KUWATA BANDのライヴ盤『ROCK CONCERT』に見る若き桑田佳祐の心意気と、図らずも示した独自のメソッド

『ROCK CONCERT』('86)/KUWATA BAND

現在、5大ドームを含む全国ツアー『桑田佳祐 LIVE TOUR 2022「お互い元気に頑張りましょう‼」supported by SOMPOグループ』の真っ最中。その追加公演として、『年末も、お互い元気に頑張りましょう!!』と題された横浜アリーナでの追加公演も発表されたことも記憶に新しい桑田佳祐である。本日11月23日、ソロでのベストアルバム『いつも何処かで』がリリースされた。当コラムでは昨年、『孤独の太陽』を紹介しているので、今回は1986年のKUWATA BANDのアルバムを取り上げる。音源発表は何かと揶揄されたようだが、その後のサザンオールスターズや桑田佳祐の活動に関して重要な意味な持つことになったバンドではあるようである。

桑田自身が失敗作と認めた!?

KUWATA BAND唯一のスタジオアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』は、[桑田自身は、失敗作だったと語っており、「フリスビーか鍋敷きにしてほしい」「飲み屋でかかったら泣く」といった発言をするほどであった]という。[桑田によるとこの作品は「方法論だけまねていて、結局は日本人に聴かせるための音楽ではないか」「桑田の音楽はしょせんご飯にみそ汁だ」「日本人の枠を越えられるわけがない」といった評論家からの批判も少なからずあったといい、桑田もそれらの批判を半ば認める趣旨の発言をしてい]たそうである(ここまでの[]はWikipediaからの引用)。自身がそう言っているのだから…ということで、この度、このバンドの名盤として『ROCK CONCERT』を選んだわけだけど、この『ROCK~』を聴いても、『NIPPON NO~』を失敗作だったとは思わないまでも、なるほど、当時、桑田佳祐がそうした批判に対してシャッポを脱いだ=批判を認めたことも分からなくもない…くらいには感じられる。それは、サザンオールスターズが『NHK紅白歌合戦』のトリを務めるような“国民的バンド”となった現在だからこそ、余計にそう感じるところではある。

さらに言えば、KUWATA BANDを聴くことで我々がサザンオールスターズ楽曲のどこに惹かれるのかが分かるし、桑田佳祐のメソッドが唯一無二であることを体験できるとも言える。KUWATA BANDを反面教師や他山の石と言うのは乱暴であろうけど、ニュアンスとしてはそれに近い。フリスビーや鍋敷きにするほど盤の中身がないとはまったく思わないし、誰が言ったか分からないけけれど、“しょせんご飯にみそ汁だ”なんて批判はほとんど暴言だと思う。しかしながら、サザンや桑田佳祐に大きな思い入れがない自分でも、『NIPPON NO~』に違和感があることは否めない。『NIPPON NO~』にはKUWATA BANDが発表したシングル4作品=「BAN BAN BAN」「MERRY X'MAS IN SUMMER」「スキップ・ビート (SKIPPED BEAT)」「ONE DAY」は一切収録されていないが、『ROCK~』にはその4曲に加え、「BAN BAN BAN」のC/Wだった「鰐」も収録されている。その違和感の正体を探るにあたっては、そこがわりと小さくないポイントではないかと思う。アルバム収録曲とのシングルの差異がよりはっきりし、それによって件の桑田佳祐のメソッドが必然的に浮き彫りになっている。そうしたところが確実にあるのである。

バンドの楽しさを感じるカバー曲

本稿では、『NIPPON NO~』を桑田自身が失敗作だと語った理由を『ROCK~』から推測しつつ、KUWATA BANDがやろうとしたことから逆説的に桑田佳祐の素晴らしさを改めて言葉にしてみようという試みである。が、その前に──。『ROCK~』は全24曲収録の大作ライヴ盤である。まずはライヴアルバムならでの良さといった側面にフォーカスを当ててみたい。『NIPPON NO~』のことを失敗作だったとは言わないと言いつつも、違和感があることは否めないと言ってしまったので、“お前も所詮、KUWATA BANDを批判したいだけなんだろ?”と思われている方もいらっしゃるかもしれない。しかし、そこははっきりと否定させていただく。言うまでもなく桑田佳祐は日本屈指の音楽家であるし、KUWATA BANDもまた優れたバンドであることは疑うまでもない。『ROCK~』でもそれがはっきりと分る。

