「太るのが怖い」やせ願望から拒食、そして過食…ミス日本の大学生が摂食障害と向き合い伝えたいこと

摂食障害の経験を話す河野瑞夏さん=2022年11月10日、東京都新宿区

 東京都の大学生、河野瑞夏(こうの・みずか)さんは自身の摂食障害を交流サイト(SNS)などで公表し、公開シンポジウムなどにも実名で登壇してきた。「摂食障害は誰でもなりうる。恥と感じる必要はない」との思いからだ。摂食障害と付き合うようになって3年半。現在はミス日本として活動しながら、当事者のためのプラットフォームづくりを目指す。葛藤の日々と回復の過程を、河野さんに聞いた。(共同通信=若林久展)

 ▽大学に入り「きれいになって友達をつくりたい」

 ―摂食障害はどんなふうに始まったのでしょうか。

 「大学に入って友達を新しくつくらなきゃならないってなった時に、外見をきれいにしたら友達ができるんじゃないか、やせたら魅力的な人になれるんじゃないかって。そこから、すごく食事に制限をかけるようになりました。高校3年の時にダイエットをしていたんですが、それに拍車が掛かった」

高校の卒業式。高3で始めたダイエットが大学に入ってエスカレートする=2019年3月(提供写真)

 「最初は友達と仲良くするために、やせてきれいになろうっていう感じだったんですけど、だんだんと、きれいにならないと友達ができないみたいな思い込みが強くなって。ジムに行くために飲み会を断ったりということが増えてきて。自分を認めてもらいたいのに、孤立するような選択をする。人と普通にご飯を食べることができないので、誘いづらくなって友達が離れていき、自分に残ったのはがりがりの体だけ。さらに突き詰めていってしまう。心配して声をかけてくれる友達にも『ほんとに大丈夫。食べてるから大丈夫』ってうそをついて。うそをつく自分に罪悪感を感じていました」

 ―当時の暮らしぶりは。

 「親の目から徹底的に逃げるような生活を送っていた。親が寝た後にジムから帰ってきて、朝は親が起きる前にジムに行って、学校に行って、ジムに行って帰る、みたいな。食事はかなり少ないですね。親が夕飯を作ってくれるんですけど、その夕飯を翌日の朝、昼、晩と3等分にして、糖質を含むものは食べず、キャベツを敷き詰めてその上にお肉を一切れとか。それをお弁当として持っていく。おなかは空きますけど、コーヒーを飲んでごまかした。すごく食べたのが酢昆布。あと、ボトル入りのガムを1日で食べ切ったり。そういうことをして空腹をなんとかごまかして。そうでもしないと、自分が今まで守ってきた体が崩れちゃうと思った。自分でもこの体が異常だ、やせすぎだと分かっているんですけど、どう変えたらいいか分からない。太るっていう選択肢がないので。本当にどうすればいいか分からないっていう感じでした」

河野さんの身体測定結果。体格指数(BMI)15.2、体脂肪率5.2%と、かなり低い数値=2019年9月(提供写真)

 「私は身長171センチあるんですけど、体重が一番落ちた時は40キロを切っていたと思います。食事制限のほかに、夏ごろまではジムで走ったり、腹筋運動をしたり。自分でやせすぎだって分かっていたので、途中から有酸素運動はやめておこうと思った。でも食事はどんどん制限していく。体重をキープしないといけないという頭になっているので。あんまり深くは考えられていなかったけど、少しでも太ってしまうことへの恐怖みたいなものがありました」

拒食が始まり痩せていった河野さん。当時を『自分に残ったのはがりがりの体だけ』と振り返る=2019年7月(提供写真)

 ―大学での友人関係はどうだったんですか。

 「友達がいなかったわけではないですけど、仲のいい固定のグループがないというか。一人一人とは仲いいけど、この人は本当に私のこと信じてくれてるのかな、いやそんなわけないよね、みたいに思ったり。これで本当に大丈夫なのかなって、すごく焦ってました。何かしら人から認めてもらえる存在でなきゃいけないって。高校生の時は、背が高くて目立つ、みたいなところをみんなから買ってもらっていると思っていた。強く意識はしていなかったんですけど、根底にはあった。みんなすごく面白くて、楽しくて、頭も良くて。でも自分には、そういうところはないなって」

