映画『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』、ドラマー不在が生んだ名曲『ステイン・アライヴ』誕生に隠された驚愕の試みとは!?

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英国出身のバリーと双子の弟ロビンとモーリスのギブ3兄弟によるグループ、ビー・ジーズ。少年時代から音楽活動し、半世紀を超えるキャリアを誇る。全世界でのレコードセールスは2億枚以上、全英・米No.1ヒットが20曲、トップ10ヒットが70曲。タイトで透明感のあるスリー・パート・ハーモニーもトレードマークだ。日本でも映画『小さな恋のメロディ』(1971)や『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)のサウンドトラックでその存在を知ったファンも多い。 しかし、ビー・ジーズの歩みは、実際には逆風と戦い続ける日々でもあった。創作をめぐって想像を超えるプレッシャーにさらされるだけではなく、世界的な名声を得た反動として理不尽なバッシングを受けることも。それでも彼らは代表曲「ステイン・アライヴ」に歌われるように「生き抜く」ことを選択し、兄弟と共に時代と立ち向かい、多くの人々の心に残る楽曲を作る。 11月25日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほか全国の劇場で公開される映画『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』は、時代とジャンルを超越して“人生のサウンドトラック”ともいえる名曲の数々を生み出し続けたビー・ジーズの3兄弟を描いた感動の音楽ドキュメンタリーだ。

前代未聞! ドラマー不在が生んだ名曲『ステイン・アライヴ』誕生に隠された驚愕の試みとは!?

1975年にマイアミに拠点を移したビー・ジーズは、音楽の原点であるリズム&ブルースを追求し、透明感のあるファルセット・ヴォイスとスリー・パート・ハーモニーによる名曲を生み出していく。『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』では、少年期のオーストラリア時代から、半世紀を超える彼らの活動の軌跡が描かれる。 今回、1977年に公開された映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックに収録され、ビー・ジーズの代表曲である「ステイン・アライヴ」誕生の秘密が明らかになった。ビートの効いたドラムスに導かれて始まる「ステイン・アライヴ」、実はレコーディング時にドラマーのデニス・ブライオンは不在だった。それなのになぜこの曲が完成できたのか、本編でその真相が明かされている。

『サタデー・ナイト・フィーバー』サントラのレコーディングは全て順調だった。ある日、デニスの「母親が入院した」と連絡が入る。バリー・ギブは「すぐ飛行機で帰れ」と帰国させた。ドラマー不在に追い込まれたプロデューサーのアルビー・ガルートンはテープを使ってループを作る奇策を思いつく。アルビーは、「“ドラムのビートを切り取って遅めのループにしてみよう”と考えた。いい感じの小節があったから、その音源を4トラックにコピーして、つなぎ合わせループにした。私はアイデアマンで、ミキサーのカール・リチャードソンは実行の人だ。必要は発明の母なのさ」と語っている。 今や音源をサンプリングし編集ソフトで再構築する手法は当たり前だが、1977年当時「ドラムからループを作った例なんてない。前代未聞、初めての試みだった」とアルビーは続ける。「パートごとの録音でまずドラムループを作り、ベース、ギターも生演奏に頼らずパートごとに録音して、イメージ通りに曲を構築していった」のだ。「デニスが帰れば生演奏でやるつもりだったが、出来が良すぎて元に戻せなかった」という音楽の達人たちが知恵を絞って完成させた「ステイン・アライヴ」を聴いたデニスは“すごいじゃないか”と驚愕した。

バリー・ギブは「『ステイン・アライヴ』のドラムトラックは荒々しくタフな印象だ。ポップでなく力強い。僕たちの感じたNYだった70年代末のNYのエネルギー…サバイバルだよ」と、生き抜くことを歌う名曲の誕生を実感したと語っている。 “男だって女だって、みんな生きる。生きてゆく。街は崩れ、人は震えても、僕は生きてゆく” 生きることへのエールを贈る「ステイン・アライヴ」は、決して色褪せることなく今も輝き続けている。 半世紀を超える3兄弟の軌跡、そのすべてが描かれる『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』は、11月25日(金)より全国公開される。

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