茂木って「こがんよかとこぞ!」 中学生と町の宝探し 太古は「裳着」だった?

ふるさとの歴史や文化を再発見しながらさるく髙橋さん(手前)と生徒たち=長崎市茂木町

 10月中旬、長崎市立茂木中から電話が入った。「中学1年生と一緒に『茂木さるく』に出かけませんか?」。ふるさとの歴史や文化を再発見する取り組みと聞き、二つ返事で同行させてもらった。
 散策日和の10月28日。案内役は茂木町に住む髙橋貞信さん(81)と岩﨑照夫さん(74)。1年生30人と、外国人に人気だったビーチホテル跡やかつて鉄道計画があった堀切、歴史ある裳着(もぎ)神社や潮見崎観音などを巡るコースだ。ところで、神社名が「裳着」と表記するのはなぜなのか? 出発前の学習でその答えを知ることになった。
 髙橋さんによると、昔の書物に、当地は「裳着」と記されていた。古事記と日本書紀に出てくる神功(じんぐう)皇后(仲哀(ちゅうあい)天皇のきさきとされる)が、朝鮮半島での戦いの帰りに立ち寄り、弁天山に上がって“裳”(下ばかま)を“着”替えたと郷土史に書かれている。読みやすい現在の「茂木」に変わったのはいつの時代か定かではないそうだが、自分が住む町の名にそんなエピソードがあると知るだけで、太古とのつながりが感じられそうだ。

実物の植物化石に見入る生徒たち。ブナなどの葉がきれいな状態で確認できる=長崎市茂木地域センター

 市営住宅の前を歩いていると、「ここら辺は埋め立て地よ」と説明が入った。さらに進むと「はい、茂木植物化石層に着きました」。驚いて見回すと、金網の向こうにしま模様の岩石が目に入った。住宅地の傍らに国際的に注目を浴びた場所があるとは。1879年にスウェーデン人の探検家が発見した。日本で初めて確認された新生代植物化石。1千万年前の地層とみられ、52種類の植物が識別されている。貴重な地層を見た後、切り出された化石がある地域センターに移動した。
 泥岩の中に葉脈までくっきりと分かるブナなどの葉。「すご~い」。顔を近づけてまじまじと見入る生徒もいれば、タブレットで写真に収める生徒も。北浦の海岸ではハドロサウルス科の恐竜化石も見つかっていて、気が遠くなるような昔を想像しながら、生態系の豊かさを垣間見た。
 改めてわが町を歩き回り川口楓斗さん(13)は「県内でも知名度が低いと思っていた。全国でも知られているんだ」と見直した様子。ガイドを務めた髙さんは「君たちは茂木の担い手。十分知って理解して、『こがんよかとこぞ!』と自信を持ってPRして」と託した。
 大人になったら国内外でお国自慢をして、たくさんの人を呼び込んでくれるかも。歴史のかけらがそこかしこに散らばる町で、そんな期待を抱いた。


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