演奏の巧さは言うまでもない。原由子が産休に入ることをきっかけに、桑田が“ロックバンドをやろう!”としたのがKUWATA BANDの始まり。サザンのYouTubeチャンネルでの『KUWATA BAND特集 前編【松田弘のサザンビート #07】』によると、桑田が松田弘(Dr)に“弘、ロックバンドやろう!”と声を掛けたことに端を発するようであるが、バンドリーダーの今野多久郎(Per)は桑田から“ドラムは弘に決めた。あとのメンバーは任せた。多久郎、まとめてくれ”とメンバー選びを丸投げされたようだ。なので、桑田は松田と今野をほぼ同時期に誘ったようではある。そして、日本の伝説的ブラス・ロックバンド、スペクトラムのメンバーであり、桑田佳祐の実質的初ソロ作品『嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE!』(1981年)にも参加していた今野が選んだのは、河内淳一(Gu)、小島良喜(Key)、琢磨仁(Ba)の3人。スペースの都合上、全員のプロフィールを記せないけれど、読者の方のお時間が許せば是非それぞれのメンバーのことをググってもらいたい。皆、日本の音楽界に欠かせない存在であることはよく分かるだろう。つまり、名うてのミュージシャンが集ったのがKUWATA BANDである。最初のリハーサル時、少なくとも松田はその3人と顔を合わせるのが初めてだったそうで、“ドキドキしながらお見合いのような感じだった”と言いつつも、“素晴らしいミュージシャンばかり”と述懐している。サザンの最重要人物と言われる松田を以てそう言わしめたのだから、相当にしっくりと来るメンバーだったのだろう。(ちなみに件のYouTubeチャンネルではさらに興味深い発言も聞けるので、こちらも是非!)

『ROCK~』について言えば、そんな百戦錬磨とも言えるミュージシャンたちが集まって、洋楽のカバーをしている様子が収められているのがおもしろい。そこにこのバンドの何たるかといったものもあるように思う。オープニングはDeep Purple「SMOKE ON THE WATER」で始まり、中盤にはBob Dylan「KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR」「LIKE A ROLLING STONE」「BLOWIN' IN THE WIND」の3連発。後半(ライヴ自体ではアンコールだったようだ)ではThe Ronettes「BE MY BABY」を経て、最後はThe Beatles「HEY JUDE」で締め括っている。M1「SMOKE ON~」とM24「HEY JUDE」はカバーというよりもコピーに近い印象。どんな楽曲でもこなせそうなメンバーたちが、それらをほぼプレーンに演奏している様子からは、ロックバンドをやる楽しみのようなものがそこにあることをうかがわせる。M1では例のギターリフを中心に、M24では後半のシンガロングに沿って、バンドアンサンブルが盛り上がっていく。所謂グルーブがそこにはあって、それを名うてのメンバーたちが確認しながら、キャッキャッと演奏している感じが伝わってくるようで聴いているこちらもとても楽しい。

一方でBob Dylanカバー、The Ronettesカバーは、コピーなどではなく、完全なるカバー。シンセに小気味いいリフレインにサックスが重なり、サビではエッジーなエレキギターも聴こえてくるM9「KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR」。ファンキーでダンサブル、かつハードロックテイストの強いM10「LIKE A ROLLING STONE」。相当アップテンポに改変されていて、かなりのディランのファンでもイントロを聴いただけではどの曲であるか分からないであろうM11「BLOWIN' IN THE WIND」。まぁ、いずれの楽曲もオリジナルがアコースティック基調であるからして、バンドでカバーすればある程度、音圧を増すことになろうが、“それにしても…”と思わずにいられないほどに、いずれも原型を止めていないカバーである。M11はほとんどオリジナルを解体していると言ってもいいかもしれない。M21「BE MY BABY」では、印象的なカスタネットを含めてオリジナルの演奏を当時のサウンドでアップデイトさせたような音色である。いかにも1980年代といった感じは評価が分かれるところかもしれないが、感触の違いはあれど、原曲の演奏をなぞっているところにはオリジナルへの敬愛を感じさせるし、KUWATA BANDのメンバーの生真面目さを受け取れるところではないかと思う。こんな風にカバー曲を見てみても、通り一遍ではなく、様々なことをやっていることがよく分かる。バンマスを任せられた今野は桑田から“トラック1台借りて日本中周れるバンドをやろう”と言われたともいう。セットやダンサーなどステージ演出に凝ることなく、バンド(の演奏)だけでやれることをやろうという意味だろう。それが実現出来ていることは『ROCK~』のカバー曲を聴いただけでもよく分かる。