仕事でニューヨークに赴任していた父親を訪ねた河野さん。1カ月ほどの滞在中も、サラダばかり食べていた=2019年8月(提供写真)

 「今だと自分らしさっていうか、自分の考え方を面白いって言ってくれる人もいるし、そういう人とうまくやればいいと分かるけど、当時は何か人の目を引くというか、おっと思われなければいけないなっていう思いがあった。今まで背が高くて目立つところを買ってもらっていたから、そこを失っちゃいけないって。で、一度やせたからには、また太るっていう選択肢がなくって、どんどん突き詰めていく。ずっと報われないな、という気持ちだったと思います」

 ▽拒食から一転、過食へ

 ―2020年に始まった新型コロナウイルス禍の中で状況が変わったということですが。

 「毎日ジムに行く、親の目を避けて一緒にご飯を食べない、といった生活が急に変化しました。ずっと家にいて、親が作るご飯を食べざるを得ない。そうなると、これまで守ってきた食事制限のラインを超えなきゃいけないじゃないですか、親が作ってくれたものを全部食べるってなると。それを超えちゃった瞬間に、もういいや、みたいな気持ちになって。今までの埋め合わせで、すごく食べるようになった」
 「お菓子とか、それまで食べたことがなかったようなものをわーっと食べて。冷蔵庫のソーセージとかピザ用のチーズとかも加熱せず、そのまま。おなかがぱんぱんになって、私、何してるんだろうと思いながら、ぐったりして寝る。過食するたび、すごく嫌な気持ちになって。普通じゃありえない食べ方をしているし、おなかは膨れるし、鬱々とする。ずっとやっているわけじゃなくて、食べちゃった次の日は何も食べない、みたいなことを繰り返していた」

 ―病院にかかったきっかけは。

 「ある時、過食して喉まで食べ物が詰まっている状態がすごく気持ち悪くなって、出したことがあったんです。そのときに、あ、これでいいんだって思っちゃって。今までの罪悪感とか、そういったものも一緒に出せたという気持ちがあって、これがあれば大丈夫って思っちゃった。これがあれば、食べちゃっても帳消しにできるって。そこから吐くっていうことをするようになった」

 「しばらくは親の目につかないところでやってたんですけど、でも正直、心の1%ぐらいは親に気付いてほしいっていう気持ちがすごくあって、一度、吐いたものをそのまま残したんですよ、トイレに。ひどいやり方ですけど。それを見た親がこれは普通じゃないと思って、病院に行くよう私を説得した。私の友達が摂食障害だったので、知っていた。私は、食べることができているから摂食障害とは違うと思う一方、さすがにおかしいっていう思いもあって、病院に行きました。食べることができるし、自分で歩けているから摂食障害だとしても軽い方だと思っていたら、医師から、そんなことないですよ、中程度というより重症に近い状態だから治療が必要ですよ、と言われました」

 ▽親との対話、そして回復の道のり

 ―通院が始まって、どんな感じでしたか。

 「週1回の通院の後には必ず、近くの喫茶店で親と話すということをやっていました。そこでお互い、どう思っているのか、どう治していくのか、そんなことを話した。病院に通っていても、日常に戻ればやっぱり食べ吐きをするけど、治りたい気持ちはあるんだよって親に伝える場。それが親にとっては、希望を垣間見る瞬間というか、それがあるから親も頑張れる。体重は増えていて、でも過食と嘔吐の差で増えているだけなので、私はいい増え方じゃない、健康的じゃないって思ったけど、先生は、体重が増えるのは必要だからいいんですよ、と肯定してくれる。私が自由奔放に食べるのを先生が容認して、私はそれに甘えてしまうし、親に迷惑をかける。それも許してあげてください、みたいなニュアンスで先生がおっしゃるので、親はそれが相当きつくて。過食はするけど、親が用意した食事には手を付けなかったり。それは、食べた後に吐くって分かっているので、手作りのものには申し訳ないっていう気持ちがあって」

河野瑞夏さん=2022年11月10日、東京都新宿区

 「親の気持ちが少し晴れるような状況っていうのが、さっきの喫茶店で話すっていうのと、あと、カウンセリング。私のためのカウンセリングですけど、親も一緒に行って、むしろ親のカウンセリングみたいな感じでした。親が自分はこういうふうにつらい、なんで娘のことを許さないといけないのか分からない、自分はちゃんと母親をやってきたつもりだし、みたいなことをカウンセラーの方に言う。私もそれを聞くことで、ああ、親が実はこう思っていたんだと分かります。病院の診察とカウンセリング、二つに通っていたのはそういう意味もあるかなと思います」

