サッカーW杯 日本惜敗「感動をありがとう」 長崎から声援 森保監督の父、原点語る 

PK戦の行方を見守る来店者ら=長崎市、立ち飲み屋「ぽいち」

 6日未明、サッカー・ワールドカップ(W杯)の決勝トーナメント1回戦に臨んだ日本。クロアチアにPK戦で敗れて8強入りは逃したが、長崎県内各地で声援を送った多くのファンからは「森保監督、感動をありがとう」「吉田主将、よくやった」という感謝とねぎらいの声が上がった。
 森保一監督(54)と幼なじみの樋口紀彦さん(52)が営む長崎市銅座町の立ち飲み屋「ぽいち」。午前0時の試合開始前から30人近い来店客で満員になると、PK戦まで及んだ約2時間半、コップを片手にエールを送り続けた。
 最後は前回準Vの強豪に一歩及ばなかったが、樋口さんは地元の先輩へ「みんなで集まって応援したことはきっと向こうに届いていると思う。本当にお疲れさまでした。強豪国に勝ってくれてありがとう」とドイツ、スペインを破っての1次リーグ突破をたたえた。
 森保監督の母校で、長崎日大高サッカー部OB会長の森脇裕さん(67)も「ぽいち」で観戦。試合後は「現役の日大生も応援したことが誇りになると思う。PK戦にもつれたのは、これまでの日本代表にない粘り。素晴らしかった」と指揮官の采配ぶりに目を細めていた。

◎森保一監督 生きざまにじんだ采配

 日本の敗退が決まった後、森保一監督(54)=長崎市出身=は涙を流す選手の肩を抱き、一人一人に声をかけた。勝った試合の後と同じようにピッチ上で輪を作り、そして誇らしげに叫んだ。
 「悔しい敗戦だけど、素晴らしかった。みんなが新しい景色、最高の景色を目指していけば必ず歴史が変わる」
 胸を張って帰ろう-。そう励ましているようだった。選手を思い、守る姿勢を最後まで貫いた。
 4度目のワールドカップ(W杯)だった長友佑都(36)をして「こんな強い代表を見たことがない」と言わしめた森保ジャパン。大会前の批判に動じず、何より選手から厚い信頼を集めたそのパーソナリティーは、地元長崎で過ごした日々と、高校卒業後に進んだマツダ(現J1広島)での経験から培われたものだ。
 父・洋記さん(80)が中高生時代を振り返る。
 「今は温和とか言われているけれど、子どものころは負けず嫌いで、やんちゃな失敗も多かった。面倒見がいいのか、いつも家には友達が集まりよったんですけどね」
 印象に残っているのは長崎日大高2年のころ。突然、学校も部活もサボって外泊を繰り返すようになった。業を煮やした父はある日、息子を外に連れ出して2時間ほど諭した。
 「サッカーをやめるのはしょうがない。だけど、高校は卒業しとけ」
 息子は自らに言い聞かせるように、こう返してきた。「サッカーは絶対にやめたくない」。その後、再び学校に通うようになったという。
 当時、県内の高校サッカー界は国見という高い壁がそびえ立っていた。「何度やっても勝てず、負けず嫌いが故に思い悩んだのだろう。反骨心は相当鍛えてもらった」。何度はね返されても強者に立ち向かえるメンタリティーの原点だ。
 卒業後に進んだマツダでは「人間力」を徹底してたたき込まれた。入社間もないころは私生活の自己管理が甘く、自身をスカウトしてくれた当時監督の今西和男氏(81)から「荷物をまとめて出て行け」と怒鳴られたこともあった。こうした経験が人格形成につながったと森保監督は述懐する。
 「広島ですべてを教わった。競技者である前に良き社会人であれという教育が一番大きい。組織を生かすために、自分が何をすべきかを学んで、今がある」
 人と人とのつながりを大切にして、一方でチームが最良の結果を得るために現実的な策を練る。そして、持ち前の負けん気で強豪にぶつかっていく。世界を驚かせたサムライブルーの采配には、将の生きざまが色濃くにじんでいた。


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