英語詞から逆説的に思う桑田らしさ

KUWATA BANDがやろうとしたことから逆説的に…などと随分と回りくどい言い方をしたけれども、ここからはその点について記す。桑田佳祐は自著でこう言っている(以下の〈〉はすべて桑田佳祐著『ポップス歌手の耐えられない軽さ』より引用)。

〈アタシも、一九八六年には KUWATA BAND というバンドを組み、作ったアルバムのタイトルが『NIPPON NO ROCK BAND』ですから。コレはもう、裕也さんが切り拓いた道を、ありがたく辿ったような思想、理想郷がそこにはありました〉

裕也さんとは内田裕也氏のこと。氏のバンド、フラワー・トラベリン・バンドが北米進出した時のことを述懐しつつ、こんな風にも述べている。

〈歌詞は全部イングリッシュで。「侍バンドが海外へ殴り込み!」みたいに報じられたけど、当時十代のアタシは、正直なところ斜に構えておりました。(中略)けれども、今思えばあの時代に……あんな状況の下で。裕也さんの想いはただひとつ。紛うことなき、ブレないファイティングポーズで……。「日本のロック、舐めんなよ!!」 後にも先にも、こんなに深くて清い歴史的メッセージは他に類を見ないのであります!!〉

KUWATA BANDが良くも悪くも日本を意識していたことは1stアルバムのタイトルからして確実であったが、それをダメ押しするかのような記述である。『NIPPON NO~』がことさらに内田裕也氏やフラワー・トラベリン・バンドからの影響があるとは思わないけれど、“日本のロック、舐めんなよ!!”の精神がそこにはあったのである。『NIPPON NO~』の発表時、桑田佳祐は30歳。サザンはすでにスタジアムでのコンサートを展開するようなスーパーバンドであり、初期サザンのひとつの到達点との評価もあるアルバム『KAMAKURA』を発表した直後であって、日本のロックシーンにおいて頂点を極めたという自負があったとしても何ら不思議ではない。血気盛んな頃であっただろうし、海外進出を視野に入れていたという話もあながち適当なものではなかったであろう。『NIPPON NO~』が全編英語詞になったのも当然のことではあった。

その心意気やよし…ではある。ただ、そうは言っても、それまでサザンが多くのリスナーから支持を得てきたのは、そのメロディの秀逸さやバンドマジックだけでなく、日本語も英語も垣根なく操る桑田ならではの歌詞があったからである。冒頭で『NIPPON NO~』が発表当時、このアルバムが批判に晒されたことを書いたが、それは収録曲がハードロックテイストであったこともさることながら、主にその歌詞に批判が集まっていたようだ。今さらながらそれに同調するつもりはないけれど、前述した通り、違和感はある。『ROCK~』では『NIPPON NO~』に挟まれてシングル曲があるから余計に…だ。逆に言えば、KUWATA BANDのシングル曲にはサザンで慣れ親しんだキャッチーさがある。サザンのシングルに比べれば、英語もそれなりに多いし、M13「ONE DAY」やM22「BAN BAN BAN」に至ってはサビに日本語はない。しかしながら、《ONE DAY》や《BAN BAN BAN》は英語ネイティブじゃなくても聴き取れる。カタカナのレベルだ。M6「MERRY X'MAS IN SUMMER」のサビは《Let it be》で始まるがそれ以降は日本語だし、M13「スキップ・ビート (SKIPPED BEAT)」のサビの連呼は《SKIPPED BEAT》だとは言いつつ、実際には“助平”であることを桑田自身が公言しているのだから、実質日本語である。我々の耳に馴染むのだ。

