾が体内にあると、空路で帰国する際に経由地での入国が認められないという。手術が終わり遺体が安置室に移された。施設長に頼んで、会わせてもらった。6畳ほどの部屋に置かれたベットに、白い布にくるまれた遺体が安置されていた。「こんなところで何してるんですか」。思わず声を掛けながら大声で泣いてしまった。皮膚の色も真っ白で眠っているよう。「どうして?」。またこの問いが頭の中をぐるぐる回る。同じアフガニスタンを愛する者として、まだまだ頑張ってもらいたかった。悔しい。今でも思い出すと目頭が熱くなる。

解剖施設から搬送される中村哲さんの柩

 その後、遺体は柩に納められ、黄色い花と共に解剖施設から愛するご家族と対面するため軍病院へと運ばれた。こんな目に遭わせた犯人の顔をできることなら拝んでやりたいと心の中で思った。

 ▽犯罪担当刑事の証言
 事件当初から取材を続けたが、確定的な情報はほとんど得られなかった。事件から間もなく1年を迎えようとする頃、中村さん殺害事件に関する投稿がフェイスブックにあるのを知人が知らせてくれた。刑務所からだと主張している投稿で、中村さん殺害事件の元捜査員を名乗っていた。「ガニ大統領と副大統領に聞いてほしい」と始まり、ナンガルハル州ではとんでもないマフィアが色んな犯罪に手を貸しており、その解決に奔走したにもかかわらず、その後、マフィアとの関係を疑われ投獄されたのだと訴え、中村さんの殺害についても書き込んでいた。実際に服役中だった元捜査員と連絡が付き、話を聞くことができた。元捜査員は事件後すぐに当時のアンダロビ内務大臣に電話したという。「大臣、メモを取ってください。以前警察で働いていた男が、イスラム主義組織タリバンの一員になりその後過激派組織「イスラム国の一員になりました。この男は、タリバンでもイスラム国でもない別のルートから金で仕事を請け負い、中村さんを暗殺しました」。事件の2日後、カブールの本省からテロ犯罪担当長官と副長官その仲間がナンガルハルにやってきたので、元捜査員は事件の一部始終を説明したという。情報提供者に会わせろとしつこく言われ、仕方なく面会させたが、その後一向に捜査は進む様子はなく、誰もこの事件のことを口にも出さなくなったという。後日、取材を進めて情報提供者に接触したが「何も知らない」の一点張り。話が聞けないどころか、何かに怯えているようだった。

中村さん殺害現場の交差点

 元捜査員はどういうわけか中村さん殺害事件の1週間後から、自宅待機を命じられる。事件から7か月後の2020年7月、内務省から電話が来て、職場復帰するようにと言われ復職が決まる。出勤前、当時の上司から電話で「どのくらいで中村さんを暗殺した犯人を逮捕できますか?」と聞かれ「48時間ください」と答えると「じゃあ犯人逮捕をお願いする」と命じられた。
 だが、その直後、職場に向かう車で通った検問所で人生が一転する。麻薬犯罪担当員から話しかけられ「麻薬犯罪担当副長官があなたに用事があると言っているので事務所まで来てくれ」。到着すると元捜査員はいきなり羽交い締めにされ、トイレに3日間監禁された。それも動物も使わないような汚いトイレにだった。
 3日後、突然罪状が読み上げられ「内務省職員という立場を利用してマフィアに手を貸した罪」と言われた。元捜査員は「はめられた」と感じた。その後3か月間取り調べを受けた。300ページにも及ぶ取り調べ報告書が作成されたといい「あんまり騒ぐとこのまま(嘘の)報告書を大統領府に提出するぞ」と脅されたという。長く続いた裁判の後、元捜査員は刑務所に収監された。何のための拘束だったのか。元政権による事件隠蔽のにおいを感じずにはいられない。この元捜査員は釈放後、タリバン復権の混乱で連絡が取れなくなっている。

