投票率80%のオランダに学ぶ(2)780万回使われる「ボートマッチ」 発祥の地オランダで広まった理由(リヒテルズ直子氏)

2021年の衆院選で55.93%、2022年の参院選で52.05%と、決して高いとはいえない日本の投票率。国民の政治不信、政治への無関心がたびたび指摘され、投票率の向上を狙った選挙啓発も効果が上がっていないのが現状です。

一方、海外に目を向けると、投票率が高い国が数多く見られます。例えば、ヨーロッパに位置するオランダでは、80%前後の投票率を長年維持していることがわかりました。そのような国では、国民が投票に積極的になる理由が何かあるのでしょうか。また、選挙制度や選挙活動は日本とどのように異なるのでしょうか。

今回、選挙ドットコムでは、オランダ在住で社会事情・教育研究家のリヒテルズ直子氏にお話をうかがい、現地の選挙事情や日本の投票率が上がるためのヒントを探りました。

前回の記事では、比例代表制のオランダの選挙事情や、小選挙区制の日本との違いなどについて紹介しました。第2回のテーマは、オランダで多くの有権者が使っているボートマッチの歴史や、広まっていった経緯についてです。

※ボートマッチ
いくつかの政策に関する設問にユーザーが「賛成」「どちらでもない」「反対」などの選択肢から選んで回答していき、最終的に自身がどの政党の考え方に近いのかを参考にできるツール。オランダが発祥。

有権者数1330万人のオランダ 780万回使われるボートマッチも

選挙ドットコム編集部(以下、編集部):

オランダでは選挙の際に政党を比較するためボートマッチを使用する人が多いと聞きました。どのくらいの人が使っているのでしょうか?

リヒテルズ直子氏(以下、リヒテルズ氏):

オランダのボートマッチは大きく2つの種類がありますが、よく使われているのは「Stemwijzer」と呼ばれるもので、国政選挙だけでなく大きな都市の地方議会選挙でも使われています。

2021年に行われた、日本の衆議院にあたる第2院の選挙ではStemwijzerの全ての設問に回答された使用回数が780万回に上ったと公表されています。インターネットや携帯電話で使うアプリケーションなので、人数で計算することはできませんが、オランダの有権者数が1330万人であることを考えると、かなりの割合の有権者が使用しているといえます。

※日本の参議院にあたるオランダ第1院は州議会議員によって選出される間接選挙です。以後、特に記載がなければ、「選挙」は直接選挙であり衆議院にあたる第2院(比例代表制、150議席)を指すものとします。

編集部:

最も使われているStemwijzerの利用数は、ここ数年でどのように変化していますか?

リヒテルズ氏:

利用数は増加傾向にあります。前回の第2院選挙は2017年に行われましたが、そのときの使用回数は680万回でした。

その前の第2院選挙が行われた2012年には、初めて携帯電話で使えるようになりました。そのときの使用回数の合計は485万回で、そのうち62万回が携帯電話の使用だったといわれています。

2021年の第2院選挙の「Stemwijzer」の画面

1998年の第2院選挙で初めてインターネットに登場

編集部:

オランダはボートマッチ発祥の地です。どのように広まっていったのでしょうか?

リヒテルズ氏:

最初のStemwijzerは1989年にシチズンシップ研究財団が開発しました。当時はフロッピーディスクの時代で、各政党の選挙プログラムから60問を引用し、使用者が「賛成」「反対」などと回答していくことで、どの政党と考え方が近いのかがわかる仕組みでした。

なお、それ以前にも小さな規模ではボートマッチが存在し、学校での教育目的で、紙で作られたボートマッチが使われるといった事例はあったようです。

初めてインターネットに登場したのは1998年で、公共政治問題研究所という団体のウェブサイト上に公開されました。1998年は第2院選挙があった年で、このときに使用した有権者は6500人だったそうです。

それから、Stemwijzerはインターネットの普及とともに利用者も拡大していくことになります。その後、公共政治問題研究所は「プロデモス」という団体に統合され、現在のStemwijzerはプロデモスが運営しています

編集部:

プロデモスはどのような団体ですか?

