山瀬功治が語る、アビスパ福岡で一緒にプレーした「高卒1年目の冨安健洋」がすごい

日本代表の守備の中心選手に成長した冨安健洋。

ドイツ戦でも後半からの出場となったが、システム変更で3バックの左に入ると、攻守に存在感を発揮。逆転勝利を呼び込む一因となった。

Qolyは先日、J2のレノファ山口FCでプレーする山瀬功治に単独インタビュー。

日本代表について色々と聞く中で、アビスパ福岡時代に高卒1年目の冨安とチームメイトだった時の話が印象的だったので紹介する。

(取材日:2022年11月1日)

――(前略)アビスパ福岡での1年目(2017シーズン)、現日本代表の冨安健洋選手と一緒にプレーされています。当時の冨安選手はどんな選手でしたか?

彼が高卒1年目でしたけど、やっぱりまず、身体能力の高さというのは目に見えて分かりました。

当時は決して上手い選手ではなかったんですけど、その時々で「自分にできること」をしっかり理解していて、「何をすべきか」を脇目もふらずに取り組める。

見た目的にもそうですし、おそらくメディアとかの対応を聞いていても分かると思うんですけど、やっぱりすごく真面目は真面目です。向かうべきものに対してぶれないというか。

ただ、そこに向かっている途中でも、決して傲慢でとか我が道だけかと言ったそうでもないんです。やっぱり人からの意見や取り入れるべきものがあればどんどん取り入れていると思います。

そういう意味では、強い信念とぶれない気持ちがありつつ、柔軟性もあってという感じですかね。内面的な強さとかも、ちょっと高卒の18歳、19歳の子ではないなというくらいの部分もありました。

そこからの努力や、もともと持っているポテンシャルも高かったとは思います。

ただ、やはり“意志の強さ”があったからこそ、海外へ行ってからのサッカー人生、彼のキャリアもそうですし能力やレベルも、本当に右肩上がりで来ているじゃないですか。

それはなかなか簡単なことではないと思うんです。誰しもちょっといい時もあれば少し落ちてと、波がありつつも少しずつ上がっていくことのほうが多いと思うんですけど、あまりそういうのを感じません。

怪我とかで試合に出てない時もありますけど、本当にすごい勢いで成長している。それでいて、まだ24歳くらいですよね?今の成長具合でいくと、本当に末恐ろしいなと思います。

動画では他にも、岡田武史監督になってからの日本代表での話しや、10番を背負って出場した2008年の東アジア選手権、アビスパ福岡時代からつける“33番”の意味、「以前と変わった日本代表」のカタールワールドカップへの期待など、たっぷり聞いているのでそちらもぜひ!(※インタビュー第2弾はこちら↓)

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