それに比べて、『NIPPON NO~』収録曲は馴染みがあまり良くない。無論、どれもこれもメロディーはいいのだけれど、シングル曲を聴いたあとでは、桑田らしい言葉が出てくることを勢い期待してしまうのである。個人的にはBメロでそれを強く感じてしまった。巧く言えないけれど、Bメロに展開した瞬間、“コレジャナイ感”のようなものが漂うのである。M16「SHE'LL BE TELLIN'」辺りはBメロもサビもわりといい感じに言葉が乗っているかとは思うが、そう思うと今度はその言葉のインパクトの弱さが目立つように感じる。ないものねだりであることは分かっている。“私はそう思わない”という方もいらっしゃるかもしれない。けれど、違和感だけはどう仕様もない。だが、しかし…である。その違和感は一見、苦言を呈しているようでありながら、よくよく考えると、桑田佳祐への賛辞ではないかと、我がことながらそう考えるに至った。

『NIPPON NO~』や『ROCK~』が発表以前も発表後も桑田佳祐の作るメロディーは日本に広く頒布されていて、それが自分のような者でも桑田メロディと認識出来る程度に耳馴染みが出来ている。そして、そこに乗る歌詞もまた、それは『NIPPON NO~』や『ROCK~』が発売以降に確立された歌詞の大半がそうであろうが、多くのリスナーにメロディとワンセットで認識されていたのではないか。KUWATA BANDでの自分が抱いた違和感は、そうした桑田佳祐流の日本のロックが広く周知徹底された証し──そんな風に考えることが出来るように思う。オール英語という本来の桑田佳祐らしさとかけ離れた歌詞だからこそ、それが際立ったのだ。少なくとも自分はそう感じた。

KUWATA BANDを経て、1988年にサザンは活動再開する。そこで発表されたシングルは「みんなのうた」であって、それはKUWATA BANDでの批判を桑田自身が受け止めた結果、開放感な内容になった…という論評をどこかで見た記憶がある。実際の作者の心境はどうだったのかよく分からないけれど、わりと正鵠を射たもののような気がする。KUWATA BANDでの試みはもしかすると当初、描いた絵の通りにはいかなかったのかもしれないが、その後、サザンが“国民的バンド”として確立する上での推進力になったのかもしれないと考えると、これもまた邦楽史における重要作品ではあることは間違いないだろう。ちなみに、昨年リリースした桑田佳祐のミニアルバムは『ごはん味噌汁海苔お漬物卵焼き feat. 梅干し』というタイトルである。

TEXT:帆苅智之

アルバム『ROCK CONCERT』

1986年発表作品

<収録曲>
1.SMOKE ON THE WATER 〜 M.C.
2.YOU NEVER KNOW (恋することのもどかしさ)
3.RED LIGHT GIRL (街の女に恋してた)
4.BELIEVE IN ROCK'N ROLL (夢見るロック・スター)
5.DEVIL WOMAN (デビル・ウーマン)
6.MERRY X'MAS IN SUMMER
7.ALL DAY LONG (今さら戻ってくるなんて)
8.ZODIAK (不思議な十二宮)
9.天国への扉 (KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR)
10.LIKE A ROLLING STONE
(作詞・作曲:Bob Dylan 編曲:KUWATA BAND)
11.風に吹かれて (BLOWIN' IN THE WIND)
12.スキップ・ビート (SKIPPED BEAT)
13.ONE DAY
14.I'M A MAN (アイム・ア・マン・フロム・ザ・プラネット・アース) 15.FEEDBACK (理由なき青春)
16.SHE'LL BE TELLIN' (真夜中へデビューしろ!!)
17.PARAVOID (彼女はポラボイド)
(作詞:Tommy Snyder 作曲・編曲:KUWATA BAND)
18.“BOYS” IN THE CITY (ボーイズ・イン・ザ・シティ)
19.GO GO GO (愚かなあいつ)
20.鰐
21.BE MY BABY
22.BAN BAN BAN
23.神様お願い
24.HEY JUDE

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