リヒテルズ氏:

団体名ProDemos(Huis voor democratie en rechtsstaat)の意味は「民主制と法治国家のための家」で、民主主義や法の支配について一般市民に啓発活動を行う団体です。自治体や教育機関などと連携し、研修や情報提供、討論会の開催などを行っています。

国からの補助金は出ていますが政府の団体ではなく、独立した団体として運営されています。補助金を得ることで、多くのサービスを無償で提供することができます。ほかには、第三者から依頼されたプロジェクトによる収入や、一般からの寄付金なども収入源にしています。

文章作成に言語学者も参加 誰にでも使いやすいボートマッチに

編集部:

Stemwijzerはどのように作られるのですか?

リヒテルズ氏:

プロデモスのStemwijzer編集チームが作成を担当しています。

各政党は基本的に選挙の約半年前から、政策などを記した選挙プログラムを公開し始めます。編集チームは全政党の公約を読み込むと同時に、政党関係者とのワークショップでどのような政策を重視しているかを聞き取ります。収集した各政党の情報をもとに、約60項目のテーマについての「主張文」のリストを作成します。

このリストを全政党に送り、各政党はそれぞれの主張文に対して「賛成」「中立」「反対」の立場を示すかたちで回答します。その回答を受けて編集チームは選挙プログラムと照合し、各政党の立場と同じ回答をしているかをチェックします。

最終的に30項目に絞り込むことになりますが、明らかに賛成や反対が分かれるものは選ばれやすく、一方で全政党が同意見で争点とならない主張文は除かれます。さらに、主張文が保守的または革新的な内容に偏らないようバランスにも配慮されます。

文章も非常に丁寧に作られます。可能な限り簡易な言葉で、明確で客観的な表現を取り入れ、複数の意味にとらえられないように考慮しています。そのために、ボートマッチの作成や研究を行った経験のある言語学者をはじめ、10程度の立場の異なる人が文章を見直します。

選挙の約1カ月前に公開され、有権者が利用できるようになります。

編集部:

ボートマッチに対して、中立性への批判や訴訟が起こることはありませんか?

リヒテルズ氏:

公開後に「この設問を取り入れた理由は何か」「あの設問はなぜ入らなかったのか」といった意見はSNSを中心に上がることもあります。その際は、必要に応じて説明をすることもありますが、一般的には次回のボートマッチの作成の参考にすることが多いようです。

中立性について目立った批判や訴訟が起こったということは、今のところ聞いたことがありません。そもそも、多種多様な意見がある中で、何をもって中立とするかは定義が難しいと思います。それよりも、全ての政党の意見をあるがままに示す「公平性」が重要です

「この政党の意見は偏っている」などと排除するのではなく、どの政党にも大切にしている政策があるわけですから、大小関係なく全ての政党の主張を取り入れることで公平なボートマッチが出来上がります。

投票率はもともと高い ボートマッチを行う目的とは

編集部:

オランダではボートマッチの普及によって、投票率向上にもつながったのでしょうか?

リヒテルズ氏:

2021年の第2院選挙の投票率は78.7%、2017年は81.9%です。それ以前も70%台~80%台でずっと推移しており、オランダの投票率はもともと高いです。

投票率がもともと高い理由の一つとして、オランダでは1917年から1970年まで投票義務が課せられていたという背景があります。義務だった当時に投票していた世代の多くは、義務ではなくなってからも継続して投票には積極的です。

また、1970年代に市民の政治意識が高まった時期があり、90%近い投票率だった年もあります。多くの政党が誕生し、市民が政治に対して覚醒していった時期であり、この時代に政治に積極的に参加した世代も現在の高い投票率を支えています。

いずれにしても、投票率が高い状況は長年続いていますので、ボートマッチが高い投票率に寄与していることを証明することはできないと思います。

編集部:

ボートマッチはどのような目的で使われているのでしょうか?

リヒテルズ氏:

ボートマッチを行うことで、各政党の考えを本当に理解しているのかを確認してから投票することができます。Stemwijzerの開発者も、目的は投票率を上げることではなく、有権者がボートマッチを行うことで自身が求めていることに自覚的になることだと言っています。

例えば、ボートマッチをやってみたら「いつも支持している政党とは違う政党にマッチした」ということもあり得ます。その場合に、なぜそのような結果になったのか、支持政党と自分の考えはどう違うのかを分析できることはボートマッチの大きな利点です。

オランダの選挙は比例代表制で、全ての有権者が全く同価値の1票を保持しています。そして、多種多様な考えを持つ多くの政党の中から投票先を選びます。有権者それぞれが各政党の考え方を正確に理解し、自分の考え方にマッチした政党に投票しなければ、市民と議員の間に考え方のミスマッチが生まれてしまうことになります。それが、ボートマッチが必要とされる理由です。

民主主義の社会において政治の仕組みを良くしていくためには、自分が求めていることと同じ立場に立つ政党に投票しなければ意味がないということです。実現可能性を軽視し、耳にだけ聞こえの良い言葉で票を得ようとする政治がまかり通れば、民主主義は成り立ちません。

ボートマッチは日本でも広まる?

