<札幌アーカイブス1922-2022>㊵ センバツで北海準V(1963年4月5日夕刊6面)

▽1963年4月5日夕刊6面=「よくぞ戦った 北海健児*頼みの逆転ならず 拙攻で先制機つぶす」

 【甲子園】北海か下関商か。第三十五回選抜高校野球大会は六日、甲子園球場で最終日を迎え、道民の期待をになう名門北海高と古豪下関商の間で優勝が争われた。奇跡的な逆転劇を演じて勝ち残った北海高ナインは静かな一夜をあかして深々と朝の空気をすいこんだ。紫紺の大優勝旗を目前にして、そのひとりひとりの顔には道産子の意地と根性がみなぎっていた。

 高校球児が憧れる「甲子園」で春夏通じて北海道勢として初めて決勝に進んだのは、北海高(豊平区)だった。この日の夕刊7面は第35回選抜大会の決勝で古豪・下関商業高(山口県)に敗れ、準優勝した「北海ナイン」を「よくぞ戦った」とたたえた。

 決勝当日は札幌を「興奮のウズ」に巻き込み、「家庭でも、職場でも、街頭でも、市民の目と耳が、テレビとラジオに集中」。期待が大きかっただけに、北海高が0―10で敗退すると、唇をかみしめ「テレビの前から立ち去ろうともしない市民も多かった」。

 その後、冬期間に土の上で練習できない雪国のハンディなどで長く「優勝旗」に手が届かなかった北海道勢だが、駒大苫小牧高が2004年、05年に夏の大会を連覇。北海高は、夏が全国最多の39回、春は13回の出場を重ね、16年の夏の大会でも準優勝した。 ◇

 紙面の一部を加工しています。

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