国民のための仕事に誇りを持ってきた公務員が、なぜ死に追いやられたのか。真相を知りたいという願いは届かないままだ。
森友学園に関する財務省の決裁文書改ざんを巡る訴訟で、大阪地裁は、自殺した近畿財務局の元職員赤木俊夫さんの妻雅子さんの訴えを退けた。
判決は、組織的な改ざんを認定する一方、同省が調査報告書で「改ざんの方向性を決定付けた」とした佐川宣寿元国税庁長官の個人としての賠償責任を否定した。国家賠償法の「公務員個人が職務で損害を加えた時は国が賠償責任を負う」との規定をそのまま適用した形だ。
裁判では佐川氏らの尋問を認めず、改ざんと自殺の因果関係にも触れなかった。省ぐるみの改ざんの「説明逃れ」を許すような形式的な判断ではないか。
「裁判所は何のためにあるの」と雅子さんはうめいた。事実解明の望みを託した思いに向き合わない司法の姿勢は極めて残念だ。
訴訟は、国と佐川氏を相手取ったものだった。雅子さんの強い求めを受けて地裁が促し、国は存在さえ認めてこなかった「赤木ファイル」を開示した。組織的な改ざんを改めて裏付ける意義があったといえる。
一方で、指示した人物に関して黒塗りが多く、動機や詳細な指示系統、政権中枢との関係は判然としていない。ところが国は昨年末に突然、賠償請求を受け入れる異例の「認諾」をして裁判を打ち切った。全容解明にふたをするものと言わざるを得ない。
残った佐川氏への訴訟で、地裁は国の認諾をもとに関係者の尋問を行わず、佐川氏個人が「謝罪、説明する法的義務はない」と請求を切り捨てた。事実認定も調査報告書やファイルの内容をなぞっただけだ。国による幕引きを追認するような判断は納得できない。
改ざんは、森友学園問題に関わっていれば「総理も議員も辞める」とした安倍晋三元首相の国会答弁が引き金になったとされる。安倍氏への忖度(そんたく)があったとの見方があるが、その死去後も関係者は口をつぐんだままだ。
佐川氏は国会証人喚問で「刑事訴追の恐れ」を理由に証言を拒み続けた。検察は全員を不起訴とした。省内処分だけで誰一人として法的責任を問われず、説明もしないことが許されていいのか。
政府は再調査に及び腰だが、民主主義の根幹を揺るがした公文書改ざんを闇に葬るのでは国民の政治不信はさらに深まろう。