恩師語る「森保メモ」の原点は… 森保一監督の素顔に「第2の故郷 広島」で迫る

世界を驚かせ、日本を歓喜の渦に巻き込んだサッカー日本代表の森保一 監督。

長崎の高校から広島に連れてきた恩師は…。

サンフレッチェ広島 元総監督 今西和男さん
「速くない。強くない。うまくない彼をなんで(入団させたか)…」

“ポイチカット” と呼ばれる髪型の生みの親は…。

森保監督の髪を切り続けて30年 沖本静夫さん(74)
「カットは本当に任せてもらっているから、ぼくなりのデザインでやらせてもらっている」

森保監督のサインの生みの親も…。

森保監督の同期(マツダ時代) 利重忍さん
「最後の名前が “はじめ” って漢数字の “一” なので、そのへんをどうしようかなと…」

きょうのテーマは、「歴史を変えるか! サッカー日本代表 森保一 監督の素顔に迫ります」。

今夜、日本(男子)サッカー史上初のW杯ベスト8をかけた大一番、クロアチア戦です。ドイツ・スペインを破り、評価の高まる森保監督は、マツダサッカークラブに入部してから20年以上、広島に住み、まさに広島は、「第2の故郷」といえます。広島時代の森保監督ゆかりの人に話を聞きました。

スペイン戦の勝利に沸く広島市西区の「BAR GAJA」。

店主の利重忍さんは、サンフレッチェ広島の前身マツダサッカークラブで森保監督と同期入部のチームメートでした。

1987年、利重さんと森保さんは、当時のマツダサッカークラブの今西和男 総監督に呼ばれ、入団しました。

森保監督の同期(マツダ時代) 利重忍さん
「決してボールリフティングがうまいとか、足がむちゃくちゃ速いというわけではないが、その時その時の判断のスピードが速い」

当時のオフト監督のもとで才能が開花します。

利重忍さん
「決して派手ではなくて、こぼれ球を狙うとか。オフトさんの言う『こういう時は、こういうポジションをとって、シュート打ちなさい。打って、終わりなさい』ということを真面目にやって、ゴールにつながっているとか」

グラウンドを離れると、よく遊びに行ったそうです。

利重忍さん
「オフのときには寮で若者がワチャワチャやってるときには、どこに行く? オフに寮で若者が集まって、誰かの車に乗って絵下山にドライブ行こうと。そんな感じでよく遊びに行っていましたし」

RCCに残る30年前の森保さんのインタビュー映像です。

森保一 監督 1992年9月放送 サンフレッチェ広島 選手時代
― サッカーの一番の魅力は?
「チームプレーですよね。誰かが誰かを助ける。特に勝てれば、勝った喜びは、大きい試合になればなるほど感動しますし」

オフト氏が、日本代表の監督に就任すると、森保さんは代表に召集されます。

森保一 監督 1992年10月放送 日本代表招集時
「思ったよりハードなんですよね」

― その割にはかなり動き回っている印象。
「それは、まあ、ぼくの取りえですから」

日本代表 オフト監督(当時)
― 森保はどうですか?
「問題ない。だいじょうぶ」

森保一 監督 2011年12月 サンフレッチェ監督就任
「サンフレッチェの監督になるのは、夢見ていました」

選手引退後、年代別の日本代表のコーチなどを経験し、念願のサンフレッチェ広島の監督に就任します。在任(2012年~2017年)中にリーグ優勝3回。名将としての地位を確立しました。

森保一 監督 2015年 サンフレッチェ広島 監督時代
「優勝、おめでとうございます」

そして、オリンピックの監督に続き、日本代表監督に就任します。

森保一 監督 2018年7月 日本代表監督 就任
「たいへんなことをやらなければいけない。でも覚悟をもってやれば、必ず成し遂げられる」

去年、ワールカップの最終予選で日本は苦戦し、森保監督の進退問題も浮上しました。そんな中、利重さんは、マツダサッカークラブ時代の仲間と激励会を開きましたが、森保監督は批判の声にも動じていなかったそうです。

森保監督の同期(マツダ時代) 利重忍さん
「(森保監督は)『自らネットを見たりはしないけど、耳には入って来るよね。だけど、全然、何とも思っていないし、今、やっていることで勝てる』。イメージはできている」

「今のチームがこの後、どう成長していくのか、今やっていることが必ず実を結ぶというのは、彼の中では答えは見えていたんだと思う。彼は、全然、ぶれていないから、ああいう言葉が出たんだと思います」

