在沖縄米軍基地の維持を望んだのは韓国・台湾だった 日本復帰50年の沖縄、元副知事は「ないがしろにされている」と心情吐露

住宅地に取り囲まれた沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場=2月

 沖縄は今年5月15日、日本復帰から50年を迎えた。沖縄に集中する米軍基地の負担は今なお続き、「海洋強国」の建設を掲げる中国の習近平指導部は沖縄県・尖閣諸島を自国領と主張する。小さな島は大国に翻弄され、安全保障環境は厳しさを増すばかりだ。重い米軍基地負担の背景に浮かぶものは何か。安全保障政策の仕組みづくりには何を反映させればいいのか。日本と韓国、台湾の有識者に語ってもらった。(共同通信=西山晃平、長尾一史)
 ▽冷戦構造の問題抱え現在に 立命館大助教の成田千尋さん
 沖縄は今も東アジア冷戦構造の問題を抱えている。小さな島に在日米軍専用施設の7割が集中するのは異常だ。同様に冷戦構造の中、負担を強いられてきた韓国でも沖縄への関心は高まっており、基地負担解消の訴えを周辺国・地域にも発信する価値はある。
 戦後間もない時期、韓国の李承晩、台湾の蔣介石両政権は、かつて独立王国だった沖縄が日本に帰属するとは考えず、また安全保障上の懸念から米軍基地の維持を望んだ。1954年に結成した反共産主義の民間機構「アジア民族反共連盟」には、台湾で活動していた琉球独立派の蔡璋(喜友名嗣正=きゆな・つぐまさ)を琉球代表として参加させた。
 1960年代、沖縄では祖国復帰運動が高揚。韓国の朴正熙政権は日韓国交正常化やベトナム戦争への対応に追われ沖縄への関心は薄らいだが、朝鮮半島情勢が緊迫化するにつれて重要性を再認識する。米国も情勢悪化を背景に、B52戦略爆撃機を嘉手納基地に常駐させた。
 一方、「米国の沖縄占領」に反対する中国や北朝鮮は日本復帰を支持した。1969年、米軍知花弾薬庫での毒ガス漏れが発覚すると、朝鮮労働党機関紙の労働新聞は「米帝の無謀な戦争策動で(沖縄の)住民は土地を奪われ生命の危険にさらされている」と反基地感情に寄り添う立場を強調した。
 復帰後の地域の安保に不安を抱いた韓国と台湾の働きかけもあり、基地機能の維持は方向付けられた。結果的に住民は今も騒音など基地の被害を受けている。この構造をどう変えられるか、地域全体で考えていく必要があるのではないか。

