実は〝恐ろしい〟サッカーの起源「敵の生首を蹴る」「敗者はいけにえ」国際大会では「代理戦争」の様相も

サッカーのカタールW杯1次リーグE組初戦で、日本が強豪のドイツに2-1で逆転勝利を飾った。歴史的な大金星は「ドーハの奇跡」などと称され、一夜明けてもなお、SNSでは感動と興奮、称賛の声が広がっている。ジャーナリストの深月ユリア氏は、盛り上がる日本のサッカー・フィーバーを受け、その背景にある競技自体の起源や伝承について、研究者やスポーツ財団などの説を引用し、識者にも見解を聞いた。

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サッカーの起源についてご存知だろうか。公益財団法人「笹川スポーツ財団」によると、「中世に戦争で負けた将軍の首を切り、勝者の兵士がボールのように蹴って祝ったのが球技の起源」という恐ろしい説もささやかれているそうだ。そして、ナショナルジオグラフィック誌の報道によると、「サッカーが誕生したのは19世紀のイギリスだが、球技の起源は南北米大陸」という説も有力視されているという。

米エール大学の美術史教授でサッカーの起源について研究しているメアリー・ミラー氏による説では「約3000年前から、テオティワカン、アステカ、マヤなどのメソアメリカ文化圏で、重さ7キロほどもあるゴム製のボールを使った球技が行われていた」「アステカ文明では、チームに分かれた選手たちが腰とお尻だけを使って(手足を使うことは禁止されていた)ボールを相手チームのコートに当てることで、競い合うという球技だった」。ボールの絵が描かれた陶器、石造りの球技場などの遺跡も発見されているそうだ。

しかし、現在の球技と異なる点が「神聖な儀式」であり、マヤの創世神話には、「双子が球技で冥界の支配者を倒して、太陽と月になった」という描写もあるそうだ。そして「戦争の代わり」の意味合いもあり、「アステカの王たちは戦争の代わりに球技を行い、支配権を獲得したり、外交を繰り広げたりした」という。「戦争の代わり」なので、「マヤやベラクルスといった文化圏では、敗者が首を切られ、いけにえにされることもあった」。球技場の遺跡からは、負けた選手をいけにえに捧げる様子を描いたと思われる石板が飾られているそうだ。

中央大学総合政策学部で比較文化を教えていた元講師で文学博士の酒生文弥氏にインタビューしたところ、 「マヤ文明の野蛮な側面を描いたメル・ギブソン監督の『アポカリプト』という映画があります。ピラミッドの上で、生身のいけにえから心臓を取り出して大陽に捧げ、生首をボールのように転がり落とすシーンは残虐そのものです。それを蹴ったのがサッカーの起源では…とも言われています。サッカーのみならずスポーツの多くは『闘い』にちなむもので、より速く、より高く、より強く、とは全て相手を打ち負かす技能の向上が起源なのです」と指摘した。

さらに、同氏は「特に国際的な競技は『代理戦争』の様相を帯びがちです。1969年(7月の)ホンジュラスとエルサルバドルとの『100時間戦争』には、(※翌年開催のW杯メキシコ大会に向け、同年6月に行なわれた北中米カリブ海予選2次ラウンドでの)両国の対戦があまりに加熱したことから『サッカー戦争』の異名が付けられました。今回、ドイツ戦での日本の勝利は、かつての(第2次世界大戦中の)枢軸国同士で、ゲルマン民族にヤマト民族が勝った、という象徴的な出来事になるかもしれませんね」と私見を述べた。

ダークな由来はあるが、現在の日本サッカーは相手に対する礼を大事にした紳士的な競技である。笹川スポーツ財団によると、 近代スポーツを日本にもたらしたのは、明治政府に招かれた「お抱え外国人教師」たちであるといわれる。「日本における近代スポーツの父」とされる英国出身のフレデリック・ウイリアム・ストレンジが残した理念は「重要なことは勝敗ではなく、全力をつくすこと。スポーツの奥義は心身の鍛錬にある」という。

(ジャーナリスト・深月ユリア)

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