稲垣吾郎が「“素”の僕に当て書きされていると感じた」最新作『窓辺にて』東京国際映画祭で観客賞受賞! 今泉力哉監督作

©2022「窓辺にて」製作委員会

“恋と愛”の間にある距離

パートナーの自分への愛は本物なのか。そのことに悩む人物を中心に据えた映画は数多いが、自分のパートナーへの愛について悩むのが、『窓辺にて』稲垣吾郎が演じる市川茂巳だ。

「もうこれ、吾郎ちゃんそのものなんじゃないの?」と錯覚してしまうほど、あまりに自然にそこに存在し、語り、動いたり動かなかったりするので、個人的には今年の主演男優賞は決定である。

市川は評価の高い小説を1作発表しただけで、自ら小説を書くことをやめ、フリーのライターになった。彼は、編集者である妻が若い人気作家と浮気をしていることを知っているが、そのことに動揺しなかった自分に、動揺している。自分の感情の希薄さに、だ。

主人公は「素の稲垣吾郎」への当て書き

脚本は、監督の今泉力哉によるオリジナル。稲垣吾郎を想定して書いたそうだから、ぴったりなのは当然かもしれないが、単なるハマり役以上の化学反応が画面を通して伝わってくる。今泉は『街の上で』(2019年)『愛がなんだ』(2018年)など会話劇であり恋愛群像劇を多く撮っているが、今回もそうでありながら、何者かになれずにいる若者ではなく、「何かをなし得てしまった後の人生」を丁寧に描き出している。これはウディ・アレンやホン・サンスも描いてきたことで、今泉力哉が映画作家として次の段階に進んだ証と言えるだろう。

もちろん、稲垣吾郎はSMAPとして時代を背負ったことのあるスターだ。今もスターであり、同時に40代の中年男性として、ちゃんと日常を生き、きちんと教養を持っている様を漂わせることが出来る。でもどこか、他の星からうっかり落ちて来てしまった異星人のような浮遊感とおかしみがあり、何かを成し得てしまった人物を演じるには、これほどふさわしい人はいない。

稲垣自身も、東京国際映画祭での上映後の質疑応答で、「ここまで役作りしない役ってないんじゃないかなっていうくらいに、役作りはしませんでした。僕のパブリック・イメージに対する当て書きではなく、素の僕に当てて書かれているように感じて。僕が言いそうな言葉が出てくるので、監督には僕が思っていることを見透かされている気がしました」と、素顔を見られてしまったように照れていた。

市川と不思議な交流をすることになる高校生作家の久保留亜(玉城ティナ)も、若くして何かを成し得てしまった人物で、彼女は何かを手に入れ、手放す、ということに自覚的だ。そして市川の友人の有坂(若葉竜也)も、ピークを過ぎつつある有名プロスポーツ選手で、彼もまた浮気をしている。もちろん、特別な才能を持つ人たちだけでなく、何かを成し得た=欲しかったものを手に入れてしまった後はどうするのか、ということも描かれる。

その姿は市川の妻である編集者の紗衣(中村ゆり)が象徴していて、おそらく好きな職業につき、好きな小説を書く市川と結婚し、おしゃれな家にも住んでいるが(編集者とライターの家にしては本棚に本が少ないのが気にはなるが、きっと書斎は別にあると思いたい)、夫の自分への愛に疑問を抱いてしまう。彼女はきっとずっと優等生で、ある種の理想を追い求め手に入れたはずなのに満たされない、成果主義の犠牲者なのだろう。

市川は感情の起伏が薄いからと言って、愛がないわけではないのだが、表現とはことほど難しいし、人によって異なるものだ。留亜の恋人、優二(倉悠貴)だけが表現や成功に囚われておらず、彼はどこででも生きていけそうで、その存在にほっとさせられる。どの俳優も皆うまいが、特に若葉竜也の演じる下衆だが良い奴、が生々しい。

巧みな構図を用いた“距離”の映画

今泉力哉は「手放すことがマイナス、続けることがプラスとされているけれど、実は手放すことは次に進むために必要なことだったりする。これがいけない、良いということを疑おう、という作品です。共感やみんなが知っている感情は主題になりやすいですが、僕は他人には理解されないような小さな悩みを主題にしています」と語っていた。

登場人物たちにひたすら会話をさせ、非常に面白いセリフも多数出てくるのだが(タクシー運転手の語る“贅沢”の解釈が最高)、それでもそこで語られなかったことに興味を惹かれてしまう。その語られることと、語られないことの間合いが最上のものになっていて、143分間、ずっと画面に惹きつけられてしまう。

同時に、『ドライブ・マイ・カー』(2021年)などの四宮秀俊による撮影も素晴らしい。市川夫妻がついにお互いの気持ちをぶつけるに至る12分の長回しでは、カメラはフィックスのまま、二人の距離や表情の変化を記録し続ける。喫茶店のシーンも多いのだが、そこでの光の取り込み方、二人の人物を捉えた構図の違いなど、何度も見て確認したくなる。

『窓辺にて』は距離の映画だ、とも言える。劇場用パンフレットにも書いてしまったのだが、私が洋画配給会社で宣伝部員をしていた頃、リチャード・リンクレイター監督の『Before Sunrise』(1995年)に、「恋人までの距離(ディスタンス)」という邦題をつけた。イーサン・ホークとジュリー・デルピーが長距離列車の中で出会い、ウィーンで途中下車してひたすら会話をするうちに、恋に落ちる。別の題名(確か「恋一夜」だったと思う)を付けたかった上司と大揉めしたが、作品担当だった私は「距離」にこだわった。その後『ビフォア・サンセット』(2004年)、『ビフォア・ミッドナイト』(2013年)という続編が生まれるが、個人的には<「距離」シリーズ>だと勝手に思っている。この三部作は、物理的、心理的距離の変化を見事に収めた映画だが、『窓辺にて』もそれぞれの距離感の違いが生む恋愛関係の終わりを描いた珠玉の映画だ。

この映画を気に入ったら、パンフレットもお手元にぜひ。大島依堤亜さんの装丁が美しく、中身もとても充実していますので。久保留亜の小説「ラ・フランス」の冒頭も読めますよ。パフェとコーヒーと一緒に、贅沢な時間を過ごしてください。

文・撮影:石津文子

『窓辺にて』は2022年11月4日(金)より全国公開中

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