出世頭はトム・クルーズ!80年代ハリウッド青春映画の “YAスター” って知ってる?  「アウトサイダー」がスクリーンアイドルの流れを大きく変えた!

スクリーンのアイドルが世代交代。流れを大きく変えた「アウトサイダー」

1980年代に入り、日本においてアイドルの世代交代が起こりました。海外スターについても同様で、女性の方は1970年代から活躍していたテイタム・オニール、ジョディ・フォスター、ダイアン・レイン、ブルック・シールズに続き、1982年に『ラ・ブーム』でソフィー・マルソー…。そして、『パラダイス』でフィービー・ケイツが登場(『世界中が胸キュンした80年代アイドル女優、フィービー・ケイツを知ってるかい?』を参照)。

一方、男性アイドルはと言えば、雑誌『スクリーン』の映画ファンが選んだ人気ベスト3は1981年度がポール・ニューマン(56歳)、ハリソン・フォード(39歳)、ジャッキー・チェン(27歳)、1982年度がジャッキー・チェン、シルベスター・スタローン(36歳)、ハリソン・フォードとアイドルと呼ぶには年齢高めな状況。この流れを大きく変えたのが1983年8月日本で劇場公開された『アウトサイダー』でした。

当時 “Y・A小説” がブームでした。Y・Aとはヤングアダルトの略。ヤングであっても既に大人であり、自分たちの価値観や主張を持った若者たちのこと。その中で描かれる若者たちは、アメリカ社会を反映して、貧困、麻薬、セックス、人種差別、宗教上の対立など様々な苦悩を背負っていました。その代表作であるスーザン・E・ヒントン原作の同名小説をフランシス・フォード・コッポラ監督が映像化します。

この作品を配給した東宝東和が『アウトサイダー』主演の若手俳優8名、マット・ディロン、C・トーマス・ハウエル、ラルフ・マッチオ、ロブ・ロウ、エミリオ・エステヴェス、パトリック・スウェイジ、トム・クルーズ、レイフ・ギャレットをY・Aスターと命名。ファンクラブを結成して推します。その結果、ロードショーやスクリーンといった映画雑誌は毎号彼らをアイドルグループ的にセットで取り扱います。(たのきんが明星や平凡に取り上げられたような感じ?)このようにして、アメリカにはない、この ” Y・Aスター” と言う呼称が日本では浸透していきました。

青春映画の金字塔「アウトサイダー」

ここで映画のストーリーを…。

1960年代のオクラホマ州タルサ。貧しい家庭の少年たちの集まりである “グリース” と、裕福な家庭の少年たちによる “ソッシュ” というふたつのグループが敵対していた。ある夜、ポニーボーイ(C・トーマス・ハウエル)とジョニー(ラルフ・マッチオ)はソッシュの連中と喧嘩になり、ジョニーは相手のリーダーであるボブ(レイフ・ギャレット)をナイフで刺して殺してしまう。二人は兄貴分のダラス(マット・ディロン)に助けを求め、郊外にある教会に潜伏する。二人の様子を見に来たダラスと一緒に気晴らしに外出。その間に、教会に子ども達が来ていたが、教会が火事になってしまう。そこへ戻ったポニーボーイたちは命がけで子供たちを救出するが、教会が崩れ落ちてジョニーは重傷を負った。

新聞は三人を英雄と持ち上げる。

再び起こるグリースとソッシュとの大乱闘。激しい喧嘩の末グリースが勝利。その夜、重症だったジョニーが死んでしまう。ジョニーがポニーボーイに残した最後の言葉は「ステイ・ゴールド(いつまでも黄金のままでいろよ)」だった。ジョニーを失った悲しみで自棄になったダラスは衝動的に強盗をしてしまい、警官に射殺される。二人の大切な仲間を失ったポニーボーイは、「ステイ・ゴールド」の言葉を胸に、仲間たちとの出来事をノートに書き始める…。

感動的な主題歌はスティーヴィー・ワンダー「ステイ・ゴールド」

アメリカ映画史において『ウエスト・サイド物語』から続く非行少年グループの対立抗争のドラマ。公開直後のマスコミや映画評論家の批評は否定的なものが多かったものの、1983年度の読者選出の年間ベスト10では第1位。