 ▽過去には済州島移転案も 元韓国国立外交院長の尹徳敏さん(インタビューは2月に実施し、その後、韓国の駐日大使就任)
 日米で沖縄返還交渉が進んでいた1960年代、韓国としては北朝鮮の金日成主席が「赤化統一」の試みを活発化させていた厳しい時期だった。1968年には武装工作員による大統領府襲撃未遂事件が起き、私もソウル在住の幼少時に銃声を聞いた記憶があるほど軍事的緊張が高まっていた。米国はベトナム戦争の泥沼に陥り、韓国防衛に向ける力が弱まっていた。
 有事に真っ先に来るのが在沖縄米軍だった。韓国政府は沖縄の日本復帰自体には反対しなかったが、復帰した場合、日米の「事前協議制」により米軍出撃に日本の承認が必要となるケースや、核兵器撤去に伴う抑止力の低下を懸念した。
 外交努力の結果、沖縄返還を発表した1969年の日米共同声明に「韓国の安全は日本の安全にとって緊要」との文言が盛り込まれた。北朝鮮の脅威がある以上、韓国にとって在沖縄米軍の重要性は今も変わらず、むしろ増している。
 当時の韓国は、沖縄の基地機能の済州島移転も提案した。米国は沖縄の基地を手放す考えはなかったが、核兵器は相当数を韓国に移した可能性が高いと見ている。
 沖縄の住民は重い苦労や犠牲を強いられている。一方で、基地が地域の安定と均衡、繁栄を保つ根拠となっているのも事実だ。
 日本ではあまり知られていないが、韓国もソウル南方の平沢(ピョンテク)に米国外で世界最大級の米軍基地を抱え、中国からの射程圏内にある。韓国人も同様に、基地の負担を抱えている。
 ▽米軍基地、中国抑止に重要 台湾・中山大教授の郭育仁さん
 沖縄の米海兵隊普天間飛行場や空軍嘉手納飛行場は、中国抑止のために台湾や日本だけでなく太平洋全体にとって重要だ。基地負担に対する住民の不満も承知している。将来的に、基地移転交渉には日米両政府に沖縄の代表も加え、より適正な手続きを踏むべきだ。
 在沖縄米軍基地の状況認識能力はインド太平洋地域で最も高い。台湾の北東に位置する沖縄の駐留米軍は北東側を守り、台湾は西側の台湾海峡、南側のバシー海峡を軍事的に重視する。ただ在沖米軍基地は中国の弾道ミサイルには脆弱だ。海兵隊には特別な能力があるが、現在の兵員規模は過多で賢明でない。
 ロシアのプーチン大統領は、侵攻したウクライナとの歴史・文化の一体性を強調した。中国の指導者らが台湾を語る内容と酷似している。中国は戦闘機や艦船に台湾付近を通過させ、一方的な現状変更を試みている。歴史を根拠にした主権の主張は野心的で、国際社会で受け入れられない。
 日本は敗戦後、1951年調印のサンフランシスコ講和条約で主権を回復したが、沖縄は米統治下に置かれ、復帰までの約20年で本土との経済格差が広がった。美しい海などの共通点がある沖縄と台湾東部に、小さな自由貿易協定(FTA)ゾーンを設けてはどうか。人やモノの移動、海外からの投資を活発化させ、リゾートなどを通じて自ら発展を遂げることができれば、中国軍の艦船は基本的に近づけない。最高の抑止力になる。
 ▽負担軽減、自衛隊が役割を 前統合幕僚長の河野克俊さん
 米軍の沖縄駐留は安全保障上必要だが、日米で戦略的な調整をして自衛隊が米軍の役割を徐々に担えば、沖縄の負担軽減につながる可能性がある。基地縮小だけを訴えても「縮小後の安保はどうするのか」という問題が残り、米国は議論に乗ってこない。
 自衛隊と米軍の施設共同使用は検討の価値がある。自衛隊は1972年の沖縄復帰に伴う配備当時、県民の激しい反発を受けたが、不発弾処理や救急患者輸送などを通じて関係は改善した。県民と在沖縄米軍の関係に交わることで、状況は好転するかもしれない。
 中国は海警局に武器使用を認めた海警法を昨年施行し、海上での行動は活発化している。海警局の船が沖縄県・尖閣諸島周辺の領海で日本漁船を追い回すのは(中国にとって)「法執行」。米国に中国の「施政権」を見せつけ、施政権が日中どちらにあるのか考える余地をつくりだそうとしている。米国は、尖閣は米国による防衛義務を定めた日米安保条約第5条の適用対象だと確認しているが、日本に主権があるとは言っていない。
 尖閣を含む島しょ防衛では、中国の戦闘機や艦船などが日本より量的に優位にある。有事の際は自衛隊が前面に立って動かなければならないが、制海・制空権確保のため米軍の支援を得る必要がある。
 台湾有事の場合、周辺海・空域で激しい戦闘が想定される。与那国島と台湾の間は約110キロ。全く影響が及ばないと想定することは難しい。
 ▽潜在力開花で経済けん引を 元沖縄県副知事の富川盛武さん
 現在も1万8千ヘクタール以上を占有している在沖縄米軍基地は経済発展をフリーズ(凍結)させている。那覇新都心や北谷町の商業施設「アメリカンビレッジ」、北中城村の「イオンモール沖縄ライカム」といった返還跡地の利活用は発展のホットスポットになった。アジア経済の勃興でさらに高まっている沖縄の潜在力が開花すれば、日本経済を引っ張れる。
 米統治下に置かれ基地建設が相次いだ1950年代、県民総所得に占める基地関連収入は50%を超えたが、現在は5%程度。基地は企業と異なり、市場メカニズムによる経済活動の発展、増大を呼ばない。
 経済活動には安全保障が必要。中国の物理的な力に対応するため、国家間の外交・安保とは別に、沖縄に(国連機関など)対話の場を設け「東洋のジュネーブ」を目指すべきだ。日米で計約20万人が死亡した沖縄戦を体験した沖縄は戦火の痛みを共有できる。アジア各国とは琉球王国からの歴史的なつながりもあり、緩衝の役割も果たせる。
 米統治下だった中学時代、友人宅の2階にいると、助けを求め階段を駆け上がってきた女性が、追ってきた米兵に髪を引っ張られ連れて行かれた。非力で何もできなかったが、許せないと思った。県民には同じような経験が多々あったと思う。
 2004年には勤務先だった沖縄国際大に米軍ヘリコプターが墜落した。理不尽な状況は復帰後も続いているが、政府は十分に対応せず沖縄には「ないがしろにされている」との心情がある。

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