「社会人の学び」とは、決して資格を取得することではない。

福岡でいちばん企画書を書いてきたプランナー・中村修治さんが読者のお悩みにオモシロオカシク答えてくれます。「あー、あるある」「そっか、もうそんな感じでいっか」などなど、生きにくい日々をライトに潜り抜けるためのヒントになったりならなかったり!?ぜひ肩の力を抜いてお楽しみください!

相談者>>>>>>>>

社会人になって、いまこそ学びが大事だなと痛感しています 。

しかし、いざ何かを学ぼうと思うとどう行動したらよいかわからないのですが、なにかいい方法はありますか?

<<<<<<<<ワタシの回答

行動する以前の問題ですね!?

“学び”が大事とは、みんなが言います。特に、大人になってから、学生時代にもっと勉強をしておけば良かったと。もう常套句です。でも、そんなこと言う輩に限って、言葉だけです。行動などしません。学ぼうかなぁと思う専門分野の本を買ってきて、数ページ読んで終了するのがオチです。

貴方もきっと同じですね。他者に方法を聞いて、この本を読みなさいとか、ここへ行けとか言われて始める学びなど、たぶん身につきません。

貴方は、露先(つゆさき)という言葉を知っていますか!?雨傘の部位の名称です。雨露が骨に沿って落ちていく先端という意味で、布と骨が結び付けられている箇所を指します。折畳傘では布が骨に直づけされていますが、長傘では小さなパーツにまず傘生地を縫いとめ、それを骨先に差し込んでいます。一般的には、このパーツ自体を「露先(つゆさき)」と呼んでいます。

直ぐに忘れられたり、廃棄されたりするビニール傘の先っちょにもこの部位は、あります。そして、この部位だけを製造している会社や人が、この社会に存在しているのです。こんな所にも、人が介在しているのが社会なのだなぁと。この“まなざし”こそが学びだと思うのです。

"素人ながら小学生にプログラミングを教えていたら、ある日『先生、最近ぼく見えない努力が見えるようになった』と言われた。「おいしい炊飯器も、洗剤を入れるだけの洗濯機も、その向こう側で何度も試行錯誤してるプログラマーがいる。そういう目で物を見れるようになりました」と。これが一番の学び。"

この社会の目の前に差し出されているもののすべてには、見えない他者の努力があります。意図があります。ただいちめんの他力です。

そう思うと、この世は、おもろい。
全部が繋がって見えてくる。
この“まなざし”無しに、
どんな学びの行動を起こしても、
その好奇心は何処かで終了してしまいますよ。

この社会をじっくり視ることからはじめてください。
それだけで、大抵のものは、学べます。

テキストを開いたり、資格を獲得したり、そんなのが“学び”だというのなら、この世は、もっと良くなっているはずです。マスメディアが垂れ流す情報に振り回されたりもしませんよ。

何度も言います。
学びとは“まなざし”です。
見えてなかったことを見ようとすることです。
解像度を上げることです。
何を視ようとするか!?しているか!?がなかったら、その行動は時間の無駄ですよ。

石っころにも
人間にも
裏側があるのです。

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