光明園解剖「重大な人権侵害」 擁護委が検証報告書を公表

邑久光明園の入所者遺体の解剖に関する検証報告書についての記者会見

 瀬戸内市の国立ハンセン病療養所・邑久光明園に残る入所者1123人分の「解剖記録」を調査していた同園の人権擁護委員会は24日、検証報告書を公表した。1990年代まで遺体の多くを解剖し、臓器などを標本として保存していた点について「50年代以降は病態が解明され、薬による化学療法も進み必要性が失われていた」と指摘。隔離政策下での本人の同意も「自由意思に基づく正当なものと見なすことはできない」として「重大な人権侵害だった」と結論づけた。

 ハンセン病療養所入所者の解剖記録はここ数年、瀬戸内市の長島愛生園や熊本県の菊池恵楓園でも見つかっているが、光明園の人権擁護委によると、全国の療養所で検証報告書がまとめられるのは初めて。

 報告書によると、遺体の解剖は同園の前身で大阪府にあった外島保養院(34年の室戸台風で壊滅)の時代からあった。光明園として現在の場所に再建された38年から98年までに亡くなった入所者1674人のうち解剖された人は約7割の1184人。解剖率が90%以上だった年が17回あり、うち100%だった年は9回あった。解剖後の病理標本808人分も少なくとも2006年ごろまで保存されていた。患者の強制隔離を定めた「らい予防法」が96年に廃止されてから解剖は急減し、99年以降はなくなった。

 非常に高い割合で解剖を行った意義について報告書では、ハンセン病の効果的な治療法がなかった時代には「病態の解明に多大な貢献があった」と説明。ただ、50年代以降は新しい知見があまりなく、化学療法も進んで治る病気となり科学的根拠が失われていたとし、「必要性を議論し見直すべきだった」とした。

 解剖が長く続けられた背景として、90年代に病理解剖を担当した男性職員が解剖の意義を疑問に思いながらも先輩職員から「海外にはハンセン病患者がいる。役立てるために頑張っている」と説明されたとの証言などを紹介。職員たちが人権侵害に気付かないまま解剖を継続することを責務と考えていたと分析した。

 解剖への同意に関しては、後見人の入所者らによる承諾書は一部あるものの「当然のことと受け入れていた」「強制的な感じだった」といった入所者の証言などから強いバイアスがかかっていたと指摘した。

 人権擁護委では2020年10月から記録の調査や関係者への聞き取りを行ってきた。報告書は全国のハンセン病療養所などに送るほか、光明園のホームページでも公開する。

© 株式会社山陽新聞社