▽某全国紙報道の違和感
 中村さん殺害から1年半後の2021年6月、某全国紙が中村さん殺害事件について長い連載で報じた。事件現場の目撃証言は、詳しく取材されており納得いくものだった。中村さん殺害の主犯を過激派組織パキスタンのタリバン運動(TTP)司令官で通称「ハジ・ドバイ」で知られる「アミール・ナワズ・メスード」と報じた。「ドクター中村を殺す気はなかった」という証言や、同じTTPのメンバーから提供されたハジ・ドバイとされる写真にも違和感があった。というのも、私が入手したハジ・ドバイは、某全国紙の写真とは別人のようで、年齢も某全国紙が報じた40歳前後に対し、55歳前後。同じ人物とは思えなかった。
 知名度の低いテロリストが中村さんをわざわざ殺害するというのも腑に落ちなかった。アフガニスタンの国家保安局内でもハジ・ドバイの存在は、皆が知るところではなく、どちらかというとロープロファイルな人物だった。そのハジ・ドバイが中村さん殺害事件後のおよそ1年2カ月後にカブールで殺害されたとパキスタンメディアが一斉に報じ、さらには中村さん殺害の主犯だったという話まで伝えられた。ハジ・ドバイ殺害と中村さん殺害事件の主犯という報道は、パキスタン国内メディアで一時報道されたが、どういうわけだかアフガン国内では報道されることはなかった。

 某全国紙は、ハジ・ドバイの犯罪歴や人となりなども詳しく報じていたが、そのほとんどがハジ・ドバイを知るというTTPのメンバーやアフガン政府関係者の証言だった。私自身も政府関係者から話を聞いてはいたが、なかなか鵜呑みにはできないものだった。というのも国家保安局の幹部の証言は2転3転した末に、最終的に某全国紙と同様に主犯は、テロリストのハジ・ドバイだと突然言い始め、ハジ・ドバイはその後、警察に射殺されたと急に語ったからだ。あたかもテロリストの仕業でこの事件を終わらせようとしているように感じた。中村さん殺害犯が射殺されたにもかかわらず、アフガン政府は記者会見も行わなかった。国家保安局の幹部に会見を開かないのかと聞くと、共犯の「ハムザ」という男がまだパキスタンへ逃亡し逮捕されていないからとした。中村さん殺害事件はそんな簡単なものではないと納得がいかなかった。本当にハジ・ドバイが主犯でその後、警察に射殺されたのか?事件のカギを握るハジ・ドバイ殺害事件について取材することにした。

▽過激派ハジ・ドバイは泥棒?
 2021年3月10日、ハジ・ドバイ殺害事件現場のカブール東端の12地区、アフマドシャー・ババミナと呼ばれる場所に向かった。まず、事件を担当する12地区の警察署に行く。ハジ・ドバイの遺体の写真なども国家保安局幹部から手に入れているため、事件を調べるのはそんなに難しいことではないだろうと思っていた。しかし、残念ながらその日は12地区の警察署長に会うことはできなかった。警察署の入り口で警察車両に乗って現場へ向かう途中の刑事を無理やり呼び止め、遺体の写真を見せて話を聞いた。「この写真の人物ですが、ハジ・ドバイといわれるTTPの司令官で、この地区で殺害されたんですがご存じですか」と聞くと「あー。覚えてるよ。私は非番だったけど、そんなテロ事件でなかったはずだよ。強盗の案件だった」と言われた。そこで事件現場がどこなのかを聞いてみた。すると「アフマドシャー・ババミナの幹線道路の交差点で発生した」と言い残し、去って行った。幹線道路の端から順に聞き込みを開始した。三つ目の交差点で、もう一つ向こうの交差点で起こったと言われ、道路沿いに店を出している人に話を聞いてみた。するとその事件は「あそこのハマム(スチームバス)もある理髪店で起こった」と指さした。早速、店に入り、店主のタイブラさん(25)に話を聞いた。「1カ月半くらい前の夕方5時半頃に2人組の武装した強盗が店に入ってきて『動くな』と銃を突きつけられ、店にいた客から現金を奪っていった。さらにその奥のハマムにも行き、客から現金を巻き上げようとしたところ、たまたま警察車両が通りかかり、2階へ逃げた強盗と銃撃戦になったのさ。2人組は店を出て道路を渡ったところで1人は射殺され、もう1人は頭部を負傷し逮捕されたんだ」と話した。
 現場でさらに聞き込みを続け、リキシャ運転手や靴磨きの男性など事件当時現場にいた人にも話を聞くことができた。遺体の写真を見て「間違いない」と、みな口をそろえて話した。しかし、ハジ・ドバイとされる生前の写真を見てもらったが「強盗はこの人ではない」と言う。一体この射殺された人は誰なのか? この日は、日も暮れそうで治安の良い地域ではないので、いったん現場を後にした。

