死ぬほど旨い?「嫌味料理」に悶絶必至!『ザ・メニュー』は“絶望”を提供する美食ミステリー

『ザ・メニュー』©2022 20th Century Studios. All rights reserved.

カルト教団のようなレストラン

こんなに意地の悪い映画は見たことがない! 『ザ・メニュー』の登場人物が直面する事態はもちろん、彼ら自身も様々な面で“厭な”部分を持ったキャラクターだからだ。物語冒頭から、その片鱗が垣間見られる。

アメリカ北西部、太平洋沖の孤島で営業している高級レストラン、ホーソン。孤島にあるにも関わらず人気店であるホーソンはめったに予約が取れないのだが、今日は特別に招待された人々が集う日。

ホーソンに向かう船に乗り込むのは、グルメオタクのタイラー(ニコラス・ホルト)と、その連れ合いのマーゴ(アニャ・テイラー=ジョイ)だ。これから人気レストランで食事をするというのに、タバコをふかすマーゴに向かって彼は言う。

「タバコはよせ、味覚を殺す」

そして同船する著名な料理評論家リリアンを見つけると、「今日はすごいディナーになるぞ!」と勝手にテンションを爆上げさせる。このやり取りから、マーゴとタイラーは恋人同士ではないことが分かる。とにかく「三度の“飯”よりも“美食”」といった具合。

リリアンもなかなかの曲者。ホーソンのシェフであるスローヴィク(レイフ・ファインズ)は、私が育てたと慢心した言葉を口にする。これはリリアンが料理界に多大な影響を与える人物であることが見て取れる。

島に到着した後も、癖のある連中ばかりが顔を揃えている。味音痴の役者(ジョン・レグイザモ)、なんでも金で解決しそうなIT起業家3人組……。そのうえ、ホーソンのスタッフは全員が同じ宿舎で寝泊まりし、軍隊のような生活を強いられている。ホーソンに絶対的服従心をもつ彼らは、もはやカルト教団のようだ。

異様な雰囲気にざわつくダイニング。その中、スローヴィクが手を打ち鳴らし、高らかに宣言する。

「お願いがあります。料理を食べないでください!」

不可解な言葉から始まったディナーは、料理が進むにしたがって、感動が困惑に、困惑が怒りに、怒りが恐怖へと変わり、そして絶望のフルコースへと変貌していく。

「食べるのではなく、味覚と嗅覚で味わえ」

※以下、映画の内容に一部触れています。ご注意ください

映画において食事シーンがあると、映画がやたらと生々しくなることに気が付いている映画ファンはいるだろうか。

『ゴッドファーザー』(1972年)に登場するクレメンザのミートボールスパゲッティ(筆者は『ルパン三世 カリオストロの城』[1979年]の元ネタだと思っている)、『パラサイト 半地下の家族』(2019年)のチャパグリ、『家族ゲーム』(1983年)の破壊的だが魅力的な夕食風景、『2001年宇宙の旅』(1968年)の例の食事。もしこれらの映画に食事シーンがなかったら、作品の魅力は半減してしまわないだろうか?

食事は生きていく上で欠かせない行為だ。だから映画における食事シーンは、登場人物たちが「食って、栄養を吸収し、この世をサヴァイヴしている生の人間である」ことを観客に知らしめるに有効な手段なのである。また前述の映画は「殺す」や「生きる」がテーマの根底にあるため、このサヴァイヴ感が十分に活用されていると言える。

ところが『ザ・メニュー』では「食べるな」という言葉から夕食がスタートする。しかし、スローヴィクは続ける。

「食べるのではなく、味覚と嗅覚で味わえ」と。

これは「生きてきたこと、そして生きていることを味わって食事をしろ」ということに他ならない。出される料理は、アミューズブーシュ(コース料理で出される最初の一口料理)こそ普通だが、2品目からは異様な料理ばかりが振舞われる。例えば刺身が載っていない船盛と醤油だけが出され、「超豪華な醤油を味わってくれ」といったものだ。しかし、これには一つ一つ意味がある。すべてはスローヴィクが招いた客と関連したものであり、各料理が誰とどういった繋があるのか? を推理するミステリーへとつながっていく。

一方、この映画の招待客たちにとって、「食事は生きるためではなく、贅沢であり、ステータスであり、仕事」であるため、“サヴァイヴ”に繋がらない。これが本作の意地の悪いところである。

食事は娯楽か? 生きるためか?

血まみれホラー映画『ソウ』シリーズ(2004年~)は、「命を粗末にする輩を私刑にする」映画だったが、『ザ・メニュー』では「食事を粗末にするやつを私刑にする」映画と言えるだろう。

加えて『ソウ』のように血まみれにして殺すのではなく、あくまでミステリーであり、知的で頓智の聞いた料理で、それぞれを鬱のどん底に叩き落すのが『ザ・メニュー』の嫌味ったらしいところだ。もちろん、デザートにたどり着くころには、幾人もの人間の“心”が死ぬ。

また『ザ・メニュー』は「食事は娯楽か? 生きるためか?」という部分にも言及する。始終グルメオタクに徹して、どんな奇妙な料理も「コンセプトが素晴らしい」と感動してパクつくタイラーに対し、マーゴは一切料理に手を付けない。なぜなら彼女は「必要な時に、食べたいものを食べる」からだ。つまりタイラーとマーゴは真逆の存在――タイラーは娯楽、マーゴはサヴァイヴ――なのだ。よって、タイラーにはグルメオタクにふさわしい料理が振舞われ、マーゴはその食に対する姿勢によって思わぬ事態に向き合うことになるが、それは見てのお楽しみだ。

『ザ・メニュー』の食事に対する拘りには、強烈な一貫性があり、それは招待客のみならず、料理人やスローヴィクも同様だ。全員「嫌味料理」を粉骨砕身しつつ作り、食べる様は、異様を通り越してぶっ壊れていると言っても過言ではない。ミステリーであるため、詳しいことは一切書くことができないのが、口惜しい。しかし、徹頭徹尾「嫌味料理」を出し続ける本作は、我々に美味しい絶望を味合わせてくれる。

「あー、レストランを舞台にした軽いサスペンスなのね!」

などという軽い考えで劇場に足を運ぶと、極上の嫌がらせフルコースディナーに胸焼けすること必至である。

「よせ、油断は心を殺す」

努々お気をつけて鑑賞いただきたい。

文:氏家譲寿(ナマニク)

『ザ・メニュー』は2022年11月18日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開

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