本田圭佑やペリシッチも!「背番号4」なのに攻撃の人だったスター10人

ワールドカップの決勝トーナメント1回戦で日本代表と激突するクロアチア。

左ウィングとして先発が予想されているのが、イヴァン・ペリシッチだ。彼は現役最強クラスの両利きといえる選手であり、33歳になった現在も主力に君臨している。

ポジション的にはアタッカーだが、クロアチア代表では長らく4番をつけ続けている。

彼はプロデビュー時に背負った4番をラッキーナンバーだと感じており、クラブでも番号を好んでつけてきた(14番や44番も)。

ここでは、彼のように攻撃的選手ながら、背番号4をつけたスターたちを取り上げてみる。

ラジャ・ナインゴラン

強烈なタトゥーや喫煙・飲酒を好むことで知られる元ベルギー代表。体格は小柄ながら、すさまじいパワーの弾丸シュートも武器のひとつ。

彼は4番を好んできたが、「カリアリの時にダニエレ・コンティから4番を試してみろと言われた。そうしたら、非常にいいシーズンになったので、絶対に変えなかったのさ。俺の誕生日でもあるからね」と語っている(誕生日は5月4日)。

なお、現在は三好康児ともにアントワープでプレーしており、背番号は4番だ。

セスク

スペイン代表でこそ10番を付けたものの、アーセナル、バルセロナ、モナコで4番をつけた代表的な「攻撃的な4番」となっている。

これは「5月4日生まれ」、「家の番地が4番」、憧れだったジョゼップ・グアルディオラが4番だったこと、アーセナルの先輩パトリック・ヴィエラが退団してこの番号が空いていたことに由来する。

セリエBのコモでプレーする現在の背番号も4番だ。

ルート・フリット

マルコ・ファンバステン、フランク・ライカールトと共に“グランデ・ミラン”を築き上げたオランダのレジェンド。

ミランやオランダ代表では基本的にエースナンバーの10番を付けたが、サンプドリアとチェルシーでは4番を付けた。これが後の選手たちにも大きな影響を与えている。

本田 圭佑

ABEMAの解説で話題の本田圭佑は、日本を代表する「攻撃的な4番」であろう。

もともと「10番が欲しい」と公言していたものの、日本代表に入った当時には中村俊輔が、その後は香川真司が出現したためその夢は叶わず。

別の番号を模索し、3か4に絞ったが、当時3番だった駒野友一にやんわり断られたため4番になったという。

ヌワンコ・カヌ

2m近い長身ながら吸い付くようなボールタッチが絶品だったFW。ジェイジェイ・オコチャらとナイジェリア黄金世代の一人で、アヤックス、インテル、アーセナルなどで活躍した。

アーセナル時代に着用した25番の印象が強いが、ナイジェリア代表では4番を付け続けており、これはルート・フリットへの憧れだったとの情報も(真偽は定かではない)。

エマニュエル・アデバヨール

お騒がせストライカーは、アーセナルなどクラブでは25番や10番などを付けてきたが、トーゴ代表では一貫して4番を愛用した。

これは彼が前述のヌワンコ・カヌを尊敬することからきているとのこと。

ティム・ケイヒル

W杯に3大会出場し、オーストラリア代表で歴代最多50ゴールを記録したレジェンド。滞空時間の長い跳躍力は異次元で、日本代表キラーでもあった。

そんな彼はデビューしたミルウォール以外クラブでは一度もこの番号を付けなかったが、代表では4番の象徴的な選手となっている。

これは特に理由はなく、もともとはセンターハーフだった彼にたまたま空いていた4番が与えられ、その番号で活躍したからだという。

ダリオ・シルバ

銀色の髪型と神出鬼没な動きを持ち味とした元ウルグアイ代表のFW。

典型的なストライカーで9番を付けることが多かったが、セビージャ時代にFWながら4番をつけると、代表でも一時4番をつけた。

なお、彼は交通事故により右足を切断し選手生命を絶たれてしまったが、スペインのピザ屋でウェイターとして働いていると報じられたことも。

大久保 嘉人

W杯でもプレーした元日本代表のFWは13番の印象が強い。ただ、川崎フロンターレに復帰した際には4番を選択して周囲を驚かせた。

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本人によると、「足すと13(1+3)になる」、「同級生の井川祐輔が川崎で愛用した番号」、「庄子春男GMが現役時代に4番を付けていた」ことが理由だったそう。

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