キーワードは土地の記憶…地元福井の力を見いだしたい 元スペシャ会長で南越書屋主宰・清水英明さん

地元への愛着を語る清水英明さん=福井県鯖江市中野町の中野神社
マレーシア人のモハマド・シャイリルさん(右)と打ち合わせをする清水英明さん=福井県鯖江市中野町
中学生に向け、「情熱や根気を持って行動することが状況を変える」と語る清水英明さん=福井県福井市の明道中学校

 「土地の記憶」という言葉をキーワードにしたい。

 地元で過ごした「記憶」をベースに、地域に根付く長い歴史という「記憶」をたどり、地域の生活や文化の厚みを見つめ直す。そんな思いを込めた言葉だ。

 幼い頃に遊び親しんだ実家近くの中野神社(福井県鯖江市中野町)を40歳を過ぎて訪れたとき、福井の歌人、橘曙覧の遺訓が掲げられていたことに初めて気づいた。

 仕事でアジア各国を訪れたが、地域の隅々に郷土史のアーカイブが豊かに残っているのは日本ぐらい。地域に根付く文化は僕たちの原点。それを「奥に」「深く」掘り下げることに強い関心がある。

 今年5月に仕事の一線を退き、東京と福井の2拠点生活を始めた。地元で何を生み出し、地域の力をどこに見いだすか。文化や教育を深めることが礎になると感じる。

 そのためにも土地の記憶を呼び起こし、現代的な意義を考え、再編集するような活動を今後行いたい。そのために「南越書屋(なんえつしょおく)」という活動母体をつくった。自宅の一角で、さまざまな書籍や資料を閲覧、共有できるようにして、情報発信や理解交流の場を創出したい。

「越える」意識でアジアとの関係性を大事に

 ―仕事でアジアと深く関わってきた。福井と海外との交流を深めるポイントは。

 越前の「越」という言葉がずっと頭にあり、越えることや越え方、越える方向を意識してきた。

 同じ「こえる」でも、「超」は人などとの競争。上へ上へと単線的に超えていく「Super(スーパー)」。その思考では、より優れた人や都会、アジアとの競争に負けてしまう。

 「越」は横に越えていく「Crossover(クロスオーバー)」。人と違う方向を見て、横にネットワークをつくり、周縁からの視点を大事にできた。海を越えたアジアの交流や、時を越え古代からの歴史に関心を持つことにもつながる。こうした思考は、福井に生まれ育った恩恵だ。

 ―アジアに目を向ける理由は。

 アジアには日本が高度成長期に忘れ去ったものがある。若い頃から東京や欧米ではなく、アジア志向が強かった。アジアに触れることで地域への多様な視点を持つことができ、日本や福井を見つめるベースにもなった。

 アジアも社会変化のスピードが激しくなっている。今度はアジアが忘れ去ったことを、福井など日本の地方に感じる時代になっていく気がする。

 福井は古代からの歴史や地理的ポジションから、海や陸路を越えた外との交流が活発。それを再度生かせないか。越前町職員のマレーシア人、モハマド・シャイリルさんら福井で学び、生活するアジア人も多い。福井を海外に「ヒラク」ためにも、そうした関係性を大事にしたい。

 ―これまでの経験を地域にどう生かすのか。

 今年9月、福井市明道中学校PTAから生徒向け講演会の依頼があった。音楽、エンターテインメント業界にいたネットワークを生かし、東京のシンガー・ソングライターやアジアの芸人らを「明日を拓く~越える力と、人との繋がり」というテーマで組み合わせ、新しい形の講演会を行った。

 40代で商社を辞め、タイのメディアで編集に携わった。何をどうみせるかという編集の思考が、音楽やエンタメのプロデュースにつながった。地域の価値を再編集するという思考やプロデュースの思考をベースに地域活動を組み立てたい。

 かつて明智光秀は現在の福井市東大味町に戦火が迫った際、地域の安全を担保する安堵状を出させた。村人は命の恩人の光秀の小さな座像をずっと大事にしてきた。福井にはそんないじらしさがあり、世界から見てもまねできないことだ。

 自分にこれからの役割があるとすれば、一時の流行についていくより根気よく純朴、けなげでいじらしいことをやっていきたい。それが福井らしい一つの差別化でもある。

⇒特集「ふくいをヒラク」記事一覧

 ◇清水英明さん(しみず・ひであき) 1958年福井県鯖江市生まれ。東京大学卒業後、伊藤忠商事でアジアの情報通信、メディア関連事業に携わる。2000年にスペースシャワーネットワークに入社し社長、会長を歴任。吉本興業ホールディングス副社長などを務め、22年5月に退任。ライフワークとするアジアの歴史文化や北陸の地域生活文化の発信に取り組む。

© 株式会社福井新聞社