「それでも私はマスクしません」ピーチ機運航妨害に問われた被告が言いたかったこと 着用拒否は差別か我欲か、法廷は異例の“厳戒態勢”

インタビューに応じる奥野淳也被告(10月26日、大阪市)

 新型コロナウイルスの世界的流行によって、今や生活の一部になったマスク。その着用を巡るトラブルで、2020年9月に釧路空港から関西空港に向かうピーチ・アビエーション機が新潟空港に臨時着陸した事件を覚えているだろうか。機内で客室乗務員の業務を妨害したとして飛行機を降ろされ、威力業務妨害などの罪に問われた奥野淳也被告(36)を当時取材した私は、大阪地裁で開かれている公判の傍聴を続けてきた。「ウィズコロナ」に向けた社会のあり方が議論される中で開かれた、異例の法廷をリポートする。(共同通信=助川尭史)

2020年4月、マスクを求めてドラッグストアに並ぶ多くの人たち=東京都新宿区

 ▽証言台に設置された3面の巨大アクリル板
 私はピーチ機が臨時着陸した5日後、被告にリモートでインタビューを行い、機内での一部始終を明らかにする記事をネットに公開した。
  「マスクしないと飛行機は乗れないの? 降ろされた男性、ピーチ機上で経験した一部始終を語る」
 https://nordot.app/678494451161810017
 取材の際には「ここまで大ごとになると思っていなかった」と語っていた被告は、捜査段階では黙秘を続けたという。なぜそこまでマスクを目の敵にしているのか。法廷で何を語るのかが気になり、傍聴を始めた。
 大阪地裁で初公判が開かれたのは今年5月17日。感染力の高いオミクロン株による第6波の流行が徐々に落ち着き、政府内ではマスク着用方針緩和に向けた議論が交わされていた。だが、奥野被告に賛同する人が詰めかける可能性を警戒したのか、裁判所は異例の厳戒態勢を敷いた。
 開廷前、傍聴券の列に並ぶ人々に地裁職員が「不織布マスクの着用をお願いします」と呼びかける。裁判所内ではマスク着用を求めるプラカードを掲げ、傍聴人の口元を一人ずつ確認した。

大阪・ミナミを歩くマスク姿の人たち=11月

 公判が開かれた大法廷の傍聴席は1席ずつ空ける形に制限され、証言台を囲うように高さ2メートルほどのアクリル板3枚が設置された。
 傍聴人や裁判官、検察官、弁護人らがマスクを身に着ける中、グレーのスーツに身を包んだノーマスク姿の被告が姿を現した。
 被告はピーチ機の臨時着陸事件の他にも、各地で新型コロナの緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が出ていた昨年2~4月、捜索差し押さえを担当した警察官への公務執行妨害や、千葉県館山市の食堂でマスク着用を拒否して他の客ともみ合いになり営業を妨害した罪などに問われていた。
 検察官から起訴状の内容をアクリル板越しに示された被告は起訴内容を全て否認。「マスクをしていないからといって排除する反応は本当に正しいのか」と全面無罪を主張した。弁護人も、マスクをしない異質な存在を排除したい周囲によって被告が暴力的な犯人に仕立て上げられた、と強調した。
 終了間際には裁判長が「マスクが難しいのならフェースシールドの着用を検討いただきたい」と声をかけたが、被告は拒否。閉廷後には報道各社の取材に「お上に強制されず、自分のことは自分で決めたい」と語った。