スペイン戦を店でサポーターと観戦した後、写真とメッセージを森保監督に送ったそうです。

― 返事は?
「ありました。一緒に戦ってくれてありがとうございますと」

― いろんな方からメールがあったでしょうが、しっかりと返って来るんですね。「ある程度、定型文っぽいところもあるんですけど、それにぼく用にちょろっと何行かは付け加えてくれているところは彼らしいなと」

森保さんのサインは、マツダ時代に利重さんが考えたそうです。

森保監督の同期(マツダ時代) 利重忍さん
「森保が『サインがないから考えてくれ』って、ぼくに頼まれて。いくつか書いてやって、『これだったら描ける?』と言ったら、『これくらいだったら描けるかも』というのをいまだに書いてくれていますんで。ぼくも書けます」

― 生みの親ですからね。

こちらは、レアなマツダ入部当時の森保監督です。

利重忍さん
「入部したときは、パンチパーマで寮に入ってきましたけど」

― 最初はパンチパーマだった? なぜ、変わった?
「サッカーをまじめにやらなきゃって思った瞬間にあの髪型に決まったんだと思います。いつの間にか、あの髪型になっていました」

森保監督が、この髪型を、ワールドカップ前に整えた理髪店を訪ねました。

森保監督の髪を切り続けて30年 ヘアーサロンOKIMOTO 沖本静夫さん
「(髪が)伸びると耳にかかって(シルエット)がふくれるから、中を軽いツーブロックにして、本人もたぶん気づいていないと思うが。そういうふうに切りましたね。すぐ帰るんじゃなくて、長く(カタールに)いるためにはちょっとでも工夫しておいてあげたら楽なんじゃないかなとね」

沖本さんは、30年にわたって森保監督の髪を切ってきました。森保監督の愛称「ポイチ」にちなんで、「ポイチカット」と呼ばれている髪型も、ここで生まれたそうです。

沖本静夫さん
「今の髪型は、とにかく試合していても、終わっても、さっとできるスタイルを、ぼくが提案したのではなく、森保さんから相談してきた」

ワールドカップ前に森保監督が来店したのは、10月9日。広島駅まで送った沖本さんの家族に、森保監督は、姿が見えなくなるまで手を振り続けていたそうです。

ヘアーサロンOKIMOTO 沖本静夫さん
「とにかく、ぼくは『(W杯を)楽しんできて』とくらいしか言っていないです」

今夜の大一番を前に、森保監督の最大の恩師・今西和男さんにお話をうかがいました。

サンフレッチェ広島 元総監督 今西和男さん
― 森保選手をマツダにスカウトしたきっかけ
「(当時、)さまざまな場所に教えに行ったが、ほとんどが下を向いて話を聞いている。 ただ森保くんは、ずっと正面を向いて、こちらの顔を見ながら話を聞く」

「海外では当たり前だが、日本人で相手の顔を見ながら話を聞くのはすごいこと。 当時の恩師の下田先生に聞くと、『入学当時から真っすぐ顔を見て話す』と」

― 技術的には?
「『ぼくはあまり上手ではないので、常にパスをもらったらどうすればいいか』 『どこにボールを預ければいいか』と。当時はドリブルのうまい選手がもてはやされた時代。『ぼくはドリブルが得意ではない』。『すぐにパスを出すためにボールをもらう前からピッチを見ている』と」

― 試合中の “森保メモ” について
「(当時の監督の)オフトの提案だが、『ミスター今西、彼らは目を見れば真剣に話を聞いてくれている。でも聞くだけでいいのだろうか?』と疑問として投げかけてきた」

「『聞く』と同時に『考える』。そのことを『メモする』のは大切だと気づいて、サッカーノートを作りなさいと。毎日の練習の中で学んだこと、良かったこと、悪かったこと、できなかったこと、一言ずつ書く習慣をつけさせた。スポーツ選手は書くことはあまり好きじゃない。『書く』ということ。『書く』ために『考える』。同時に何を教わったか『聞く』。それができて、初めて『話す』ことができる」

― クロアチア戦について
「最終的には監督がいろいろ指示はするが、(森保監督は)うってつけというか、選手の話を『聞く』ことができる。今、考えれば、高校時代は一方的に言われるだけだったが、サンフレッチェに来て、『自分はどう思うか、発表しなさい』という中で育ったので、選手の話も『聞く』という今の指導者に必要な要素を率先してやってくれている」

「8チーム(ベスト8)には行くだろうなと。期待だけでなく、森保監督のやろうとしているサッカーをすればいけそうな気がする」

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