編集部:

選挙ドットコムでは「投票マッチング」というボートマッチのサービスを提供しています。ボートマッチを日本で広めていくうえで、何が課題だと思いますか?

リヒテルズ氏:

オランダのような比例代表制では多種多様な政党から投票先を選ぶのでボートマッチは効果的です。しかし、日本の小選挙区制では2~3人の候補者の中から投票先を選ぶことも珍しくなく、自分が支持する政党が、その選挙区で候補者を出していないケースもあるでしょう。それでは「ボートマッチをやっても意味がない」と考える有権者が増えるのではないでしょうか。

また、日本の選挙は人気投票になりやすく、与党とは異なる視点や新鮮なアイデアを持つ野党政治家が立候補しようとしても、与党が知名度のある候補者を送り込んだり、選挙区内の有力者とのコネクションを押さえれば、最初から勝負がついている選挙になってしまいます。そうなると有権者は、誰に投票しても結果は変わらないという「疎外感」を持ってしまい、ボートマッチどころか選挙にすら興味がない状態にもなりかねません。

ボートマッチは政策で投票先を決めるために使うツールであり、政策以外の要素で当選者が決まる選挙では意味をなさないのではないでしょうか。

編集部:

日本でボートマッチを広めていくための手段は、何が考えられるでしょうか。

リヒテルズ氏:

有権者が、政治家の外見や知名度ではなく、政策そのものに関心を持つようになれば、各党は自らの政治姿勢を課題ごとに明確に示すことが求められるようになります。そのためには、学校でも、時事を取り上げて様々な立場の意見を出し合い議論するという経験を生徒たちに持たせること、その上で、政党について、政治家の個人的資質ではなく政党としての政治姿勢を読み取る訓練をすれば、やがて有権者になった時に、政治家の人柄や印象ではなく、政治的立場を見極めるようになります。そうすれば各政党は有権者に政治姿勢を明確にする必要を感じるようになるのではないでしょうか。

マスメディアが、すべての政党の政治姿勢を公平に伝える努力をすることも大切ですね。そうなれば、小選挙区制による問題はまだ残りますが、ボートマッチが有権者にとって投票先を決めるための有効なツールだという認識が広がると思います。

オランダでも、プロデモスは積極的に小学校や中学校の生徒たちに民主主義の仕組みについて啓発活動を行い、政治家と交流する機会も推進しています。子どもの時から、立場の違いは政治姿勢の違いにつながることを学び、各政党がどんな立場の人たちの声を代表しているのかを知ること、そうした態度を育てることが、(未来の)有権者の政治意識を高めます。

ボートマッチは、自分の立場と政党の立場のマッチングを知るためにあるものです。こうして育った有権者らがボートマッチを積極的に使うことで、各党の議論が活発化し、それがより安定した民主社会の基盤になるという広報を学校を含め、広く行っていくことが重要ではないでしょうか。

リヒテルズ直子氏(Naoko Richters) プロフィール

九州大学大学院修士課程(比較教育学)及び博士課程(社会学)単位取得修了。1981年~1996年アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国に歴住後、1996年よりオランダに在住。オランダの教育及び社会事情について自主研究し、主に、民主的社会制度や市民社会の形成に関心を持ち、オランダにおける市民社会の制度や市民性教育をテーマに、成果を著作や論考で発表。長く、日本での講演活動やオランダでの研修を企画するなど市民社会啓発活動を続けてきた。現在は、著作活動のほか、オンラインで日本向けの講演・研修を実施している。
Global Citizenship Advice & Research社代表。

代表的な著書に「祖国よ、安心と幸せの国となれ」「残業ゼロ 授業料ゼロで豊かな国 オランダ」などがある。

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