とちあいかに“推し変”の栃木 あまおう一筋20年の福岡 イチゴ二大産地の切磋琢磨 東西イチゴ最前線①品種開発

品種開発のために育てている苗を調べる研究員=11月18日午前、栃木市大塚町の県農業試験場いちご研究所

 イチゴの生産量54年連続日本一の栃木県は今、大きな転換期を迎えている。県は本年度、主力品種の世代交代を進め、2027年産までに県内の作付面積の8割を新品種「とちあいか」に変える戦略を打ち出した。一方、生産量2位の福岡県も今年、「あまおう」の本格販売から20年の節目となった。下野新聞社は福岡県を拠点とする西日本新聞社と共同で、二大産地が成長を遂げた背景や直面する課題、今後の展望を探った。

 10月下旬、栃木市大塚町の県農業試験場いちご研究所のハウスで、4千株の苗が青々とした葉を広げていた。同じ遺伝情報を持つ苗は一つもない。「この中から数年後に残っている株は1種類あるかどうか」。特別研究員の松本貴行(まつもとたかゆき)さんはつぶやいた。

 「いちご王国」を旗印にする本県は2008年、国内唯一のいちご研究所を開設した。毎年、種から育てた数千株の中から、次世代エースを追い求めている。

   ◇   ◇

 本県でイチゴの栽培が拡大したのは戦後。農家の収入を向上させるコメの裏作として普及した。1968年に初めて生産量日本一となり、翌年、オリジナル品種の開発に着手した。

 2000年代に入り、開発競争は全国的に激化した。「引き金は栃木」と東京農業大の半杭真一(はんぐいしんいち)准教授(46)は言い切る。

 きっかけは1989年。「東の女峰、西のとよのか」と言われた時代、本県がそれまで17年間死守したイチゴの販売額1位の座を、福岡県に明け渡した。同県もまた、裏作としてイチゴ栽培が広がっていた。

 販売単価で上回るとよのか。「流す汗は同じなのに、なぜ手取りは違うのか」。いちご研究所の前身、県農業試験場栃木分場で育種担当だった石原良行(いしはらよしゆき)さん(64)は自問した。

 「女峰では勝てない」。関係者の危機感は一気に高まり、開発は加速。生産者や流通関係者の声を初期段階から取り入れる異例の試みもあり、わずか4年で「とちおとめ」(96年品種登録)を世に送り出した。生食にも加工にも適した万能型として需要を獲得し、本県は再び首位に躍り出た。

   ◇   ◇

 福岡県も負けてはいない。とよのかに代わる品種を6年かけて開発。あかい、まるい、おおきい、うまいの「あまおう」が2003年本格デビューした。JA全農ふくれんは商標権を取得。生産は県内に限定しつつ、市場ニーズにも応える手法で地位を確立した。両県から広がった開発競争は「新たな需要を生み出すエンジンとなった」(半杭准教授)。

 現在、本県のオリジナル育成品種は10に上る。家庭用、贈答用、観光イチゴ園用…。多様なラインアップがそろう中、次世代エースも誕生した。今季で出荷4シーズン目のとちあいかだ。大きさ、収量、耐病性でとちおとめをしのぎ、福田富一(ふくだとみかず)知事は「スーパーイチゴ」と評する。

 総合力が強みの本県と、「ポストあまおうもまた、あまおう」の福岡県。産出額を比べると、本県238億円、福岡県231億円と差はわずかだ。日本のイチゴ市場をけん引する両県の切磋琢磨(せっさたくま)は続く。

© 株式会社下野新聞社