【読書亡羊】「500円の節約」と「500億円の節税」が共存する日本経済の現状 小林美希『年収443万円』(講談社現代新書)、大森健史『日本のシン富裕層』(朝日新書) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!

もはや「格差」を超えた「落差」が出現

片や500円の節約のためにスタバのコーヒーを我慢し、片や500億円の節税のためにドバイへの移住を検討する。

前者のような生活を送る人々にクローズアップしているのは、ジャーナリストで自身も氷河期世代にあたる小林美希氏の『年収443万円――安すぎる国の絶望的な生活』(講談社現代新書)。後者に当たる「大金持ち」の実態を紹介してくれるのは、海外移住アドバイザーの大森健史氏による『日本のシン富裕層――なぜ彼らは一代で巨万の富を築けたのか』(朝日新書)だ。

日本の現在の平均年収が、前者のタイトル通りの443万円。筆者(梶原)も就職氷河期世代ど真ん中であり、先の見えない個人事業主でもあるので、正直言って明日は我が身だ。『年収443万円』の身につまされる報告や分析を読むほどに気分は暗くなる。

しかし一方では『日本のシン富裕層』に登場する人々のような人たちもこの日本に存在するのだ。様々な形の資産を保有し、その総額は億を突破している。特に投資や暗号資産で億単位の資産を形成した人たちは「億り人」とも呼ばれる。

ただしあくまで「資産」であって、現金はあまり持ち合わせていない場合もある、というのが新しい富裕層の一つのスタイルでもあるようだ。なぜ資産を現金化しないのか。日本で現金化してしまうと、所得税をがっぽり取られるからで、免税・非課税制度が充実しているドバイに移住し、そこで一部を現金化、さらに投資で生きていくのだという。

しかもシン富裕層は、これまでの成金とは違って、服や車にお金を費やさない。つまり、『年収443万円』に登場する絶望的な生活を送る人たちと、シン富裕層が「同じようにユニクロの服を買い、電車で移動しているが、実は資産は数十、数百億円もの差がある」という状況が生まれているのだ。

この2冊を続けて読むと、その格差、いや落差には愕然とするほかない。だが、いずれもまぎれもなく日本で起きている実態である。

上から下まで消費マインドが冷え切っている

『日本のシン富裕層』では、暗号資産(仮想通貨)や投資で儲けた人たちのマインドを「一度投資したら一喜一憂せず、価値が上がるまで持ち続けられる」と説明する。だが、『年収443万円』に登場している人たちに投資を進めたところで、一喜一憂せずにいられるわけがない。元の資産が少ないために、少しの価格・株価変動も死活問題になるからだ。

投資にまるで縁のない、どちらかと言うまでもなく500円のスタバで迷う人たちの心情に近い立場の筆者(梶原)も、「この『億り人』たちの背後には、無惨にも投資でコケた人たちの死屍累々が広がっているに違いない」、「それなら今日の100円、200円を節約してコツコツやる方が堅実だ」と考えてしまう。

しかし一方で、『年収433万円』の人々のように、過剰に守りに入る姿勢が、結果として自分の首を絞めることになるのだろうというのも、この2冊を読むと分かってくるのだ。

『日本のシン富裕層』に登場する人たちは、(余裕があるからこそ、ではあるが)果敢なチャレンジを成功に変えてもいる。もちろん中には学生時代のわずかな貯金で「たまたま」暗号資産を購入していたところ、結果的にそれが億単位に化けたという「億り人」もいる。

が、多くは自ら進んで情報を収集し、学び、即断即決、いいと思ったらとにかくやってみる。基本的には能動的に動いた結果が億単位の資産形成に結びついている。

一方で『年収443万円』に出てくる人たちの中には、「何もそこまで過剰に考えなくても」と思うほどの節約をし、子供の学費や老後資金への恐怖感にさいなまれている。

シングルマザーで月収が9万円とか、非常勤講師の男性は安月給で親の介護が重なり地獄、というかなり不幸なケースもあるが、一方で「いや、それはさすがに何とかできるのでは?」と思わないではない、明らかに視野狭窄とみられるような報告もある。

あるいはダブルインカムで世帯年収が1000万円超もあるのに「昼食は500円以内」「ビールも外食も我慢」と語る人のエピソードなどは、他人事ながら「そこまで切り詰める必要があるんでしょうか」と聞きたくなるほどだ。

世帯年収が1000万円ある人がお金を使わなかったら、一体誰が使うのか。シン富裕層に至ってはなおさらで、金がある人はユニクロのスウェットではなく、もっといい服を買ってほしい。上も下も消費マインドが冷え切っており、これでは経済が回るはずもない。

「自分にとって得」なことしか考えなくなった日本人

こうした落差のある状況はなぜ生まれたのか。『年収433万円』の小林氏は、小泉構造改革以降の日本の経済・労働政策の問題点を指摘しつつ、「格差是正法」の制定を提案する。

さらに小林氏はこう述べる。

多くの人が〝割安〟で〝自分にとって得〟なものを求めている。人間のものさしが、短いものしか計ることができなくなっている。社会全体のことを考えなければ、不利益が予想以上に大きくなって自分に返ってくる。

これには全く同感だ。

『日本のシン富裕層』に〈(シン富裕層は)海外志向でも日本は好き〉という節があるが、寿司を食べたい時や病気になった時に帰りたい場所としての「日本」としてしか紹介されていない。これではもはや外国人観光客目線だ。もちろんシン裕福層がすべてそうとは限らないが、日本という国、社会に対する責任感がまるでないように見受けられる。

実際、何らかの規制を設け、儲けている人たちから搾り取ろうとしても、彼らは〝自分にとっての得〟を求めて軽々と日本からドバイへと飛び立っていく。だが、富裕層が次々と海外へ飛び立てば、「彼らが帰りたい時に(うまい寿司や充実した医療のある)祖国は失われていた」ということにもなりかねない。

「国家のメンバーを助けるために」

「なぜ『日本』に税金を納めなければならないのか」――その一つの答えとして、福祉や相互扶助を支えているのはナショナリズムだという指摘がある。

ナショナリズムは近代的福祉国家の確立にも貢献している。相互義務と政治的運命を共有しているとする意識が、国家メンバーという概念を一般化し、困難な時には、まったく見知らぬ人も国のメンバーとして助けるべきだという概念を育んだからだ。
(『フォーリンアフェアーズ』2019年3月号掲載、コロンビア大学アンドレアス・ウィマー教授「国家を支えるナショナリズム ――必要とされる社会契約の再定義」)

日本では、福祉を重んじる人はナショナリズムを否定し、ナショナリズムを肯定する人は福祉を軽んじてきた。誰も幸せになれないこの悪循環と無意味な対立は早期に解消すべきだろう。

「国」であれ「社会」であれ、呼び方はそれぞれの好きでいいが「自分もその一員であり責任を負っている」という意識を高める以外、現状を変えられる要素はないのではないか。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

© 株式会社飛鳥新社