関西空港を離陸するピーチ・アビエーションの旅客機

 ▽強調された「距離」と「飛沫」
 その後は事件関係者、総勢17人の証人尋問が約2カ月にわたり進められた。地裁はワクチン接種が進んだことなどを理由に傍聴席の制限を撤廃したが、傍聴人はまばら。感染者が減少するコロナへの関心の低さを反映しているようだ。そんな法廷で証人らが強調したのは「他人との距離」と「飛沫」だった。
 別室からビデオリンクで証言したピーチ機の客室乗務員の女性は「マスクをつけないこと自体に問題はない」と話した上で、事件当時の様子をこう語った。「被告はマスクを着用できない理由を明確にしないまま、『あなたの対応は間違っている』と顔を30センチの距離まで近づけてきました。普通の人の距離ではないですし、大声で話していて飛沫が飛んでいるのも見えました」
 事件から約1年、飛行機に搭乗できず「今でも男性に対して怖い思いがある」とも話した。検察官に被告に伝えたい思いを聞かれると、「どれだけ多くの人に迷惑をかけたのか。よく考えて反省してほしい」と声を詰まらせた。
 “食堂事件”の店員女性は、証言台に置かれたプライバシー確保のついたてに守られ、姿は見えない。ただ証拠資料を示そうと検察官や弁護人がそばを通る度に、言葉を詰まらせ、憔悴ぶりは明らかだった。検察官から覚えていることを聞かれると「口からたくさんつばが飛んできた」と絞り出した。「大好きだった仕事が嫌になっている。常に恐怖を感じています」。涙ながらの証言に、法廷は静まりかえった。
 一方、弁護側の証人として出廷したのは被告の妻と父親だ。ピーチでの事件後、主張に共感して結婚したという妻は、被告が交流サイト(SNS)上で誹謗中傷やプライベートの詮索を受けていると述べた上で「たかがマスクくらいでどうして?」と困惑した様子で話した。父親は、マスクを巡って今後もトラブルが起きるケースがあるかと弁護人から尋ねられると「マスクの時代もまもなく終わる。こんなことももうないでしょう」と応じた。
 証人尋問が進む中、被告はいすに深く腰かけ、時折持参したパソコンのキーボードを叩いたり、あらわになった口元をなでたりするだけで、自ら発言することはなかった。だが自身のツイッターでは「マスクは論理破綻した偽善」「コロナ騒動で、社会や法律がどんどんバカになる」と書き込み、多くの人がマスクの着用を続ける状況を強い言葉で非難した。

被告のツイッター

 ▽「ルビンのつぼ」で持論展開
 7月、オミクロン株の派生型「BA・5」による第7波によって感染者が急増する中、本人尋問が始まった。
 被告は東京大大学院で西洋政治史を学び、スウェーデンに留学経験もあるという。19世紀のヨーロッパで流行したコレラや、ナチスドイツによる公衆衛生施策を学ぶうち、差別問題に興味を持つようになったらしい。修了後は東京都内の大学で非常勤講師として働き、コロナ禍を迎えた。
 被告によると、感染者の家に中傷の言葉が貼られる事件が報じられるなど、日本全体がパニックになる中、人々がわれ先に買い求めたマスクは差別の象徴のように見えた。自身はぜんそくがあり、長時間のマスク着用は難しかった。「未知のウイルスを前に、感情をあらわにした同調圧力を強制するのはおかしい」。そう思い、世間の流れにあらがうようになったという。身ぶり手ぶりを交えながら、一連の事件は完全無実だ、と訴えた。
 一方、検察側は、マスク未着用を理由に周囲から突然不当な扱いを受けたという主張に対する疑問や、証人の証言との差異に対する質問を投げかけた。被告は正面から答えず、「それはあなたの感想です」「以前答えたとおり」と打ち返した。
 マスクについて、これまでの被告の主張と矛盾する証拠も突き付けられた。飲食店では騒動を起こしたことを認めて示談しようとしたこと、また呼吸器疾患を裏付ける診断書が証拠として提出されていないこと、保釈の際にマスクを着用する誓約書が提出されていること、などだ。これらの指摘にも被告は「お答えしません」と黙秘に徹した。
 10月26日、論告に立った検察官は「一連の事件はマスク不着用に名を借りた、気に入らない他人からの要請には一切応じない『我欲』が引き起こした」と声を張り上げた。「日本各地で乱暴狼藉に及んだ被告が、社会の善良な人たちに再び被害を与えるのは必至」と懲役4年を求刑し、実刑の必要性を強く訴えた。
 対する弁護人は、一連の事件ではマスクをしていなかったからこそ一方的に悪者に仕立て上げられたと訴えた。「(被告は)口は立つが暴力的な人ではない。根底にあるのは異質な物に対する日本社会の不寛容だ」と結んだ。
 双方の主張が終わり、裁判長から「最後に言いたいことは」と問われた被告は、A4の紙を掲げ「ここに1枚の絵があります」と話し始めた。取り出したのは「ルビンのつぼ」と呼ばれるだまし絵。「つぼだと聞かされて見ればつぼに見え、向き合った2人の顔だと言われればそう見える。色眼鏡で人々が物を見てマスクを強制することがさまざまな軋轢(あつれき)を生んできました」