 ―回復の過程で、どんなことがあったのでしょうか。

 「何かきっかけがあったとか、そういうのは全くなくて、いつごろ、とかは正直覚えていないです。通院の後に喫茶店で話していても『お母さんがあの時、見た目はすごく大事みたいなことを言ったから、私はこういう価値観になっているんだ』とか、『お母さんが全部くみ取ってくれちゃうから私は主張しないんだ』とか、そういうことを言う時期があって。でも、だんだんと話していくうちに、親は親、自分は自分で、血はつながっているけど全然違う個体だから、期待しすぎるのはよくないって、お母さんが言っていたことを私も分かるようになった。(言い合いで)険悪になる時もあるんですけど、穏やかにゆったり過ごせる時間が増えてきて。それで、今まであんまり感じなかったような、風がすごく気持ちいいとか、紅葉がきれいだねとか、光の入り方がすごくきれいとか、そういうことにも気付けるようになりました。その時、その瞬間に自分は良くなってるなって思って。家の近くに公園があって、そこを散歩したりする時に感じたりしてましたね」

過食が始まって1年以上が過ぎ、少しずつ普通に食事を取れるようになった頃。自宅近くのカフェで愛犬と=2021年9月、東京都杉並区(提供写真)

 「だんだんと自分がやりたいこともできるようになってきて、大学のダンスサークルに入っていたんですけど、オンライン公演をやることになって、友達が『瑞夏、もしできたら、やらない?』って言ってくれて、やり始めた。ストーリーを作ったり、ロケハンして撮影したり。なんかそういうこともできるようになったので、すごく良くなったなと思いました。コロナ以降、初めて社会とつながるみたいな瞬間だった。自分の見た目とかそういったところに関係なく、存在を認めてもらう、みたいな瞬間がすごくうれしくて。そこは、自分にとって大切だったなって思います」

 ▽一人一人に美しさはある

 ―2022年のミス日本グランプリに選ばれ、注目されました。

 「応募する時に一番考えたのが、美しさってなんだろうっていうこと。今までの経験を通して、やせることで得られるものじゃないってすごく感じたからこそ、やせているとか、スタイルがいいとか、そういったことではなく、絶対に一人一人に美しさがあるから、それを信じられるように、自分もその美しさを見つけていきたいと思いました」
 「摂食障害は誰でもなりうる病気で、恥じるものじゃないっていうのを、自分が人前に出ることで伝えられるし、(ミス日本の)タイトルをいただいたことでみなさんが注目してくださるので、やって良かったなと思います」

 ―SNSで摂食障害を公表されています。

 「今まで自分の体験を発信するだけだったんですけど、みんなが共感できるかっていったらそれはまた別で。やっぱり人によって治し方ってさまざまで、たとえば私が聞いたお話だと、親と二人三脚で、献立とかも全部相談しながらやりましたっていう人もいれば、自力で、過食する時はこれしか食べないっていうものを決めて、それに飽きたらやめられましたっていう人もいる。本当にさまざまで、それらの体験談のアーカイブをつくりたいなって思って。今メディアとかに出させていただいて、何となく私の名前も知っていただけているので、そこから始めていきたい。まだエピソードはそれほど集まっていないですけど、興味を持ってくださる方はたくさんいらっしゃいます。ウェブサイトを試しに立ち上げたところ。体験談をどんどんストックしていければいいなと」
 「摂食障害が当たり前っていう世界だと素の自分でいられるし、こういうことしちゃったんだよね、みたいなことも話せて、そういう場にすごく救われる。そういうコミュニティーづくりはすごく大切だし、自分が作り手になれたらと思います」

河野瑞夏さん=2022年11月10日、東京都新宿区

 ―世の中に伝えたいメッセージは。

 「私のように、人とのつながりを求めるがゆえに摂食障害になっちゃう人も多いと思うので、やせていなくても、あなたには価値があるっていうか、価値があるのは当たり前ですけど、すごく大切なんだよっていうのを伝えたいし、私も伝えてもらいたかった。私が一番求めていたことだと思うので、だからこそ、それを伝えたい」

https://www.sessyoku-hotline.jp/

© 一般社団法人共同通信社