平塚出身の民権派青年・猪俣弥八の生涯に光 史料基に紹介する本完成 明治期、米で在留邦人の労働改善

所蔵されてきた猪俣弥八の写真や追悼集と岩﨑さんが本にまとめた「猪俣弥八とその生涯」

 平塚市金目の出身で、明治時代に渡米し在留邦人の就労支援や娼家(しょうか)排斥運動などに携わった猪俣弥八の生涯を紹介する本が完成した。県内の自由民権運動を調べている市民団体「雨岳民権の会」の岩﨑稔さん(78)=同市河内=が作成。当時の民権運動に影響を受けたとみられる青年は大志を抱いた異国の地で非業の死を遂げた。その生きざまを子孫が所蔵していた史料を基にまとめ上げ、埋もれていた地域の歴史を掘り起こした。

 猪俣弥八は1868(明治元)年に誕生。幼少期はごく一般的な子どもだったが、17歳の頃は悪友に誘われ大磯の花街に繰り出すなど放蕩(ほうとう)生活を送っていたという。キリスト教宣教師に出会って改心した弥八は自由民権運動が盛んだった同市金目地区でその影響を受けたとみられ、同教に入信して自由と博愛精神を学んだ。やがて欧米の書物にも関心を寄せ、88年2月に渡米した。

 米国でカリフォルニア高校とオレゴン大学を卒業。元外交官で移民対策などに取り組んだ伴新三郎ら有力者とも交友関係を広げ、弥八は在留邦人を巡る労働環境の改善や日本人の娼家排斥運動、女性の地位を守る社会活動に携わった。しかし、35歳の時に凶弾に倒れ、志半ばで他界した。

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