ルビンのつぼ。つぼにも、向きあった2人の顔にも見える

 立ち上がったまま裁判官席や検察官席、時には後ろを振り返り、「コロナ禍でマスクはマナーやモラルに高められた」「マスクをしていない人の近くにいるだけで何らかの害にさらされるよう感じるのは過剰と言わざるを得ない」と語りかける。約30分の独白を「私は無罪です。飛行機でマスク着用に応じなかったことを誇りに思っています」と締めくくった。
 裁判長は表情を変えず、公判の終結を告げた。最後までアクリル板が外されることはなかった。

大阪地裁前で取材に応じる被告(10月26日、大阪市)

 ▽「乗客に謝罪の気持ちは」問いかけに…
 公判を終えた被告に法廷では明らかにならなかった疑問を確認したかった私は、2年ぶりのインタビューを申し込んだ。
 ―裁判を通してどんなことを主張したかったのですか。
 私がマスク着用の同調圧力によって罪に問われたことに対して、明確な説得力を持って無罪主張することができました。一方で裁判所には、マスク未着用に基づく偏見や差別によって予断を抱かないよう通常の対応を求めたのに聞き入れず、証人や傍聴人にマスク着用を求めました。公正な裁判の運営の原則をゆがめてまで感染対策に重きを置く対応を裁判所が取ったことは遺憾です。
 ―あなたの弁護人もマスクを着けていました。
 マスク着用自体には反対していません。ただ、弁護人や検察官がマスクをしてようがいいんですけど、マスクで証人の表情が見えないのに、正しい心証がとれるのかと思います。
 ―事件以降、政府もマスク着用の緩和策を打ち出すなど、社会に変化もありましたが、いまだに多くの人が感染への不安からマスク着用を続ける現状をどう思いますか。
 あれから飛行機には乗っていないですが、よく旅行には行っていてトラブルはありません。世間の圧力はだんだんと下がってきたと思います。私は別に不安に感じる人はマスクをしたらいいと思います。ただマスクをしない人を排除したり偏見の目を向けたりするのは、あってはならないことです。一人一人の選択が尊重される社会であってほしいと思います。
 ―自身のツイッターで、マスク着用を続ける人やコロナへの不安な思いを抱える人を批判する投稿を繰り返しているのは発言と矛盾しませんか。
 マスクを強制し、着用しない人を排除することを批判しているだけです。着用派と非着用派を分断しようなんて思っていないですし、どちらであっても同じ場所を共有できる社会にしたいです。
 ―裁判では、保釈時にマスク着用の誓約書を書いた話も出てきました。
 マスク着用の誓約書は、前任の弁護人が保釈を取る中で陳述書として出してしまい、不適切でした。ただ、裁判所を説得するためにさまざまな誓約を弁護側がせざるを得ない状況になっているのもおかしいと思います。
 ―以前のインタビューでは、司法の場で安全阻害行為と飛行機の遅延との関係が認められれば、巻き込まれた乗客の方に謝罪するとの発言がありました。気持ちに変化はありますか。
 仮定の話にはお答えしかねます。どんな判決が出たとしても、マスクを着用することはありません。

判決後に取材に応じる被告

  大阪地裁は14日、懲役2年、執行猶予4年の判決を言い渡した。乗務員に対する傷害罪の成立は否定し、暴行罪にとどまるとした。ノーマスクで出廷した被告は腕を組み、時折首をひねって言い渡しを聞いていた。法廷で判決後「まるで中世の魔女狩りだ。私は無罪で冤罪だ」と裁判長に大声で詰め寄り、法廷は一時騒然となった。閉廷後の取材には「謝罪も反省も一切するつもりはない」と話した。

© 一般社団法人共同通信社