本作をさらに感動的に盛り上げたのが主題歌「ステイ・ゴールド」。フランシスの父カーマイン・コッポラによるメインテーマのメロディに自ら歌詞をつけて、ノスタルジックに歌ったのがスティーヴィー・ワンダー。しかしながらこの曲、日本ではシングル盤でもサントラ盤LPでもリリースされず。コッポラ側が独自にレコードを発売しようとして、スティーヴィーの所属するレコード会社とトラブルになったからのようです。日本では、タイロン橋本が日本語詞で歌ったシングルが発売されたのは恐らくそういった事情だと思います。

80年代のジェームス・ディーン、マッド・ディロンのブレイク

話をY・Aスターに戻します。この作品で一番のブレイクを果たしたのはマット・ディロン(19歳)。1970年代後半高校在学中にスカウトされ、1978年『レベルポイント』で映画初出演。その後『リトル・ダーリング』『マイ・ボディガード』『初恋物語』と出演作が続きました。整った甘い顔立ちと不良少年兄貴的存在感で “マーロン・ブランドの再来” “80年代のジェームス・ディーン” として注目され、1983年の人気投票では第1位。その後S・E・ヒントン原作『テックス』『ランブルフィッシュ』、そして『フラミンゴ・キッド』『ターゲット』『ビッグタウン』と主演作が続き、1984年第1位⇒1985年第3位⇒1986年第7位⇒1987年第5位と人気は持続。しかしながら1988年以降20位圏外に消えてしまいます。

次いでブレイクしたのが、ポニーボーイ役C・トーマス・ハウエル(17歳)。1982年『E.T.』でBMXに乗る少年グループのひとりとして映画デビュー。『アウトサイダー』では公開初日に併せてキャンペーンで来日。日立のラジカセを持って成田空港に到着、『笑っていいとも!』出演後スタジオアルタからは地下鉄で銀座に移動して舞台挨拶と新人らしく(?)頑張った結果、1983年第8位にランクイン。

しかしながらその後の出演作品が日本で劇場未公開だったり、『若き勇者たち』『ヒッチャー』と言った硬派な作品でアイドル路線から早々に離れ、B級作品への出演が多くなっていきます。1984年7位⇒1985年10位⇒1986年13位で、1987年以降は20位圏外へ。

トーマス同様ブレイクしたのがラルフ・マッチオ(22歳)。童顔・小顔・長い脚、少年ぽさの残る外見は一番アイドル的だと思うのですが、この3人の中では実は一番年上。1983年13位で登場後、1985年2月に公開された『ベスト・キッド』がヒット。1984年8位⇒1985年8位⇒1986年17位で、1987年以降は20位圏外へ。

Y・Aスターからの出世頭はトム・クルーズ

そしてもう1名、最終的にはダントツのスターになるトム・クルーズ(21歳)。『アウトサイダー』に続き主演作『卒業白書』が1984年1月日本で劇場公開され、1983年第3位。しかしながら1984年、1985年は『レジェンド 光と闇の伝説』が公開されるもののトップ20圏外。そして1986年『トップガン』の大ヒット(『ハスラー2』もありましたが)で1位に輝きます。そこからは1987年6位、1988年3位、1989年2位と順調に人気を維持します。

残るロブ・ロウ、エミリオ・エステヴェス。パトリック・スウェイジに関しては、80年代中盤にアメリカで “ブラッドパック” と命名された次の波で飛躍しますが、それはまた別の機会に。

レイフ・ギャレットについては特にございません。唯一のソッシュメンバーだったからか、途中からY・Aスターとして扱われなかったような…。

このような感じで80年代前半に海外スター人気を牽引したY・Aスターたち。しかしながら彼らの多くの人気は80年代の終わりまで持続しませんでした。そんな中、昭和から平成を超え令和の今年も『トップガン マーヴェリック』でスターパワーを爆発させたトム・クルーズ。還暦を過ぎても、まだまだ彼の「ステイ・ゴールド」は続きそうです。

カタリベ: 高橋みき夫

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