消えた捜査ファイル、死んだはずの「主犯」遺体は別人か…中村哲さんを殺害したのは誰なのか 30年交流の記者、3年の現地取材報告(下)―安井浩美のアフガニスタン便り

 2019年12月、アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都ジャララバードで、日本の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(本部・福岡市)の現地代表を務めていた中村哲さんが灌漑事業を行っていた現場に向かう途中に武装した何者かに銃撃され殺害された。アフガニスタン取材を続け、カブールに住んできた私は、30年近くにわたり、中村哲さんや同会と交流があった。犯人を突き止めたい…。取材を続けると、日本の全国紙が元政権への取材などを元に主犯格だと報じた通称ハジ・ドバイ容疑者の遺体とされる写真からは別人の可能性が浮上。イスラム主義組織タリバン政権掌握の混乱で事件の捜査ファイルも消えていた。政権高官の関与は? 悲劇から約3年。タリバンが政権を握った後も含む長期取材の結果を報告する。(共同通信=安井浩美)

アフガニスタンで活動していた中村哲さん

▽タリバン政権下、白紙に戻った事件
 中村さん殺害事件後、警察、諜報機関、テロ撲滅組織といろんな治安機関を取材した。いずれからも旧ガニ政権時には、公式なコメントや情報を入手することができていなかった。治安関係者は、口では、中村さんの功績を讃え、何としても犯人を逮捕したいと言うが、全く新しい情報はもらえなかった。テロリストを犯人と名指しし、事件の幕引きを図ろうとしていた。
 旧政権が主犯だと指摘したハジ・ドバイは、パキスタンのタリバン運動(TTP)のテロリストだという。事件後すぐにテロ撲滅組織のトップとナンバー2がジャララバードをわざわざ訪れて詳しく捜査していたこともあり、テロ撲滅組織に取材に行ってみた。タリバン復権後も以前と同じ場所にあるテロ撲滅組織事務所で、中村さんの事件に関する調書や報告書などを閲覧できないか聞いた。

 「残念な話だが、旧政権時の事件のファイルはほとんどが焼却され、データ化されたものも破壊され何も残っていない。テロリストの詳細も何もかもだ」とモバシル担当官。逆に「あなたは何か旧政権から得られた書類などはお持ちですか。あれば私にも共有してください」と頼まれた。ファイル消失とともに事件は風化してしまうのか。真犯人は見つけられないまま終わってしまうのか。残っている調書がないか探してくれるように頼み、事務所を後にするしかなかった。

ハジ・ドバイとされる人物

 約1カ月後、モバシル担当官に再び会いに行った。ラマダン中の礼拝が終わり爽やかな笑顔で現れたモバシル氏は「生きているという情報をもらった」といきなり言った。ハジ・ドバイは死んでいない!。さらに「殺害現場は、ナンガルハルの軍閥の家の裏だよね?」といわれ「現地では、その軍閥が事件に関わっているといううわさもある」と話した。私は翌朝、中村さん殺害現場のナンガルハル州ジャララバードへ向かった。

▽旧政権時話せなかった治安関係者の驚く証言
 実は、中村さん殺害事件の1カ月前、ナンガルハル州の治安組織に中村さん殺害に関する情報が舞い込んでいた。「灌漑でクナール川の流れを変えた中村さんに対するパキスタンの三軍統合情報局(ISI)による殺害計画があった」。ISIはパキスタン軍の諜報機関で、南アジア一帯で恐れられている。インドと長年対立するパキスタンでは軍が絶大な権力を持っている。過去何度も軍の意に沿わない政権を放逐するクーデターを主導してきたとされ、隣国アフガニスタンを混乱させるなどの目的でタリバンらイスラム武装勢力を陰で支援してきた。
 そんな強大な権力による中村さん殺害計画情報を得た治安組織の捜査員は早速、中村さんや警備関係者と面会した。捜査員は「ISIによる中村さん殺害計画があります。事業を行うヘイワ地区などで身辺警護をしますので何なりとお申し付けください」と申し出たが、中村さんは「私には関係がない。私のような非力で住民のために働く人間を殺す人はいない」と話したという。さらに捜査員は「パキスタンのISIが企んでいます」と強調したが「誰も私を殺さない」といって真剣に取り合ってくれなかったと当時を振り返る。捜査員は、事業を展開しているエリアで起こるのではないかと警戒していたが、1か月後、現場へ向かう途中の中村さんの車列を、それも街の中心部で襲撃した。実行犯は全部で12人。1997年と2000年製モデルの白いカローラ2台に分乗していたという。捜査員によると、全員がアフガン人で、12人のうち4人は、国家保安局所属の02部隊の兵士だったという。この部隊は、昨年8月の混乱時に米国へと退避したらしい。
 事件後、現場周辺の防犯カメラの映像をたどると、あるポイントで車の姿が消えていた。そのポイントには旧政権のある政治家の関係者の家があった。犯行に使われた車両がその家に隠匿された可能性は高いと捜査員は言うが、権力の壁に阻まれ、誰もその家の家宅捜査をすることができなかったと言う。
 犯人を早期に逮捕するよう重圧を受けた捜査員は事件から1週間後、ある容疑者を逮捕した。犯行に使われた車両を手配した男だった。だが、すぐにカブールに移送するよう言われて取り調べもままならないまま、タリバン復権の混乱に紛れて釈放され、今はどこにいるか分からなくなってしまったという。
 その後、捜査員は旧政権高官から「この事件については、これ以上捜査するな」と脅迫まがいに言われた。捜査員自身、身の危険を感じ、手を引いた。旧政権が崩壊し、タリバン政権となり、今回、記憶をたどり話してもらうことができた。
 治安関係者が情報提供者から得た話によると、中村さんのスタッフの一人が大金と引き替えに、事件2~3週間前から中村さんの行動を犯行グループに報告していたともされる。スタッフによる裏切りは考えにくく、真偽のほどは分からない。だが、捜査員は、犯行グループがスタッフからの情報により中村さんが車で通る道を知ることができたのではないか―と推測していると語る。スタッフは20万ドル(2800万円)を中村さん殺害後に受け取る約束をしたという情報もあるというが、このスタッフとされる人物は中村さんと一緒に犯行グループに殺害されてしまった。責任を押しつけようとたくらむ誤情報の可能性も否定できず、真相は闇の中だ。

