ドイツ代表に勝ち越しゴール!浅野拓磨とは何者か

2022年ワールドカップ・カタール大会でドイツ代表に逆転勝利した日本代表。一躍ヒーローとなったのが、逆転となる2点目のゴールをあげたFW浅野拓磨(ボーフム所属)だ。

浅野は2016年のリオデジャネイロオリンピックなどで大舞台を経験しているが、ワールドカップは初。初出場でいきなりゴールを決めて見せた。

ここでは、これまで浅野を知らなかった人たち、久しぶりにサッカーを見る人たちにもわかるように解説していこう。

プロ入り前

三重県菰野町で生まれた浅野は7人兄弟。男の子6人に末っ子が女の子で、自身は三男にあたる。2歳年下の弟浅野雄也もプロサッカー選手で、2022年現在サンフレッチェ広島に所属している。

プロ入り前は、Jリーグのユースではなく地元のチームで育った。ペルナSC(竹永小)、 菰野町立八風中学校、そして高校サッカーの名門である三重県立四日市中央工業高校に進学している。

浅野が注目を浴びたのはこの高校時代。1年時から一軍に絡み高校選手権に出場し、3年時まで第89回・第90回・第91回と連続で出場を果たした。

特に高校2年時の第90回大会では初戦から決勝まで全試合得点をあげ、大会得点王に輝いた。第90回、そして3年生時に臨んだ第91回で大会優秀選手に選ばれている。

ちなみに、地元四日市市に高級食パン専門店「朝のらしさ」を2020年にオープン、同店のオーナーでもある。ちなみに店名は「朝の」と「浅野」をかけたネームだと思われる。

サンフレッチェ広島加入、そしてアーセナルへ

卒業後はサンフレッチェ広島へ加入、野津田岳人と韓国人のキム・ジョンソク、パク・ヒョンジンが同期だった

キム・ジョンソクは高校卒業後1年の浪人を経て、パク・ヒョンジンは高麗大学校、野津田はユースからであり、浅野は唯一日本の高校卒業からの加入である。

プロでは、他のメンバーが広島で出番を得るのに苦しむ中、浅野は順調にキャリアを形成する。

2015シーズンにJリーグ初ゴールをあげるとスーパーサブとして30試合に途中出場。先発2試合とあわせ32試合8ゴールをあげて同年のJリーグアウォーズではベストヤングプレイヤー賞を受賞した。

また、同年夏の東アジア選手権では日本代表に初選出、北朝鮮戦でデビューを果たした。

なお、当時の広島での役割はFW登録だが「2シャドーの1角」が主でFOOTBALL LABなどのJリーグデータサイトではOMF(攻撃的MF)とされることが多かった。

翌2016年には背番号を「10」に変更、7月にイングランド・プレミアリーグの強豪アーセナルへの移籍が決定する。

その後、リオデジャネイロオリンピックに出場もチームはグループリーグ敗退。大会後、アーセナルでの労働許可証が下りず8月26日にシュトゥットガルト(ドイツ2部)へレンタル移籍。以降ブンデスリーガを主戦場とする。

ブンデスリーガ時代

2016年8月下旬にシュトゥットガルトへ1年間の期限付き移籍となった浅野は背番号11を付け主力として期待された。

それに応えるように9月の1.FCハイデンハイムでリーグデビュー、10月のカールスルーエとの試合でリーグ戦初ゴールを決めた。1年目で26試合4ゴールとまずまずの結果を残し、チームはブンデスリーガ昇格を決めた。

翌2017-18シーズンも期限付き移籍が延長されシュトゥットガルトに残留した。浅野はブンデスリーガ初ゴールをハノーファー96戦で決めるも怪我や監督交代もあり出場機会は多くなく15試合1ゴールでシーズンを終えている。

チームは最終的にブンデスリーガ7位で終え、昇格1年目としては好成績を収めた。

浅野は同シーズン限りでシュトゥットガルトを期限付き移籍期間終了に伴い退団し、2018年夏からは同じブンデスリーガ1部のハノーファー96へ期限付き移籍となった。8月のヴェルダー・ブレーメンとの試合で先発出場し以降13試合1ゴールをあげた。

しかし、チームは2部降格へ低迷を続けた。一方でチーム側は浅野を一定試合出場させると買い取り義務が発生するためマルティン・キント会長は浅野の出場禁止を明言。結果、チームは2部降格、浅野も期限付き移籍を終えてハノーファーを去ることとなった。

セルビアへ移籍、そしてブンデスリーガ復帰

2019年夏セルビアのパルチザンへ完全移籍。

3年契約であったが、東欧への移籍であったこと、セルビアという日本からは未知のリーグということもありJリーグへ復帰した方が良いのではないか?という声も多くあがった。1年目は23試合4ゴールをあげた。

セルビアでは2年目の2020-21シーズンに33試合18ゴールをたたき出し得点源の1人として大活躍する。

しかし、東欧らしい給与の未払い問題、不誠実な対応をもとに契約を解除。クラブ側はそれに対して「自主的に退団した」と発表、「セルビア全体に屈辱を与えた」と訴訟問題にまで発展した。

最終的に今年6月浅野側の勝訴でFIFAは裁定を終えているが、パルチザン側はCAS(スポーツ仲介裁判所に判定を委ねる姿勢をとっており「クラブに支払いの義務はない」と徹底抗戦している。

コロナ禍の中ではJFAの動画にも出演。何故か上半身裸で家でもできるドリブルをテーマに見事な足技を披露した。

その後、チームを退団した浅野はブンデスリーガのボーフムへ復帰。背番号は広島以来となる「10」となった。

2021-22シーズンのブンデスリーガではケルン戦で実に4年2カ月ぶりのゴールをあげた。

最終的に27試合3ゴール4アシストとしり上がりに調子をあげ、今季2022-23シーズンからは背番号をおなじみの「11」に変更している。

プレースタイルは?

「ジャガー」のニックネームのように50m5秒9とも呼ばれる圧倒的なスピードが武器。サンフレッチェ広島時代の頃は2シャドーとしてドリブルで持ち上がってのゴールも多かった。

現在は、DFラインの裏へ抜けることを武器にゴールをあげるスタイルになっており、本人も「裏への抜け出しが武器」と語っている。

森保ジャパンでは1トップのセンターフォワードを務めることが多いが、ボーフムでは右ウィングを務めることが多く、左サイドで起用されることもある。

基本的には攻撃的なポジションであれば中央、サイド、トップ、シャドーを問わず務めることができる。

ちなみにジャガーポーズと呼ばれるゴール後のゴールパフォーマンスは広島時代から行われている。ドイツ代表戦でも見ることができた。

何故、「ジャガー」という愛称になったのかはこちらの記事を参照してもらいたいが、ライターの中野和也氏が浅野のことをジャガーと例えたことが発端とされている。

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