廃線から25年で残る架線に感動

 【汐留鉄道倶楽部】廃止から四半世紀が経過したのに、まだ架線が残る驚きの貨物線跡がある。1997年まで栃木県佐野市にあった東武鉄道の貨物線跡を訪れた。その日は急に佐野ラーメンを食べたくなり、ついでに貨物線跡を見てみようという軽い気持ちで、群馬県館林市の館林駅から東武佐野線に乗った。出発時点ではコラムに書くつもりはなかったが、架線に感動してキーボードをたたいた。

 2両編成の普通電車に揺られて約35分。終点の葛生駅に着いて、駅のオーバースペックぶりに圧倒された。ホーム部分は1面1線のローカル線らしい小さな駅でありながら、側線が3本ぐらいもあり、しかもどの線路もかなり先まで延びていた。普通電車も1往復だけある特急列車も2~3両編成しかないのに。側線の奥には、太陽光パネルが大量に並ぶ広大な線路跡があり、ここに大規模な貨物ヤードがあったことを物語っていた。

 

驚異的な広さに探究心をくすぐられる葛生駅

 まずは側線がどこまで延びているのか見たくなり、改札口を出て線路沿いを歩いた。ホームから見るとかなり長く感じたが、実際に行ってみたら10両編成の電車で1編成分ぐらいの長さだろうか。数分歩いて道路と交差する寸前で線路は途切れ、道路との境界に柵を立ててあった。おもしろいことに、柵の手前に制限速度25キロの鉄道標識が残っていた。本当に25キロで走行したら、電車は柵を突き破って道路に飛び出してしまう。記念碑として残してあるのだろうか。

 道路を渡った先は線路跡とみられる草地が細長く延びていたが、残念ながら柵に囲まれており、進むことはできない。現役の線路なら、アウトカーブで貨物列車を狙える撮影スポットになりそうだと思いながら、住宅街を回って線路跡の先を目指すことにした。ちょっとした官庁街に、市役所の行政センター、図書館、公民館、交番などが並んでいた。その中に葛生化石館という博物館があり、駐車場に保線車両のような黄色い小さなディーゼル機関車が展示されていた。看板には鉱山鉄道の「ガソリンカー」と書いてあった。今回の小旅行で見学できた唯一の車両だ。

 看板によると、葛生地区には石灰石が豊富にあり、鉄道網が張り巡らされていた。このガソリンカーは1938年に開業した3・3キロの鉱山鉄道へ1962年に導入され、路線が廃止される1980年まで活躍した。ガソリンカーは3トン積みの貨車22両を引っ張り、単線の路線には2カ所の交換所があって、朝7時から夜7時まで50往復もの列車が走っていたという。ぜひ現役時代を見たかった。

 鉱山鉄道が廃止されると、軌道跡は石灰石を空気の力で運ぶ「カプセルライナー」という輸送システムに生まれ変わったそうだ。そういえば共同通信社の旧社屋には、空気の力で原稿を運ぶ「気送管」という設備があった。カプセルライナーは気送管をとてつもなく大規模にしたものなのだろうか。看板を見た時には貨物線跡のことで頭がいっぱいだったが、今思えばカプセルライナーの見学も楽しそうだ。

 

(上)整備すれば走れそうに見える展示品のガソリンカー(下)今でも架線柱と架線が残る貨物線跡

 ガソリンカーの見学を早々に終えて、貨物線跡の先を目指した。土手には架線柱が立っており、一目で廃線跡と分かった。信じられないことに、近づいたら架線まであった。何年か前に電線泥棒が多発した時期があったが、よくぞ被害に遭わず生き残ってくれたものだ。それにしてもレールや枕木は撤去されているのに、なぜ架線を残したのだろうか。いつでも貨物線を復活できるようにしてあるのか、それとも佐野線の延伸があってもいいように備えているのか。

 その先を目指して、なるべく貨物線跡に近づくであろう道を選んで歩いた。線路が道路と交差する個所には、踏切警報器の土台や、黄色と黒のコンクリート柵が見つかった。場所によっては草木が生い茂って林と化していた。架線が残っているのに、草が伸びて上の方まで絡みついている架線柱もあり、廃線からの時間の流れを感じた。そんな風景は、小川に架かる鉄橋跡で終わった。

 小川を渡った先は、砂利が取り除かれて細長い草地になっていた。架線柱がないのは、撤去したからなのか、そもそも非電化路線だったからなのか。線路跡は道路に沿って進んでおり、畑として有効活用されている区間が長かった。さっきまでの廃線跡とは明らかに雰囲気が違った。所々に残る石の境界標には、東武とは違うマークが。恥ずかしながら、この辺りが日鉄鉱業の貨物線跡だということを後で知った。どうやら景色の境目が管轄の境目だったようだ。

 行ける所まで行こうと張り切っていたが、だんだん日が陰ってきた。あわよくば採石場が見える所まで近づきたかったが遠く及ばず。鎌倉時代の武士、佐野源左衛門常世の墓がある願成寺の近くで引き返すことにした。結構な時間を使ったのに、地図を見たら直線で2キロに満たない距離だった。

 空腹のまま日があるうちに葛生駅まで戻ることができた。佐野ラーメンのある店を訪ねたが、2軒とも売り切れだった。廃線跡をたどる小旅行が中途半端だった上に、肝心な佐野ラーメンにもありつけず、どっと疲れが出た。次回はカプセルライナーを見学して佐野ラーメンを食べる、リベンジの旅にしたい。

 ☆寺尾敦史(てらお・あつし) 共同通信社映像音声部

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