 ▽ハジ・ドバイは生きているのか?
 3月13日。この日は、友人のアフガン人ジャーナリストにも同行してもらい、12地区の警察署に事件の詳細を聞きに向かった。警察署に行く前に事件現場の理髪店で友人に事件のことをもう一度聞き取りしてもらった。やはり、私が聞いた話と同じだったが、店主は「犯人は手りゅう弾は持っていなかった」と言ったという。遺体の写真には手りゅう弾が二つ写っていた。なぜなのか。後の取材で2人組の一人が拳銃、もう一人が手りゅう弾を持っていたという情報も出てきたが、遺体の写真に手りゅう弾が写っているのには違和感をぬぐえなかった。

カブール12地区のハジドバイとされる人物が射殺された現場

 警察署に到着し2階に上がると突き当たりに人がいるのが見えた。偶然にも理髪店の事件を担当したという刑事が2人いて詳細を話してくれた。「強盗の案件で警察と銃撃戦になり、一人は射殺、もう一人は負傷して逮捕された」という。さらに当時の調書を見ながら刑事の一人は「シャー・フセイン(父の名はイブラヒム)。ナンガルハル州出身で射殺された。もう一人は、ワリ・モハマドという名前で頭部を負傷し服役中」。全然話が違うではないか。同行の友人と「やっぱり何かがおかしいよね」と帰路の車中で話をしていたら電話が鳴った。
 12地区の警察署長だった。「まっすぐに私のところに来いといっただろ」といきなりあいさつもなく怒鳴り口調。「誰もそんなことは言いませんでした」と答えると、さらに乱暴な口調で「あなたたちが聞いたことは何でもない。(ちょっと慌ててどもった感じで)はっきり言いますが、ゼロ、ゼロですよ。あなた達が仕入れた情報は。真実はすべて私の手中にあります。パキスタンでも報道されましたが、私たちが射殺した犯人は、中村さんを殺害した犯人だ。写真などすべての情報は私の所にある」とえらい剣幕で私たちをまくし立てた。「それなら情報を下さい」と頼むと、会話の途中で電話を切られた。この時の警察署長の態度は、何か知られてはいけないことを知られて慌てて連絡してきたとしか思えなかった。

▽警察署長の言い分
 翌14日。昨日の警察署長の言っていた「全ては私の手中にある」という言葉が気になり、顔の割れていない共同通信のアフガン人同僚に警察署に行ってもらった。警察署長に面会すると、何度も私たちと関係のない人かどうかを聞かれたらしい。そして、話した内容は次の通りだった。
 「12地区で殺害されたのは、通称ハジ・ドバイの名で知られたアミール・ナワズという人物だ。ハジ・ドバイ自身の年齢はわからないが、パキスタン人で、TTPのメンバーで、2021年1月29日の午後5時20分にアフガン警察によって射殺された」。続けて「その後の調査で彼は、強盗ではなくテロリストだった。警察と銃撃戦になり射殺され、負傷した仲間は逮捕されたが、その後刑務所で死亡したと聞いている。事件発生段階でハジ・ドバイだとは分からなかったが、諜報機関がハジ・ドバイの防犯カメラの映像と遺体の写真を照合し、ハジ・ドバイであると確認した」。そして最後に「ハジ・ドバイは中村さん殺害の犯人だった」と話した。
 しかし、私の手元にあるハジ・ドバイ自身とされる生前の写真は遺体とは同一人物と判断しがたい。年齢もハジ・ドバイの写真の方が遺体より年配に見える。某全国紙の掲載した写真とも警察署長の言う防犯カメラの映像が本当にハジ・ドバイなのかもよく分からない。最初の事件の調書にあるシャー・フセインという人物であることを否定する根拠もない。
 3月16日。ハジ・ドバイの遺体がどうなったのか気になり、解剖施設に問い合わせてみた。記録によると事件の2日後、2021年1月31日に12地区から身元不明の遺体が届いている、というところまではわかったが、これ以上は取材を許可されなかった。事件のあった日は、シャー・フセインの名前で調書に上がり、その後アミール・ナワズ(通称ハジ・ドバイの本名)のはずなのに解剖施設の記録では身元不明となっている。ここもやはり疑問だらけだ。

ペシャワール会関係者と歩く生前の中村哲さん(中央左)

 昨年8月のタリバン復権から3か月後、私も緊急避難したパキスタンからアフガンに戻って中村さんの事件の取材を再開した。12地区警察署長は行方不明になっていた。もし、本当に中村さんを殺害した犯人がハジ・ドバイであるならばアフガン政府はどうして公式発表を行わなかったのか。やっぱり何かがおかしい。さらに取材を進めるととんでもない事実が判明した。(下に続く)

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