解剖施設から搬送される中村哲さんの柩

 中村さんの事件を発生当時から調べていた捜査員は、ハジ・ドバイ主犯説を真向から否定する。ハジ・ドバイを主犯だと主張していた旧政権の国家保安局の幹部は、事件後にハジ・ドバイが暮らす村で軍事作戦を実行したと主張していたが、捜査員は「そんな事実はない」と否定。捜査員によると、中村さん殺害事件は、パキスタンのISIが発注し、金に目がくらんだアフガン人犯罪グループの手で実行に移されたという。ISIからグループに流れた金はかなりの大金で、はっきりしないが数十万ドル、さらには100万ドルの可能性も否めないと話している。

▽事件後に届いたもう一つの情報
 別の治安機関の捜査員も同じく事件発生時から半年、中村さんの事件の捜査を行っていた。この捜査員も似たような情報を得ていた。それは、次のようなものだった。
「ISI所属の人物がパキスタンのペシャワールでアフガン人の犯罪グループと面会し、中村哲さんの殺害を8千万パキスタンルピー(約5千万円)で依頼した。その後依頼を受けたパキスタンのタリバン運動(TTP)の男が別の人物に5千万パキスタンルピーで殺害を依頼し、残りの3千万パキスタンルピーは、犯罪グループの取り分とした」というものだった。
 この情報に基づいて事件から約1週間後に3人の容疑者が逮捕された。この件に関しては、治安機関から日本大使館にも報告が行っているはずだとしているが、容疑者3人の取り調べは難航し、いずれの容疑者も証拠不十分で釈放されている。

▽ハジ・ドバイは生きている?
 タリバン政権のテロ犯罪組織のモバシル担当官の「ハジ・ドバイは生きている」という情報を得て、もう一度事件現場へと向かった。カブールからパキスタン国境方向に向けて車で走ると約2時間半でジャララバードに到着する。
 事件現場は閑静な住宅街にある交差点。コンクリート塀に囲まれた軍閥の豪邸、さらには政府の建物が並ぶ交差点の少し先で中村さんは銃撃された。事件当初、軍閥の家には警備員がいたはずだ。交差点を見下ろす位置に警備小屋が見える。発砲音を聞いても、軍閥の家の警備員は対応していない。その日に何かが起こることを知っていたのか。

犯行車両が所在不明になった中村哲さん殺害事件現場近くの路上

 事件現場を後にし、ハジ・ドバイを知るという人物に会いに隣のクナール州に向かった。クナール川に沿って2時間半で州都アサダバードに到着した。途中何度もタリバンの検問所があったが女性は敬意を示され、止められることはほとんどなかった。さらに30分走り、幹線道路を右折しクナール川に掛かる橋を渡って対岸の村にお目当ての男性を訪ねた。連絡を取り合ってはいたが、面会するのは初めてだ。民家の一室で待つこと10分。ハジ・ドバイを知るという男性が現れた。あいさつを交わし、早速本題に入った。

