かつて「死の宣告」だったエイズはいま コンゴ、20年の希望と現実 

HIV/エイズの治療のため入院している子ども。この日はウォールペインティングが行われた。コンゴでは7万人以上の子どもがHIV陽性だが、治療を受けているのは半分以下だ=2018年 © Ghislain Massotte/MSF

2002年、コンゴ民主共和国(以下、「コンゴ」)の首都キンシャサにある施設が開設された。HIVとともに生きる人びとが無償でケアを受けられる、この国で初めての外来治療センターだ。それから20年、エイズをとりまく環境は大きく進歩した一方、依然として残る課題も大きい。いまだコンゴでは年間何千人もがエイズで命を落としている。現地から、患者と医師の声を伝える。

「あの頃のことは思い出したくない」

2002年5月にMSFの治療センターの扉が開いたとき、状況は危機的だった。コンゴでは100万人以上の男性、女性、子どもがHIVとともに生きていたが、抗レトロウイルス薬(ARV)による治療は国内にほとんど出回っておらず、到底買えない高い値段だったのだ。国連合同エイズ計画(UNAIDS)によると、2000年代初頭には、このウイルスによってコンゴでは毎年5万人から20万人が亡くなっていた。

「多くの人にとって、HIV感染は死の宣告を意味していました」と、コンゴでMSFの医療コーディネーターを務めるマリア・マシャコ医師は語る。「ARVによる治療費は、ほとんどの患者にとって手の届かないものでした。MSFでさえ、センター開設の初期には、ARVを手に入れられず、症状や日和見感染の治療しかできませんでした。実につらい思いをしたものです」

クラリス・マウィカさん(60歳)は、1999年に陽性の検査結果を受けた。クラリスさんは、この暗い時代をよく覚えている。

「あの頃のことはあまり思い出したくありません」とクラリスさんは話す。「血液検査の結果が出たとき、『お葬式の準備をしよう』と思ったくらいです。幸い、家族がお金を出し合って、欧州から薬を送ってくれました。でも、その後、家族も薬代を出せなくなったのです。数カ月間、治療を中断せざるを得ませんでした。体調が悪くなり始めた頃、知人がMSFのことを教えてくれたんです」

1999年にHIV陽性と診断されたクラリス・マウィカさん(60歳) © MSF/Charly Kasereka

MSFがコンゴのHIV/エイズ対策をリード

20年以上HIVの活動に携わるマシャコ医師 © Charly Kasereka/MSF

キンシャサで初めて患者にARVを無償で提供した医療施設であるMSFの治療センターは、治療を必要とする多くの人びとで対応が追い付かなくなった。

2000年代半ば、まだ若い医師だったマシャコ医師は、「耐えがたいの一言に尽きました」と振り返る。

「診療は明け方に始まり、終わるのはいつも夜でした。毎日たくさんの患者さんがいたので......」

多くの患者がケアと治療を受けられるよう、MSFは他の診療所や病院への支援を開始し、スクリーニング検査、治療薬やケアを無償で提供した。キンシャサだけでも、過去20年間に約30カ所の医療施設がMSFの支援の対象となった。

また、MSFは、治療薬を処方しHIV陽性患者の経過観察を行う権限を看護師に与えるケアモデルを試験的に立ち上げた。当時は一つの県につき一握りの医師しか行うことができなかったため、これは非常に重要な取り組みだった。

これらの活動により、20年間で数え切れないほどの医療従事者が研修を受け、キンシャサだけでも約1万9000人が無償でARV治療を受けることになった。

「この医療援助はもちろん必要不可欠なものでしたが、それでもまだ足りませんでした」とマシャコは話す。「医療施設の混雑を抑え、患者の近くで治療を行う必要があったのです。そのため、患者会の全国ネットワークと協力して、患者が直接運営するARV配薬所を立ち上げたのです」

患者自身により運営・管理されている配薬所=2016年 © Tommy Trenchard/Panos Pictures

クラリスさんは、コンゴで「ポディ」と呼ばれる各地に置かれた配薬所を立ち上げた中心メンバーの一人だ。「2010年にキンシャサで最初に2カ所の配薬所を立ち上げた時、そこから治療を受けていた患者は20人もいませんでした」と思い返しながら語る。「いまでは、8つの県に17カ所の配薬所があり、1万人以上の患者が薬を取りに通っています」 この方法は成功を収め、最終的には国のHIV/エイズ対策に採用された。

ベッドが足りない──進行性HIV、いまだ多くの患者が

コンゴのHIV/エイズ対策は大きく前進して治療が受けやすくなり、過去10年間で新規感染者数は半減した。しかし、大きな課題も残っている。

「2008年に進行性HIVの治療に特化した入院ユニットを立ち上げたとき、10年以上経ったいまでも患者でいっぱいの状態が続くとは思ってもみませんでした」とマシャコ医師は話す。「この数年で、当初の2倍のベッド数を確保しましたが、それでも定期的にテントを張って患者を受け入れています。これは、コンゴのHIV/エイズ対策に残された大きな問題を映し出しています」

開設以来、キンシャサにあるMSFの進行性HIVケアユニットに入院した人は2万1000人以上に上る。

「2021年になっても、UNAIDSの推定によるとコンゴでHIVとともに生きる54万人のうち5分の1は治療を受けられず、1万4000人がHIVで死亡しました」とマシャコ医師は話す。「医師として、あまりに多くの命が助けを得られないまま失われていることに愕然としています」

患者のケアに当たるMSFの看護師=2016年 © Tommy Trenchard/Panos Pictures

「願いは、20年後に私たちの活動が必要ないこと」

コンゴは、HIV/エイズ対策のほとんどを国際的な資金に頼っている。しかし、課題の大きさを考えると、現行の支援では足りない。

「私たちは長年にわたってこの現実を訴えてきました」とマシャコ医師は話す。「資金不足が、無償の自発的検査や、医療従事者の研修、治療薬やHIV診療など、あらゆるものの不足を招いています」

コンゴの国家エイズ対策プログラムによると、感染の進み具合や治療効果の指標となるウイルス量測定に適切な機器を備えている州はわずか3つ。近年は、HIV/エイズ対策の後退が確認されているほどである。妊娠中の女性の検査や治療によってHIVの母子感染を減らす活動の減少傾向はその一例だ。HIV陽性の母親から生まれた子どもの4分の1は、小児用ARVの不足もあって、出生時に小児用予防薬を利用できないでいる。そして、HIVとともに生きる子どもたちの3分の2は、ARV治療を受けていない。

「関係者がもっと努力しない限り、コンゴのHIVの問題は解決しません」とマシャコ医師は話す。「願いが一つだけあるとすれば、20年後にMSFがここに必要なくなっていることです」

コンゴの首都キンシャサ。HIV/エイズをとりまく課題はいまだ大きい=2022年 © Michel Lunanga/MSF

2022年、MSFはキンシャサとコンゴの6つの州(北キブ州、南キブ州、マニエマ州、イトゥリ州、東カサイ州、コンゴ中央州)で、HIV/エイズのケアと診療を通じて保健省を支援。患者への直接的なケアのほか、医療従事者への研修、医薬品や医療物資の提供を行っている。

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