「ハジ・ドバイは生きています。120%生きています。年齢は55歳くらい。半年くらい前にホスト州の友人を訪ねた時にハジ・ドバイもそこにいた」。当局から入手した写真を見せると「そうです。この人です。TTPのメンバーでとても凶悪な人です」と話した。さらに彼はISIと関係が深いグループに属していると話した。住民に聞くと、隣村でハジ・ドバイが歩いているところを目撃したとも言う。ハジ・ドバイの写真を見せたところ間違いないという。事件からすでに2年以上が経過していた。ハジ・ドバイが生きているなら、カブールで殺害されたというのはでっち上げだ。ガニ旧政権は、中村さん殺害事件を、TTPによるテロ事件ということにして終わらせたかったのだろうか。ハジ・ドバイの共犯者として旧政権から指名手配されていた通称「ハムザ」も生きており、TTPのメンバーとして現在も活動していることが確認されている。
 旧政権の国家保安局の幹部は、カブールで殺害されたのがハジ・ドバイと主張していたが、取材の結果、ハジ・ドバイも共犯者のハムザもいずれも生きていることがほぼ確実となった。旧政権の国家保安局の幹部には、嘘の情報を与えられていた。真相を隠して何を守ろうとしたのか。知りたくても、ガニ政権の幹部の多くは、国家保安局の幹部も含め、タリバン復権後に姿を消し、どこにいるのかわからない。

▽「誘拐目的だった」というTTPの言い分
 パキスタンの部族地域での取材によると、TTP幹部も「ハジ・ドバイと彼の部下らが中村さん殺害に関係していた」と主張している。「2019年の1月21日にハジ・ドバイとハムザは、カブールに向かい、その日にハジ・ドバイは、警察との銃撃戦で殺害され、ハムザは、中村さん殺害の一件で逮捕され、タリバン復権で釈放された」と話している。ガニ旧政権の主張に沿った言い分だ。
 しかし、タリバン復権前に国家保安局の幹部は、ハムザがまだ逮捕されていないため中村さん殺害事件に関しての正式発表ができないと話しており、矛盾する。さらに、ハジ・ドバイとされる人物が殺害された日は、21日ではなく、29日だった。TTPの幹部の証言だとハムザは拘束されていたことになり、食い違いがある。いずれか、あるいは双方が嘘をついているということになる。さらに、ハジ・ドバイの別の共犯者の一人は、「自分たちは、日本政府からの身代金目的で中村さんを誘拐しようとしたのに、中村さんが拒んだためにハジ・ドバイが殺害した」と答えた。旧政権の国家保安局は「100%殺害が目的の犯行」としているのとも食い違う。TTP幹部は、中村さん殺害事件はハジ・ドバイが首謀者で、TTPには情報共有されていなかったと指摘する。共犯者のハムザに対し、きつく今後TTPとの合意なしでの活動を禁止する旨を言い渡しており、現在はパキスタン部族地域で普通に暮らしているという。ハジ・ドバイの遺体を引き取らなかった理由は「アフガン政府との合意のうえ」と話している。「首謀者は、ハジ・ドバイ」「誰からも命令されたわけでもなく、お金のために犯行を犯した」と最後に話した。腹の中では逆に「犯人は別の人物」「ISIの命令だった」と思っていたのではないだろうか。

▽事件は解決できるのか?
 ジャララバードに戻る途中、中村さんらが建設したマルワリード用水路にある「ナカムラ公園」に立ち寄った。中村さんがモデルにした福岡県にある「山田堰」にそっくりの景色が広がっていた。ペシャワール会で働くという地元男性が日本人の私を見つけて走ってきた。「中村さんはもういないけど、今もプロジェクトは続いているよ」と現場を指さした。

プロジェクト現場を指すペシャワール会職員

 なぜハジ・ドバイを実行犯にでっち上げたのかは定かでない。だが、パキスタン、アフガンのガニ旧政権の両方がこの事件の真相を隠そうとしていたことは間違いないようだ。タリバン政権のムジャヒド報道官に中村さんの事件について聞くと「中村さんの事件についてフェイスブックに投稿した元捜査員を探している。彼が言うように、旧政権関係者が事件に関わっている可能性は高い。犯人がTTPのハジ・ドバイの可能性は考えにくい」と話した。この元捜査員は、中村さん事件当時のナンガルハル州の犯罪担当刑事として事件を捜査していた人物だ。事件後突然、休職を言い渡され、自宅で待機していたところ上司に「中村さんを殺害した犯人を逮捕してもらいたい」と呼び出され、警察署に向かう途中に逮捕され長期間投獄されていた。
 ハジ・ドバイが生存している可能性が大きい今、タリバンには真犯人逮捕に尽力してもらいたい。タリバンのある犯罪捜査担当者は「中村さんは一個人ではなくアフガン人みんなに尊敬される人だ。そんな人を殺害した犯人逮捕は私の務めだ」と力を込めて話した。だが残念なことに、捜査が積極的に行われている様子は見られない。

生前の中村哲さん

 事件から3年、いま一度中村さんのご冥福を心からお祈りするとともに、事件が解決し中村さんの始めた事業が今後もできるだけ長く続くことを願いたい。

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